本日翻訳し紹介するのは The New Yorker の Web 版に 10 月 26 日に投稿された Nicholas Dawidoff の寄稿でタイトルは” Baseball Is for the Losers “(敗者に目を向けるのも野球の楽しみ)となっています。ワールドシリーズ開催前に書かれたものです。
Nicholas Dawidoff は、スタッフライターではありません。6 冊の著書があるようです。スニペットは、” As two moneyed titans vie for a championship, it’s time to pour one out for the vanquished. ”(2 大金満球団が優勝を目指して争っているが、今こそ、敗者のために乾杯すべき時である)となっていました。
さて、ワールドシリーズは、昨日終了しました。ドジャースが優勝しました。ヤンキースは、アーロン・ジャッジのやや軽率なエラーが引き金となって逆転を許してしまいました。ジャッジは敗戦の責任が自分にもあることを十分に認識しているようで、痛恨の面持ちでした。ヤンキースファンでなくても、ジャッジの苦し気な姿を見るのは辛かったのではないでしょうか。私が偉いなと思ったのは、ジャッジが真摯に丁寧に記者の質問に答えていたことです。戦犯となった選手がインタビューに応じないことも多いわけですが、それは致し方ないことだと思います。
勝者がいれば、敗者がいる。勝者だけでなく、敗者にも目を向けるべきです。そこにこのスポーツの奥ゆかしさを見出すことができる。というのが、このコラムの主旨でした。痛恨のミスを犯した選手がいたって、それを責めるべきではありません。ミスをしなかった勝者が勝っていただけのことなのです。
ここで逸話を 1 つ紹介します。1986 年のレッドソックスは 68 年ぶりの世界一までアウトカウントあと 1 つのところまで漕ぎ着けていました。そこでファーストのビル・バックナーは痛恨のエラーを犯します。足腰に故障を抱えていたバックナーがミットを早く閉じすぎたため、凡ゴロが彼の脇を通り過ぎました。その試合を落とし、メッツに続く第 7 戦も制され、優勝を逸しました。ロッカールームで、バックナーは多くの記者の質問攻めにあいました。でも、バックナーはジャッジと同様にすべての質問に懇切丁寧に対応したのです。素晴らしい人格者です。
しかし、報道陣は残酷でした。ロッカールームにバックナーがシャワーを浴びて戻る前に、記者たちは冗談を言っていたのです。その 1 つは、「ビル・バックナーとかけてマイケル・ジャクソン( Michael Jackson )と解く。その心は、2 人ともグローブをしているが、いずれも全く役に立っていない」というものです。死体を踏みにじるような行為です。バックナーは後々まで嫌がらせを受けたそうです。現在のメジャーリーガーは、自分がいつそうした辱めを受けるかもしれないという恐怖を常に感じながらプレーしているのかもしれません。スポーツ観戦では、良いプレーは褒める、悪いプレーは笑って直ぐに忘れるという心持を忘れないようにしたいものです。
では、以下に和訳全文を掲載します。詳細は和訳全文をご覧下さい。