21世紀に間に合いませんでした!? ようやく空飛ぶクルマが実現化されそう!

7.

 バイロン空港( Byron Airport )はベイエリアから 40 マイル( 64 キロ)ほど東にある管制塔の無い飛行場である。私が到着した日の朝、風は穏やかで、東から 3 ノットほどで、1 万 3,000 フィート( 4 キロ)上空に雲が散らばっていた。霞の中にディアブロ山( Mt. Diablo )が見え、1 週間の雨できれいになった多くの風力発電機が深い緑色の丘陵に建っていた。ピボタル社のチーフ・テスト・エンジニアのワイアット・ワーナー( Wyatt Warner )は、トレーラーに載せたブラックフライを小さな着陸パッドに運んだ。着陸パッドは泥の中で吸い込まれるような音を立てていた。私たちは灰色の雲を背景に多くのスカイダイバーが煌めくように降下し終えるのを待った。その後、ワーナーはブラックフライで 9 分間のテスト飛行を行った。彼の飛行はエレガントだったが、機体はいささか機嫌が悪いように見え、まるで悪夢にうなされているトラクターのようにも見えた。飛行データをモニターしていたエンジニアのアリソン・キング( Allison King )は、MIT を卒業してすぐの頃にピボタル社のウェブサイトを見たと教えてくれた。「最初は、これは CGI だと思った。」と彼女は言った。「よく見ると注記があって、『これは CGI ではない』と書いてあった。私は『えっ、マジで?』って思った」。

 ワーナーが戻ってきた時、私の最初の飛行教官だったチャーリー・ブッシュビーが「それが何を意味するか分かるか?」と言った。彼らは私に、かっこいいブラックフライのワッペンが付いたフライトスーツをくれた。彼は、古いジョークを思い出したと言って披露した。「パラシュートが開かなかった時の良い点は、残りの人生の全てを問題の解決に費やせることである」。他愛のない会話が続いたが、話題が航空機事故の生存者に移った。高度 3 万 3,000 フィート( 1 万 160 メートル)から落ちて生き延びたセルビア人客室乗務員、1999 年にスーシティ( Sioux City:アイオワ州)での墜落事故を無傷で生き延びた人たちなどである。ベータ社で働き、ピボタル社で面接を受けたことのある地元のテストパイロットの話になったが、彼は数週間前に悲劇的な墜落事故で亡くなっていた。「今はこの話はしないほうが良いかな?」とブッシュビーは言った。

 チェックリストを挟んだクリップボードを太ももに括り付けて、私は機体に乗り込み、プレキシガラスのキャノピーを頭の上にかぶせた。それから、プロペラを回転させ、操縦装置のテストを行い、離陸シーケンスを開始した。私の最初のフライトは、単純なホバーリングだけであった。つまり、上昇して降下するだけである。プロペラが凄まじい音とともに回転し始め、機体が後ろに反り返った。私は上方に引きずり上げられ、座席に釘付けされたようになった。心臓がバクバクした。ワーナーは私に深く息をするようアドバイスした。私はちょっと怖くなった。そもそも私のような素人が操縦すること自体が間違っていると感じた。浮遊している時間は短かったものの、急いで 360 度を見渡すのには十分な時間だった。それから親指でトグルスイッチを押して降下した。一瞬のようにも永遠のようにも感じられたが、私は無事に地上に戻った。2 回目のテスト飛行の前に機体を 10 分間休ませた。2 回目のテスト飛行では、着陸パッドの上で機体を左右前後に移動させたりした。飛行計画では、単純にホバリングする時間が長く、空中にいる間にモーターの温度がすぐに 120 度に達した。黄色い警告灯が点滅した。パッドの真上にはいなかったものの、着陸するにはちょうどいいタイミングだったようで、私は泥の中に少し滑り込みながら着陸した。私は機体から飛び降りた。私はワーナーと 2 人でブラックフライを引きずり上げながら離陸スポットの中心に置いた。

 彼らが言うには、これで私が本格的な飛行をする準備は整ったという。離陸してホバリングに入ると、私は操縦桿を右にひねり、下にいる全員から離れて、丘の方向に飛んだ。水平飛行になると、プロペラのブンブンする音が静かになり、突然、空中で軽快さと機敏さを感じた。眼下には泥の池が広がり、水と草の模様がきらきらと輝き、黒い牛が群れをなしていた。丘の麓でゆっくりと滑らかに旋回をしてからさらに上昇した。機体には何の問題も無いようであった。現場のエンジニアたちがこの機体の巡航モードを無効にし、飛行速度を時速約 30 マイル( 48 キロ)に制限していた。これは、誤ってギアを上げないようにするためだと彼らは言っていた。たしかに、もしこの機体の巡航モードが無効になっていなかったら、私はもっと速度も高度も上げていたであろう。遠くの丘の方まで飛び、戻って来なかったであろうし、まだそこにいたであろう。機体の振動が私の身体まで伝わってきて、自分が機体と一体化したような錯覚に陥った。なかなか楽しい飛行体験であった。快適さは十分に認識できた。しかし、便利か否かという検証はできなかった。そんなことはすっかり忘れてしまったからである。今回は飛行の快適さがわかっただけで十分である。私は目の前のモニターをちらっと見ながら、シミュレーターで練習したゆっくりとした降下を開始した。もっと飛行していたかったが、着陸シーケンスを開始した。♦

以上