How to Build an Artificial Heart
(人工心臓の作り方)
Millions of hearts fail each year. Why can’t we replace them?
毎年数百万人が心不全になっています。何とかして完璧な人工心臓を作れないか?
By Joshua Rothman March 1, 2021
ビバコア社ティムズ代表が人工心臓の開発に取り組んだ経緯
ダニエル・ティムズは、2001年に人工心臓の研究を始めました。22歳の大学院生で生物医工学の研究をしていました。オーストラリアのブリスベンで両親と一緒に暮らしていました。彼が修士論文のテーマを検討している頃に父親のゲイリー(当時50歳)が心臓発作を起こしました。当初は心臓弁膜症だと思われていましたが、すぐにゲイリーは重症心不全であることが判明しました。心不全が徐々に悪化するものの何年かは生存できるだろうと推測されましたが、残された時間はあまり無いと思われました。それで、ダニエルは論文のテーマを人工心臓に決めたのでした。
ゲイリーは配管工で、ティムズの母親カレンは高校で理科助手をしていて、自分たちで家の中を修理したり改造したりしていました。そんな両親に似たのか、ティムズはゲイリーと一緒に裏庭で作業することが良くありました。手の込んだ噴水や滝を備えた池を作ったりしました。ですから、ティムズとゲイリーが人工心臓について一緒に研究することになったのは極めて自然なことでした。2人はホームセンターでチューブやパイプやバルブを購入し、自宅のガレージで心臓の大まかな模型を作りました。ティムズは人工心臓の歴史について学び始めました。初めて人間に人工心臓移植が為されたのは1969年で、ヒューストンのテキサス心臓研究所の外科医デントン・クーリーによって為されました。移植されたハスケル・カープは、移植後64時間生存しました。ハスケルの身体から心臓が取り出された後にそれだけ生存したことを考慮すると、大成功でした。ティムズとゲイリーの2人は数年で人工心臓を作り、ゲイリーに移植手術をすれば問題を全て解決できるだろうと考えていました。
しかし、実際にはそんなに容易なことではなく、いろいろ議論をして試行錯誤が続きました。何が難しいかというと、移植できるほど小さな人工心臓を設計することでした。それは、年間3,500万回拍動し、毎日2,000ガロンの血液を循環させ、何年も絶え間なく稼働させなければならないのです。数十年の間に、さまざまな人工心臓が登場し、移植された者の存命期間は数日、数カ月、数か年と伸びていきました。しかし、彼らの生活の質は貧弱なものでした。身体がチューブで大型の機械に接続されていました。しばしば脳卒中や感染症に苦しまなければなしませんでした。移植した心臓は巨大すぎましたし、パーツが摩耗してしまうこともありました。毎年、世界中で数百万人もの人が心臓病で亡くなっています。しかし、移植可能な心臓の提供が少ないので、心臓移植は数千件しか行われていません。ティムズはいろいろ調べた結果、既存の人工心臓は永続的な使用を目的としたものではなく、心臓移植の機会を待つ間の一時しのぎが目的であることを知りました。実際には心臓移植の機会が訪れることはほぼ無いのです。
ティムズは過去の人工心臓について調べている内に、1960年~80年代におおまかな形が定まったことに気づきました。彼は、大幅に改善すべきことがあると気づきました。過去のほとんどの人工心臓は軟質プラスチックで作られていました。彼は耐久性の高いチタンで作成すべきだと思いました。旧来の人工心臓のポンプは、空気圧によって駆動して、チューブを通して空気が押し込まれていました。彼は電磁モーターを使った方が良いと考えました。最も大きな改善点は、従来の人工心臓は拍動性(心室からリズミカルに血液を送り出す)でしたが、彼の人工心臓は血液を絶え間なく継続的に送り出すようにした点です。彼は人工心臓のあるべき姿のスケッチ図を描き出しました。血液は、金属製ディスクが真ん中にある心室に流れ込みます。そのディスクが回転し、血液を肺や身体の他の部分に押し出します。それは、生物の心臓の動きを真似するのではなく、全く新しい発想で作られた人工心臓で、機能的で無駄のないデザインでした。そのスケッチ画の下に、彼は「素晴らしい!」と書きました。
ティムズとゲイリーの2人はガレージでプロトタイプを作りました。透明なプラスチックで作りました。水を使って、小さなビーズを赤血球に見立てていましたが、問題なく循環させることが出来ました。しかし、問題が1つありました。回転するディスクの下で、水流が留まり、ビーズが滞留してしまうのでした。その滞留は危険でした。なぜなら、血球は密集すると凝固する傾向があり、脳卒中を引き起こす可能性を高める血餅が出来てしまうからです。ティムズはSkypeで日本のある研究者に相談しました。その研究者は高速鉄道の磁気浮揚システムの専門家でした。それで解決策を見い出せました。より強力な磁石を使って回転するディスクを心壁から浮いているような仕組みにしました。そうすることで血液の流れが良くなり滞留を防げます。この磁気浮揚方式を採ることによって、どの部品も接触することがないので摩耗する心配も排除できました。
ティムズはまだ大学院生でしたが、父親が治療を受けていたブリスベン病院の心臓病専門医たちとミーティングしました。その時、彼は鞄からプラスチック製の人工心臓を取り出して、自分が作った人工心臓がどのように機能するかを説明しました。1人の医師は興味が持てないらしく、ミーティングから出て行きました。もう1人の医師はティムズに額は大きくないものの俸給と地下の研究室の提供を申し出ました。2004年に、ゲイリーは心房の弁の置換手術後で療養中でしたが、ティムズは心室のプロトタイプを作る研究していました。まもなく彼はそれを使って羊を数時間生き続けさせることに成功しました。過去の多くの人工心臓の研究者と同様に、容易にさらに進化させることができるだろうと楽観視していました。
今日、それから15年以上経っていますが、ティムズが興した会社ビバコア社は、ロサンゼルス郊外のセリトスに研究施設を構えています。ヤシの木と花の生け垣に囲まれた建物で、十数人の研究者が働いています。昨年、パンデミックの前でしたが、23歳の生体力学が専門の研究者ウィルソン・シエが実験室で、結束バンドを使って最新バージョンのビバコア社の人工心臓に旧型の補助人工心肺を取り付けました。その補助人工心肺は「ループ」の名で知られていますが、ティムズが父ゲイリーと協力して構築したものを大幅に改良したものでした。プラスチック製のチューブ等でできており、高さ約4フィート(約121センチ)で、ジェットコースターの模型のようでした。人間の血液と同等の粘度に調整した砂糖水で満たされていて、バルブを調整することによってさまざまな状況を、血圧を高くしたり低くしたりとか、立ち上がるとか、走る等の状況をシミュレートできました。一方、それに取り付けられた最新の人工心臓はチタンで出来ていて黒と金色で、とても硬そうでした。4つの開口部があり、大動脈、大静脈、肺動脈、肺静脈につながるように設計されていました。それは1本のケーブルで、黒い辞書くらいの大きさのコントロールボックスに接続されていました。ケーブルは腹部の皮膚を貫く形になるので、その人工心臓を移植された人は常にそのコントロールボックスを携帯する必要がありました。
シエが旧型の補助人工心肺「ループ」のバルブを調整すると、ヒューという音がして空気が排出されました。電気技師のニコラス・グレートレックス(オーストラリア人)がパソコンでコマンドを入力すると、最新の人工心臓の電磁石に電流が流れ始めました。砂糖水が補助人工心肺「ループ」を通って流れ始め、低い振動音を発しながら稼働しました。
ビバコア社の人工心臓と人間の心臓は全く異なった原理で動いています。人間の心臓は大きく左右2つに分かれています(さらにそれぞれ心室と心房に分かれています)。まず、血液は右心室から肺へ流れます。その際に肺に酸素が補給されます。それから、左心房に循環して戻ります。次に強力な左心房によって押し出されて全身に流れ込みます。ビバコア社の人工心臓は左右に分かれていません。「ローター」という回転するディスクを使用して2方向へ血液を送り出します。そのローターの両側面は異なった形状をしており、2方向とも適切なレベルの血圧になるように設計されています。健康な成人の心臓は1分間に60〜100回拍動しますが、ビバコア社の人工心臓は1分間に1,600〜2,400回ほど回転します。
そのような人工心臓を使っている人の脈を測ると、脈動は感じられません。ただ、庭のホースをつまんだ時のような感じで一定の圧力が感じられるだけです。しかし、一部の心臓外科医や循環器専門医は、拍動しない人工心臓について不快感を抱いています。コンピューターのキーボードを使って、グレートレックスはローターの速度を変えるコマンドを出しました。「ローターの回転速度を早くしたり遅くしたりすることで、人工的に拍動させることも出来ます。」と彼は言いました。私は手を伸ばして、補助人工心肺「ループ」の1つの白いゴム製ホースに触れてみました。それは、不思議なことに暖かく、普通の人の脈をとった時とほとんど同じ感触でした。
「血圧は上が100で、下は70です。医者がその数値を見たら、『あなたは全く問題ありませんよ!』と言うでしょうね。」と、グレートレックスは自分の手首に触れながら嬉しそうに言いました。米疾病対策予防センターによると、アメリカでは推定で620万人が何らかの形で心不全を患っています。そうした人たちは、時に衰弱し、息を切らし、不安を感じたりします。人工心臓でそうした症状が改善できることが全く無いわけではありません。
ビバコア社は過渡期にあります。製品を販売したことはなく、ベンチャーキャピタル、エンジェル投資、政府の助成金に頼って運営されています。ビバコア社の人工心臓は羊や子牛に移植され、何ヶ月も生存させ、時にはトレッドミルの上で軽く運動させることにも成功していました。現在は、人間に人工心臓を移植する許可を得るためにFDA(米食品医薬品局)に申請書を提出する準備をしています。動物に移植するのと人間に移植するのとでは、規制のレベルが全く異なります。人工心臓の研究・開発が始まった頃には、研究者は死にかけている人に緊急措置的に人工心臓を埋め込むことが出来ました。あくまでも命を救うための最後の手段でした。その際に、どのように機能しているかを確認することができました。それから、倫理的な問題は別にして、長足の進歩がありました。今日では、そのような実験的な移植は禁止じられています。臨床試験を開始する前には、人工心臓を完成させて承認を受けなければなりません。臨床試験は何年もかかります。また、その人工心臓が完璧でないと判明した場合には、また一からやり直さなければなりません。ビバコア社は現在、臨床試験の許可を申請する人工心臓にどういった機能を盛り込むべきかを精査中です。間違った判断をすると会社は潰れてしまう可能性もあります。ほぼ確実に、その臨床試験が失敗してしまったら再度やり直すことは不可能でしょう。
ティムズは現在42歳です。ブリスベンで人工心臓の研究を始めて以来、彼はその研究にずっと没頭しいます。仕事のためとはいえ、外科医や工学博士と共同研究するために、ドイツ、台湾、ヒューストンと移り住みました。彼は物静かで警戒心が強いので、TEDで講義をするような人とは正反対です。彼は、生計の糧を得るために、自分のことを人々に話すことは好きではありません。話が長引いて研究に遅れが出るようなことも極力避けたいのです。彼はジーンズにランニングシューズ、上から3番目のボタンまで外したしわくちゃのシャツを着て、私を研究室の奥の部屋に連れて行ってくれました。そこには人工心臓の試作品が6個置かれていました。16カ月間絶え間なく駆動していました。「重要なのは、決して止まることがないことを示すことなのです。」と彼は言いました。循環する水の音が聞こえていました。彼自身も動き続けているのではないでしょうか。彼は数十年間十分な睡眠をとっていないように見えました。
ティムズと私が研究室から出る途中、会議室を通り過ぎました。そこでは、1人の女性エンジニアがビデオチャットで何やら説明をしていました。ビバコア社が移植前にどのようにテストするかということについてのようでした。ティムズ用の部屋の家具や机は一般家庭用のものでした(それらは、会社設立時にある支援者から貰ったものでした。その人はヒューストンの家具販売会社を経営していました)。きちんとプレスされたシャツが壁際にハンガー掛けされていて、部屋の隅にはロードバイクが置かれていました。
ティムズはきしむ椅子に座って、2006年に父ゲイリーを病院に連れて行ったことを思い出しました。ゲイリーは弁置換手術をしたことによって、心臓の機能を取り戻しました。しかし、それは一時的なものでした。ティムズは言いました、「彼の人工弁付近に血餅が出来ていました。それが血流を阻害していました。阻害されたのは心臓の左側と肺への血流でした。」と。ティムズは手振りも加えてその状況を説明してくれました。左胸から胸骨、そして首までを指でたどり、下水に水が詰まるように血液が詰まったと説明しました。その後、ゲイリーには、水腫が出来て、咳き込んで血が出ました。血液が肺膜から溢れ出たのが原因でした。
その2週間後、ティムズはドイツにいました。ポンプの専門家と会っていました。その時、父ゲイリーの状況が急変したとの連絡を受けました。それで、彼はすぐに舞い戻りましたが、父親と最後の会話を交わすことは出来ませんでした。ティムズは言いました、「父はICUに入っていました。気管開口術などあらゆる手立てが為されていました。父の死によって私の決意はさらに強いものになりました。さらに研究を進めようと思いました。」と。
私はティムズに尋ねてみました。本当に20年前に人工心臓を開発できると確信していたかどうかを。しかも、それを父親の命を救うために、間に合わせることができると確信していたかどうかを。
彼はうなずきながら、言いました、「最初、私が思っていたのは、父のために移植できる人工心臓があれば、寿命はさらに5~10年は延びるだろうということでした。そうすれば、私が結婚して子供をもうけるのを見届けることが出来るだろうと。当時考えていたのはそんなことです。」と。続けて、彼は笑いながら言いました、「5~10年経っても、実際にはそんなことは起こりませんでしたがね。」と。彼は未だ結婚していないことと子供がいないことについて述べたのでしょう。それから、彼は自分の机の書類の辺りを指して言いました、「私は研究にかかりきりでしたからね。」と。