人工心臓開発の歴史 心臓の完璧な代替品を作ることは無理なのか?

各社が撤退する中でのシンカーディア社の奮闘

アビオコアの開発は中止となりました。ビバコア社が撤退してから数年経ちました。今日、移植可能な人工心臓を製造および販売している会社は1社、アリゾナの州ツーソンのシンカーディア・システムズ社のみです。その会社は救済措置として設立されました。ロバート・ジャービックが設立を支援したユタ州のシムビオン社は、品質管理の問題で、1990年に人工心臓ジャービック7に対する米食品医薬品局からの承認を取り消されました。それで、そこで培われた人工心臓に関する技術は、他の企業に引き継がれました。その企業は10年間に渡ってジャービック7の改良と臨床試験を続けましたが、2001年に資金が枯渇しました。しばらくの間、人工心臓の技術開発は地球のどこでも行われていないような状況でした。しかし、2人の心臓外科医と1人の医療機器開発者が資金をかき集めてジャービック7のの権利を購入しました。人工心臓の名前をシンカーディアトータル人工心臓(略してTAH)に変えました。現在は、砂敷きの駐車場を囲む建物数棟を拠点にして、年間100個ほどの人工心臓を販売しています。それらはすべて空気圧を利用していた旧式なジャービック7に改良を加えた後継機種でした。シンカーディア社は、人工心臓を移植できる心臓外科医のネットワークを構築することに成功しました。しかし、あまり利益は出せませんでした。米連邦破産法第11章を申請し、新たな投資家グループによって買収されました。それから、新型コロナのパンデミックに対応に追われることとなり、米国中で人工心臓の移植手術がキャンセルされてしまったので、手指消毒剤の製造をしていました。
 シンカーディア社のプログラム管理部長カレン・スタムと工学博士マット・シュスターと一緒に、私は1人の技士が洗浄されたきれいな部屋で人工心臓を組み立てているのを窓越しに見ました。シュスターは言いました、「人工心臓を組み立てる際の肝は、当社が使っている材料にあります。セグメント化ポリウレタン溶液を使っているのです。当社ではそれを頭文字をとって”SPUS“と呼んでいます。」と。シュスターは補足するように言いました、「SPUSはこの研究施設内で製造しています。当社独自の製造法で作っています。まるで樹液や濃厚な蜂蜜のように、当社の製造設備から生み出されています。」と。歯科用のピックを使用して、技士はその粘度の高い液を塗り重ねているように見えました。半透明な液体でした。1つの人工心臓の組み立てには2週間半を要します。
 私たち3人は使用済みの人工心臓を分析するための部屋の横をとおりました。シュスターは言いました、「人工心臓が戻ってきたら、ここで分解して分析します。」と。次に入った部屋には、棚に数十個の水の入った容器がありました。それぞれの容器に1個づつ人工心臓が入って拍動していました。棚にはいくつものエアポンプやバッテリーや機器類も置かれていました。部屋の中の音は大きく耳をつんざくようでした。短い間隔で続くドーンという音が沢山していて、タイプライターのような機械音と混じりあっていました。ドーンという音は1秒間に2回のペースを機械的に維持していました。まるで製本工場にいるかのような騒音でした。「ここで人工心臓が長期間を駆動させるための研究をしています。」とスタムは騒音に負けないよう大声で言いました。その部屋の片側にあったのは、小さな患者が使用する人工心臓で、サイズ的には50ccの容量でした。反対側にあったのは、70ccの容量のもので大人用でした。スタムは弁当箱ほどの大きさの機械式ポンプを指さして言いました、「このポンプが機械的な音を発しているのです。」と。それは、容器内の人工心臓にエアチューブで繋がっていました。彼女によれば、カチカチという音を発してていたのは人工心臓内の心弁だということでした。
 シンカーディア社の人工心臓では、駆動装置に特徴があり、優れた革新的な技術の結晶です。その人工心臓は2つの駆動装置の内の1つによって駆動されます。片方は小型冷蔵庫程の大きさで、もう片方はトースターほどの大きさです。いずれもデフリースの患者が使用していたものよりはるかに小さなサイズです。そうした駆動装置は、警告ランプが点灯してからも数カ月は稼働し続けます。それが点灯したら、速やかに他の駆動装置に繋ぎ替えなければなりません。電源が切れて駆動しなくなるのではないかというような心配は無用です。私が見ていると、容器内の水はリズミカルに小さなさざ波を立てていました。それは、人工心臓が必死に血液を押し出している余波によるものでした。心臓は毎分5〜6リットルもの血液を身体に送り出さなくてななりません。
 私は質問しました、「人工心臓が人間に移植される際にも、音は大きいのですか?」と。
 スタムが返答してくれました、「はるかに静かですよ。しかし、全く聞こえないという程ではありません。患者さんが口を開けた時に、周りの人にカチカチという機械音が聞こえたというような話を聞いたことがあります。」と。彼女が言うには、移植してしばらくその音が気に障るような人も中にはいるようです。が、そんな人たちもしばらくすると、慣れるようです。そもそも、その音が無かったら生きられないわけですから。
 私たち3人は建物内の倉庫のような所を通り抜けました。そこには、十数個の人工心臓が棚に保管され、出荷を待っている状態でした。いくつもの箱に入った移植手術用キットが整然と区分され保管されていました。キットの中には移植手術で必要なものが全て入っています。次に、駐車場を横切って別の建物へ行きました。そこは、天井の高い研究用の部屋でした。技術者の一団が待ってました。全員が防護メガネを着けていました。その内の1人が砂時計のような形をしたプラスチックの小片を私に手渡しました。SPUSでした。少し乳白色の半透明で、なめらかでしたが、指先で触ると滑りにくくく感じられました。信じられないほどの伸縮性がありました。砂時計の底と首にあたる部分を持って元々の長さの数倍にまで引っ張ってみましたが、簡単に元の形に戻りました。
 戸口の外に、高さ12フィートもの巨大な使い古された機械があるのを覗き見ることが出来ました。私には、デリック(ワイヤーロープで荷物を吊り上げる機械)とキッチンブレンダーを組み合わせたような機械のように見えました。シンカーディア社の生産部長トロイ・ビリャソンが、「その機械はSPUSリアクターで、1960年代から稼働しています。当社は、安定した供給を保証するために、2010年代前半にその機械を購入しました。この機械は人工心臓の全ての歴史を見てきたことになります。」と言いました。しばらくの間、私たちは、この機械がジャービックが開発した世界初の人工心臓の作成にも使用されただろうかどうかを考えていました。シュスターは言いました、「間違いなく使われたでしょうね。」と。
 私はシンカーディア社の4人の患者の写真が貼られているホワイトボードの前で立ち止まりました。その下にはラフな手描きの図などが描かれていました。1人目の写真は、黒人男性で、病院のベッドで横たわり買い物袋を持っていました。2人目は、はげかかった白人男性で、ゴルフコースでシャツの裾から細いホースが伸びてクラブケースに繋がっていました。3人目は、10代の金髪の少年で、弟と妹と一緒に座っていて、バックパックを背負っていました。「私たちはモチベーションを維持してくれるような写真を壁に貼るのが好きなんです。」とビリャソンは言いました。4人目は、9歳の少年で、シンカーディア社の心臓を受け取った中では最年少でした。シンカーディア社の人工心臓を移植した中で最も長く生存した人は、手術後7年ほど生存しました。それは、1980年代のことでした。その人はライフ誌の表紙を飾りました。
 シンカーディア社が直面する最大の問題の1つは、陳腐化です。シンカーディア社の人工心臓の基になっているのはジャービック7ですが、約40年前に設計されたものです。それが米食品医薬品局からの初の承認を得たのは数十年前のことです。今日、その人工心臓の1つのパーツ(ボルトやバルブや抵抗等)を変更するのにも承認が必要なことがあります。部品供給メーカーが廃業したり、仕様を変更したりすると、シンカーディア社の研究者は、代替用のパーツを探し出し、テストして、承認を得なければなりません。また、常にSPUSリアクターに重度な故障が発生しやしないかと心配しています。壊れてしまったら、新たに作って承認を得るとなると、1年はかかるでしょう。そうなると、患者に人工心臓を提供できなくなる可能性もあります。旧式の装置の保守費用は高額になりがちです。古い製造装置を何とかして修理したり、それを買い替えるにしても、大昔のものと全く同じものを生み出すのが目的なのですから、ちょっと馬鹿げています。シュスターは言いました、「私はかつて航空宇宙産業で働いたことがあります。航空宇宙防衛システムの大規模な変更を行う方が容易でした。人工心臓でちょっとしたことを変更するよりも。」と。それを聞いて、私は、シンカーディア社の人工心臓を移植した患者はこの会社の浮き沈みを気にかけながら生きなければならないことを知りました。
 米国では、人工心臓を移植するために心臓外科医が訓練を受けらる病院の数は20未満です。「大きなマーケットではないのです。」とシンカーディア社のCEOドン・ウェバーは私に言いました。彼は自分のスマホを取り出してエクセルファイルを開き、その時点で人工心臓を待っている全ての患者が載った待機者リストを見せてくれました。「私たちは毎日このシートを更新しています。毎日のように電話があり、ショートメッセージ、電子メールが届きます。その中に、人工心臓の移植対象となる人がいることもありますが、全員ではありません。」と彼は言いました。先ほどのスマホ上のリストでは、待機者の名前が縦に並んでいて色分けされていました。
 シンカーディア社は、クーリーが1960年代に遭遇したのと同じ問題に直面しています。それは、人工心臓の移植を検討するうような患者は非常に状態が悪いということで、移植を待つ間に更に病状が悪化して手遅れになってしまうということです。ウェバーは言いました、「人工心臓を移植されるには待ち続ける必要があります。先ほど見た待機者リストを、週末に見ても、来週になってから見ても、全く同じように見えます。待機者は待って、待って、待つしかないのです。」と。待機者は待つ期間が長くなるほど、人工心臓の移植とその後の心臓移植を生き残る可能性が低くなります。「人工心臓を移植すると決定するのは簡単なことではありません。その際にはいろんな人たちが参画します。外科医、循環器専門医、総合病院診療医、全てが同意する必要があるのです。」とウェバーは言いました。
 ビジネススクールでは、発明と革新についていろいろと教えてくれます。説明するために多くのさまざま比喩が使用われたりします。テクノロジーは継続的および非継続的な方法で進歩する可能性があると教わることもあります。新製品は「普及曲線」を上っていくるか、有用性の溝を埋めなければなりません。誰もが欲しがるほど小さくなるまで、携帯電話を欲する者はいませんでした。電気自動車は実用的ではないと考えられていましたが、ハイブリッドエンジンの登場によって、多くのドライバーがそのテクノロジーへの理解を深めたことにより、普及が加速しています。
 人工心臓は特異な課題に直面しています。最新の人工心臓を移植することを望む者は、差し迫った死に直面している人たちだけです。米国では毎年6万6千人近くが心臓病で亡くなっています。これはパンデミックによる死者数とほぼ同等ですが、誰も危機感を抱いていません。ますます多くの米国人が心臓疾患を患ったまま生きています。人工心臓をもっと普及させるには、人々が本当に移植したいと思うような人工心臓を開発する必要があります。そうなれば、誰もが心不全で死ぬよりも、人工心臓を移植して生き延びたいと思うようになるでしょう。股関節が不自由になるくらいなら、誰もが股関節換装術を受けるようになったのと同じことです。しばらくの間は、人工心臓が広く普及するまでは、それはニッチな製品のままなので、それを必要とする人たちの中には入手できない人も多いでしょう。ウェバーはスマホの待機者リストをスクロールしました。私は、ひょっとしたら、その中にジェスの名前があるのではないかと思い覗き込もうとしましたが、彼はスマホの画面をを消しました。