ワールドシリーズ 最高だった!でも、時には敗者の物語にも目を向けよう。このスポーツには奥ゆかしさがある。

4.ピッチクロック導入など野球は変わりつつある。本質的な魅力は全く損なわれていない。

 今年のリーグ優勝決定シリーズに進出した 4 チームの中で、ニューヨーク・メッツはゲームに明らかに喜びを感じているように見える唯一のチームであった。メッツの年俸総額はメジャーリーグトップであるが、それでもまだ長年染み付いた負け犬根性が抜けていないところがある。ファーストのピート・アロンソ( Pete Alonso )は、ミルウォーキー・ブリュワーズ( Milwaukee Brewers )との地区シリーズ第 1 戦で勝利した後、ウィスコンシン州の畑で購入したカボチャを遠征に帯同させていた。げんを担いだのだが、それを「プレーオフ・パンプキン」と名付けていた。このチームはチームワークが良い。チームの良い雰囲気については、多くの逸話が伝わっている。セカンドのホセ・イグレシアス( Jose Iglesias )は「OMG(訳者注:オー・マイ・ゴッドの略号)」という楽曲でデビューしヒットさせた。多くのメッツプレイヤーが 「OMG」のロゴのあるスキー帽をかぶっている。ショートストップのフランシスコ・リンドール( Francisco Lindor )はクリーブランド・ガーディアンズから 3 億 4,100 万ドルで移籍してきたチームの顔的存在である。太陽のような明るい性格で、誰からも愛されている。彼のニックネームはミスター・スマイル( Mr. Smile )である。彼は、ベースボールプレイヤーになっていなければ歯科医になっていただろうと言う。

 メッツは魅力的なチームだったが、プレーオフ・パンプキンによって幸運がもたらされることはなかった。ドジャースがメッツを敗者にしたのは、より冷静さを保ってプレーしたからである。全員がボールをよく見極めようとした。カウントを稼いでフォワボールで出塁し、上位打線に座る大谷とベッツが容赦なく役割を果たし、他のプレイヤー全員もプランを忠実に実行した。今日、ワールドシリーズで勝利するためには、スーパースターの活躍が不可欠である。ヤンキースとドジャースはたくさんのスーパースターを抱えている。両チームが他よりも高い給料を払っているからである。スーパースターたちの能力は非常に高いわけだが、それ故に彼らがゲームに集中できる環境を提供することが重要である。2017 年にヤンキースのルーキーだったジャッジはタイムズスクエアに住んでいたが、チームメイトのブレット・ガードナー( Brett Gardner )の助けを借りて、ウエストチェスター( Westchester )郡アーモンク( Armonk )の小さな村で牧歌的な生活をおくるようになった。物腰の柔らかいジャッジが野球への取り組み方について語る時、彼はプロとして心を平穏に保つために最大限努力していると説明する。この「浮き沈みの激しいスポーツ」では「常に全力を出すことが重要」であり、プレーヤーは常に前向きな気持ちで、過ぎたことは直ぐに忘れるようにし、「どんなことも大きく考えすぎない」必要がある。「余計なことは無視するしかない 」と彼は結論づけている。

 今年の注目選手には、ドジャースの日本生まれの身長 6 フィート 4 インチ( 193.0 センチ)の大谷翔平もいる。並外れた体力と優れたテクニックが武器で、ホームランバッターとしても三振を奪うピッチャーとしても優れている。このような稀有なレベルで両方をこなした最後のプレイヤーはベーブ・ルース( Babe Ruth )まで遡る。右肘の手術から回復途上にある大谷は今年はピッチャーとして登板する機会が無かったが、それを埋め合わせる活躍をした。史上初の 50 本塁打 50 盗塁を達成した。報道メディアがルースのことをしばしば引き合いに出すため、多くの野球ファンもルースのことをよく知るようになった。ルースは、その卓越したプレーから野球の神様( Sultan of Swat )とも呼ばれ、並外れたカリスマ性が備わっていた。大食漢で誰からも愛された。当時のプレイヤーは、おそらく今ほど報道メディアから追い回されることも無かっただろう。より身近な存在だったと推測される。大谷は、記者と毎日のように野球談議に花を咲かせることはない。記者会見等には、通訳を同伴して現れる。大谷は、以前の通訳によってスキャンダルに巻き込まれた。通訳がギャンブルでこさえた借金返済のために大谷の銀行口座から約 1,700 万ドルを盗んだことが明らかになっている。大谷が関与していなかったことが明らかになっているが、これほど巨額の窃盗に気づかなかったことを今でも不思議に思っている者は少なくない。

 その理由の 1 つは、大谷が野球という密閉された空間に閉じこもっていることにあるのかもしれない。ナ・リーグ優勝決定シリーズ第 4 戦の後、彼は短いインタビューに応じた。ボス( Hugo Boss )のパーカーを着ていた。黄土色で明らかにオーバーサイズだった。初めて経験するポストシーズンについて簡潔に語った。「このプレーオフの環境でプレーできることに感謝している」と彼は言った。ゲーム前のアプローチはいつもと変えていないという。 「明日また良いゲームをすることだけに集中している」。多くの記者の英語の質問に耳を傾けながら、大谷は理解していることを示すべく頻繁にうなずいていた。数日前に記者会見で、初めてのポストシーズンで緊張しているかと聞かれた時、彼は即座に英語で 「 Nope! 」と答えた。彼には、私たちが決して理解することのできない困難があるに違いない。

 近年、メジャーリーグではさまざまな改革が行われている。時間短縮のため、ピッチコム( PitchCom:ピッチャーとキャッチャーの間でサイン交換に用いる電子機器 )やピッチクロック( pitching clock )などが導入されている。ピッチャーが球を投げる制限時間が設けられた。ランナーがいない時は 15 秒、そうでない時は 18 秒以内である。バッターは、制限時間の 8 秒前までに構えなければならない。そうした変化があったわけだが、野球の時代を超越した楽しさはまったく損なわれていない。ヤンキースの監督としてワールドシリーズを 4 度制したジョー・トーリ( Joe Torre )は私に言った。「多くのファンが他のスポーツよりも野球に共感してくれている。スーパーボウルのような 1 ヤードの前進で大騒ぎとなるような興奮はないかもしれないが、野球には人を惹きつける何かがある」。ア・リーグの優勝決定シリーズ第 2 戦のゲーム開始前、ガーディアンズのダグアウトの脇で、若くしてレフトの定位置を掴んだスティーブン・クワン( Steven Kwan )と話をした時に私はそのことをあらためて思い出した。その日のナイトゲームは風が強かった。クワンは、そんな日はアジャストしなければならないことが多いと言った。「風に対処するのは大変なんだ。ジャッジやスタントンがレフト方向にフライを打ちあげたら、僕はその下で瞬時に風の影響を予測して動き出さなくてはならないんだ」と彼は言った。「風が強いと守備位置で立っているだけでも大変なんだ。コンタクトを着け始めて 1 年目なんだけど、目を開けているのも大変なんだ」。私は昔から野球を見るのが好きだったが、プレイヤーの実体験に基づく話を聞くと、より興味が深まるような気がする。クワンの話には続きがある。こうしたコンディションにもメリットがあるという。「風が吹き抜ける音が耳にうるさいんだよ」と彼は言った。「でも、そのおかげで汚い野次を聞かなくて済むんだ」。♦

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