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この業界に携わる者のほとんどは、飛行とは便利で素晴らしいものであると考えている。しかし、便利さと素晴らしさのどちらに重きを置くかは人によって違うようである。空飛ぶクルマというアイデアが支持され続けている理由の 1 つは、それが 2 つの異なる種類の自由を約束しているように思えることである。1 つは、A 地点から B 地点まで大した苦労もなく移動できることである。もう 1 つは、3 次元を探索する陶酔感を得られることである。この業界に携わる者のほとんどは、個人的に飛行に魅了されたためにこのビジネスに加わった。とはいえ、彼らは飛行機と車では求められるものが大きく異なることを認識している。運転と飛行を両立させる車というビジョンが決して理にかなったものではないことも認識している。ポール・モラー( Paul Moller )という発明家兼大学教授は、スカイカー( Slycar )と名付けた機体の開発に 40 年を費やしている。彼は長年、それが手の届くところにあると信じてきた。2009 年、空飛ぶクルマの開発競争が盛んになり始めた頃に彼は破産してしまった。一時期、アスカ( ASKA )という企業がカリフォルニア州ロスアルトス( Los Altos )のダウンタウンのショーウィンドウに空飛ぶクルマのモックアップを展示していた。同社の後援会員になると、80 万ドルの機体の予約リストに載るために 5,000 ドルのデポジットを支払い、機体のデザインをカスタマイズする権利を得ることができる。現在はショールームは閉まっている(同社はより広いショールームを探しているという)。冷静な人たちは、息を呑むような美しさと利便性の間でトレードオフをしなければならないことを理解している。ウィスク社を訪問した際、私はうっかり従業員に配られた文書を見てしまった。従業員は現実に根ざさない見解を述べることを禁止され、データや証拠で裏付けできない根拠のない主張は避けるよう指示されていた。ベータ社は、空飛ぶクルマのようなものを作っていると思われることさえ嫌がった。
ある企業が既にユナイテッド航空と契約し、来年からニューアーク空港でエアタクシーサービスを提供する予定であるが、このような契約のほとんどは暫定的なものである。ドイツのあるスタートアップ企業は、今夏のパリ・オリンピックで乗客を乗せる予定だった。しかし、EU の規制当局がこのアイデアを却下した。ドバイはサービス提供開始の準備が整っているようである。中国の規制当局は商業用イーヴィートル( eVTOL )の量産を承認したところである。しかし、このような計画が現実のものとなるためには、さらに未来の輸送手段となるためには、規制当局を説得して、飛行空域の使い方やルールや管制方法を見直す必要がある。衝突を防止するためには、確実でデジタルな検知・回避システムが必要である。イーヴィートル( eVTOL )はヘリコプターほどではないが、それなりの騒音が出る。開発に携わる者の多くは、この問題はいずれ解決されると考えているが、もし改善できなければ、誰もがブンブンとうるさい騒音に悩まされることになる。そして、必要な数の多さも問題となってくる。パンデミック以前は、1 日に約 40 万人がハドソン川を渡ってマンハッタンへ来ていた。それだけの人数が空から通勤するとなると、何万台ものドローンタクシーが必要で、定時運行を維持する必要があるし、安全記録も完璧でなければならない。デビッド・キングは言った、「何か不具合が発生すれば、すぐに『なぜ電車を作らなかったのか』という議論になってしまう」。
都市開発に熱心に携わる者のほとんどは認識しているが、公共交通で問題が発生するのは技術的な問題に起因するのではなく、政治的な問題に起因するものが多い。電車、トラム、自転車、歩道など、都市の移動手段を向上させる手段は昔からいくらでもある。問題は、空飛ぶクルマが実用化されるはずであったのに、代わりに登場したのが 140 文字のコミュニケーションツールだったことではない。世の中の全ての人が想像力に欠け、旧来のテクノロジーに執着することでイノベーションが阻害されたのかもしれない。前世紀半ばに人々が夢のような未来を思い描いていたが、それが完全に計画通りに進んだとしても、JFK 空港までの到着時間を 30 分短縮できるだけであるという事実には、いささか暗澹たるものを感じる。現在、それがようやく実現に近づいている。アメリカ経済が成長していた時代には、誰もが郊外に大きな家を建てるという夢を持ち、多くの人々がそれを実現した。当時、郊外の生活はどんどん便利で楽なものになると思われていた。アニメ「宇宙家族ジェットソン」の主人公ジョージ・ジェットソンはそれほど自由だったわけではないが、ブリーフケースに折りたたんで格納できる空飛ぶクルマを持っていた。それを使えばあっと言う間に職場まで行けた。
この業界に携わる者のほぼ全員が、個人用の空飛ぶ乗り物はいずれ実用化されると考えている。20 年もしくは 50 年かかるかもしれない。それが実現するとしても、素人目には停滞しているように見えるような緩やかな変化を繰り返しながらであろう。ピーター・ティールや J・ストーズ・ホールは、現代のジェット機が 1960 年代とほぼ同じ姿をしていることを、人類の知力の不足であると考えているようである。しかし、ボーイング社の元幹部で、現在はウィスク社 CEO を務めるブライアン・ユトコ( Brian Yutko )の見立ては違う。「それはまったくの見当違いである。たしかに 4 歳児が 1960 年代と現在のジェット機の写真を見比べれば、2 つはほとんど同じに見えるだろう。しかし、実際にはかなり違っている。燃費は 70% 向上し、航続距離も格段に長くなっている。事故を起こす確率に至っては限りなくゼロに近い。」と彼は言った。「ジェット機には、50〜60 年かけて積み上げてきたテクノロジーの進化が詰まっている。他の業界もここから学ぶべきである。決して停滞していたなんて言わせない。むしろ凄まじい進歩を遂げている」。
昨年の秋、私はニュージーランドでウィスク社の研究チームと合流した。彼らは、同国で行われていた一般空域での無人機の運用を行うという先進的なテストに参加していた。ニュージーランド上空は、アメリカほど飛行機の往来は多くない。墜落のリスクがあると言っても、被害を被るのは主として羊である。また、同国の規制機関は先進的な実験に寛容である。テストは、クライストチャーチ( Christchurch )から 20 マイルほど南のカイトレテ・スピット( Kaitorete Spit )と呼ばれる砂埃の舞う細い地峡で行われた。飛行場は地元のマオリ族との共同事業であった。マオリ族はこの飛行場をターワキ( Tāwhaki )と名付けていた。ターワキは天界から知識を集めて地上に持ち帰るとしてマオリ族が崇める神である。
ホーシー・ホースレス( Horsey Hotseless )は、セブンスデー・アドベンチスト協会( Seventh-day Adventist Church )の説教者で発明家のユーライア・スミス( Uriah Smith )によってミシガン州バトルクリーク( Battle Creek )で作られた初期の自動車の 1 つである。シャシーの前面に人工の馬の頭が取り付けられていて、道路を走る他の馬に馴染みのあるものに似せていた。ウィスク社はニュージーランドでのテストで同様のアプローチを採用した。ボーイング社のドローンを使用していたが、これは自律飛行ではなく航空管制と定期的に通信しているパイロットによって操縦されていた。パイロットはコックピットではなく、地上にいた。これは、事実上すべての手続きが機内にパイロットがいることを前提としている民間航空会社にとっては非常に大きな一歩だった。しかし、その成果は官僚的な略語の嵐の中に埋もれてしまった感がある。彼らは、CTA ( Control Area:管制区)内で、IFR( Instrumental Flight Rules:計器飛行方式) にて、RPA ( Remotely−Piloted. Aircraft:遠隔操縦航空機 )の BVLOS( Beyond Visual Line of Sight:目視外)飛行を行うことを望んでいた。ジェットパック( jet-pack:鞄のように背負ったジェットの噴射によって推進する飛行器具)の開発を目指しているスタートアップ企業からウィスク社に移った従業員は、「 UAM の運用が拡大されれば、即座に空域は飽和状態になるであろう。」と言った。UAM は、「 Urban Air Mobility:都市航空交通 」の略号である。また、彼は続けて言った、ここで彼らが行っていることは PSU の基礎を築くことであると。
「 PSU って何ですか?」と私は聞いた。
「 A provider of services for U.A.M.( UAM のサービスプロバイダ)である。」と、彼は笑いながら言った。「たしかにこれは分かりにくい。略語の中の略語が入ってるから」。
ヴィンテージ柄のフリースに頑丈なワークブーツを履いたパイロットたちが、地上管制用トレーラーの後部に陣取っていた。彼らは、今回テストする機体の進路は、通常の旅客機のそれよりも正確で、信頼できると確信していた。いくつもの機体が南アルプス山脈(ニュージーランドの)のかすかな雪化粧を遠くに見ながら発進した。パイロットたちが管制空域への進入許可を指示する前に、2,500 フィート( 762 メートル)まできつい螺旋を描きながら上昇した。無線で返答が届いた。「識別され、許可されました」。 一般人には、何がそんなに騒がれているのかは簡単には分からない。しかし、航空業界関係者は理解している。ボーイング社のアジア・オセアニア担当役員が颯爽と登場し、「今日は航空産業にとって記念すべき日である。」と宣言した。