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ラリー・ペイジが当初思い描いていた、駐車スペースに着陸できる個人用航空機を世間はまだ受け入れる準備ができていなかったが、彼の努力は最終的にウィスク( Wisk )社という形で結実した。現在、同社はボーイング社の子会社となっている。ウィスク社は、ライバルのジョビー( Joby )社やアーチャー( Archer )社と同様に、エアタクシー・サービスの提供を目指している。ウィスク社の設計では、いくつものローターが揚力を得る際には垂直に作動し、推力を得る際には水平に傾く。これはベル・ヘリコプター社とボーイング・バートル社が共同で開発した V-22 オスプレイが採用している構造と同じである。オスプレイは、数件の死亡事故発生を受けて飛行を停止していたが、最近再び飛行を許可されている。ウィスク社のコーラ( Cora )と呼ばれる現行モデルの機体の平均速度は時速140マイル( 224 キロ)、航続距離は約 100 マイル( 160 キロ)である。同社の設計拠点はベイエリアにある。ちょうどピボタル社の裏手の袋小路にある。昨年、私が訪れた時、ウィスク社の社員が 4 人乗りの最新モデルのプロトタイプを見せてくれた。目もくらむような黄色に塗られた分厚い胴体を持つ機体は、まるでミニチュアのスクールバスのようであった。ウィスク社のデザイナーのツァルノツキー( Tzarnotzky )は大柄で思慮深く、クマのぬいぐるみのような風貌をしている。彼は私に言った、「競合他社の機体は、黒っぽいものが多い。ジェット機を購入する富裕層を潜在顧客と想定しているので、高級感を醸し出したいのかもしれない。当社の機体を翼のついたミニバンのようだと批判する者もいるが、それは悪いことではない。おばあちゃんがミニバンに乗るように、当社の機体を乗りこなしてもらいたい。当社はスリル満点の乗り物を提供したいわけではない」。
ウィスク社のイメージするエアタクシーは次のとおりである。行きたいところがあれば、アプリで予約して、数ブロック内にある最寄りの垂直離着陸用飛行場( vertiport )まで歩いていく(自治体や協力事業者が垂直離着陸用飛行場を建設するまでの間は、既存のヘリポートを使う形になる)。荷物をフロントトランクに収納してから機体に乗り込み、シートベルトを膝の上にしっかりと締める。エアタクシーは浮揚して上昇し、前進飛行に切り替わり、定められた空中のルート(おそらく下を高速道路が通っている)上を飛行している機体の列に加わる。エアタクシーは、旅客機に乗るために空港へ向かう場合や、観光目的で使われるのはほぼ間違いないだろう。沖合の島に行くのにも適している。ヘリコプターをより大衆化したものと言えなくもない。「エアタクシーを研究する企業の多くがロサンゼルスでサービス開始することを目指している。それには、理由がある。」と、アリゾナ州立大学で輸送技術を研究するデビッド・キング( David King )教授は言った。「コービー・ブライアント( Kobe Bryant )がヘリコプターであちこち移動したのは彼が金持ちだったからである。ロサンゼルスの金持ち連中のかなり高い割合がすでにヘリコプターで移動しているが、それにはもう 1 つ理由がある。10 年前までロサンゼルスの高層ビルには規制があって、ヘリポート用に上部を平らにしなければならなかった」。
ウィスク社が競合他社と違うのは、パイロットがいないことである。同社の従業員の半数以上は自家用飛行機を所有し操縦している。同社には晴れた土曜日などに操縦好きが集うクラブがあるほどである。彼らは集まってどこかの空港などに飛んで空港内の評判のレストランで美味しいハンバーガーなどを堪能する。しかし、ウィスク社のビジネスモデルでは、パイロットは必要とされない。というのは、彼らを乗せると採算が合わないからである。機体が重くなるし、訓練をする必要があるし、給与を支払わなければならない。また、パイロットの数を充足させるのは至難の業であるし、技能不足のパイロットを雇うわけにもいかない。現在でも通常の旅客機でさえ約 90% は自律飛行をしている。ほとんどの旅客機の乗客は、コックピット内で熟練のパイロットがほとんど手持ち無沙汰にしていると認識し、ほぼコーヒーを飲むだけで給料を得ていると認識している。とはいえ、完全自律飛行というアイデアを誰もが反対せずに受け入れるという環境にはなっていない。ウィスク社のプロトタイプの実物大模型の座席に座ると、眼の前のディスプレイに動画で飛行経路案がいくつか表示された。ウィスク社の機体は、地上の監督者によって常に飛行状況を監視されていて、必要に応じて介入できるようになっている。
長期的には、ウィスク社や競合企業の多くは空飛ぶクルマで多くの者が通勤する未来を思い描いている。デロイト( Deloitte )の報告書によれば、エアタクシー・サービスは既存の地上の交通機関の 3 倍から 5 倍所要時間を短くできるという。いずれ、老朽化した道路や橋の維持に投じられていた資金が細っていき、頭上を等間隔で進む空飛ぶクルマの飛行が優先される時代が訪れるかもしれない。映画「ブレードランナー( Blade Runner )」には、そのような大都市の光景が魅力的に描かれていた。しかし、著名投資家のサイラス・シガリ( Cyrus Sigari )が私に言ったとおり、エアタクシーや空飛ぶクルマは大都市よりもその郊外で需要が多く、そこで普及する可能性が高いのかもしれない。理論的には、スクラントン( Scranton:ペンシルバニア州)やビンガムトン( Binghamton:ニューヨーク州)に住んでいる者が、ニューヨーク市内まで 30 分で行けるようになる。「エアタクシーが運行されれば田舎の経済を活性化できるであろう。そのためには、自宅から職場の距離が 90 〜 100 マイルあったとしてもそれほど高くない費用でないといけない。」と、アリゾナ州立大学のデビッド・キングは言った。MIT の航空工学博士過程に在籍するマシュー・クラークは、マイノリティ出身であるため、派手なテクノクラート的な事業見通しには懐疑的になりがちであるが、エアタクシーや空飛ぶクルマは見込みがあると考えている。「ストックトンから来る清掃員たちと話をしたことがある。彼らは毎日ガソリン代に大金を費やして何時間もかけて通勤している。いずれ彼らがストックトン空港からパロアルト空港まで短距離フライトを利用できるようになるかもしれない。そうなれば朝 4 時に起きなくても良くなる。朝 7 時に起きても余裕である。」と彼は言った。まあ、この問題はパロアルト周辺にもっと宅地を造成すれば簡単に解決できるはずではある・・・
ウィスク社はオーストラリアのクイーンズランド州南東部市長会( the Council of Mayors of South East Queensland )と仮契約を結んでいる。市長会は、2032 年のブリスベン・オリンピックまでにウィスク社がサービスを開始することを望んでいる。観光客や地元住民の利用を見込んでいる。私がウィスク社を訪れた頃に、ちょうどオーストラリアから市長会の関係者が集団で視察に来ていた。近くの空港でのテスト飛行を見学するのが主たる目的であった。赤ら顔で首の太いブリスベン市長のエイドリアン・シュリナー( Adrian Schrinner )は、フサフサの髪に手をやりながら、自分が最初にテスト飛行を体験したいと言った。彼の横には同市の広報責任者がいた。その人物は、小声で「副市長は先に乗ってもらって良いと言っている。全く問題ない。」と言った。私たちは小雨の降る滑走路の端に立って、現行モデルのコーラ( Cora )の機体がゆっくりとホバリングして離陸するのを見送った。高度約100フィート( 30 メートル)で機体は水平飛行に移行した。切り替わった瞬間には、見ている者たちは一様に驚いていたが、スムーズに飛行し始めるただの小さな飛行機にしか見えなかった。ただし、唯一その機体に搭乗していた人物だけは、こうした感情は抱かなかったであろう。デモフライトが終わる頃には、市長会の面々のほとんどは、自分のスマホに目を落とし、撮った動画が印象的であるかどうかを確かめようとしていた。ウィスク社の CTO であるジム・ティゲ( Jim Tighe )は、機体の中にいる顧客が機体が飛んでいる様子を見れないことは残念であると言った。「機体が飛行している間、全員がスマホを取り出して、ずっと機体を追い続けていた。まさしく釘付け状態だった。」と彼は言った。
ウィスク社のオフィスでブリスベン市長のシュリナーは、エアタクシーが遠隔地の先住民コミュニティと都会の病院を繋ぐ、あるいは観光客をクイーンズランド沖のベイ諸島( Bay Islands )に運ぶ日が来るかもしれないと話した。「ブリスベンからゴールドコーストまでは 80 キロしかない。」と彼は言った。「車で 1 時間しかかからないはずだが、週末には渋滞して 2 時間かかることもある」。私は好奇心から、公共交通機関での所要時間を尋ねてみた。彼はしばらく黙り込んでしまってから、わからないと答えた。しかし、ウィスク社の機体なら 15 分もかからないかもしれない。彼はコーラ( Cora )のプラスティックの模型を手に取り、言った。「親しい人たちと話をしていて、『空飛ぶクルマなんて突飛な話だ。実現するわけない。空飛ぶクルマの話は何十年も前から聞いている。』と言われたことがある。でも、私たちは今朝それをこの目で見た。私は彼らに『まもなく実現するぞ!』と言ってやりたい」。