It Will Take More Than a Vaccine to Beat COVID -19
(COVID-19に勝つには、ワクチンだけでは不十分)
Vaccines are making progress, but they may not defeat the virus completely. Luckily, other therapies are on the way, too.
ワクチンは進歩を遂げています。しかし、それだけで完璧にCOVID -19を防ぐことを出来ません。幸運なことに他の手段も進化中です。
By Dhruv Khullar
September 8, 2020
新型コロナ用ワクチンは万能でないかも。それでも感染封じ込めは可能。
米国で初めてポリオが発生したのは、1894年の夏、バーモント州ラトランド郡でした。罹患すると、初期症状として、発熱、喉の痛み、疲労が現れます。時として、脳や脊髄を損傷し、患者は麻痺したり死に至ることがありました。現地で医師をしていたチャールズ・キャバリーは、その惨状を記録し、患者の位置と症状を詳細に残していました。次のような記録が見られました。「男、10歳、痙攣を起こし24時後死亡」、「男、月齢10か月、6日後に死亡、全身麻痺」、「女、11歳、3日後に死亡、麻痺は認められず」、「男、22歳。3日後に死亡、両足に麻痺あり」等々です。数週間以内に、132人に麻痺が見られ(ほとんどが小児)、18人が死亡しました。
それからの数十年間、ポリオの脅威は拡大しました。夏は、ポリオウイルスが最も大きな被害をもたすので、「ポリオシーズン」と呼ばれていました。子供も大人も、ポリオウイルスに感染しました。しばしば呼吸筋を麻痺させ、数千人の患者が鉄の肺(現在のような人工呼吸器が普及する前に使われた間欠的に陰圧にして胸郭を拡げることで呼吸を助けた)に閉じ込められした。1916年には、ニューヨーク市のポリオ患者は9000人で、それによる死者は6000人を記録しました。1921年8月、フランクリン・ルーズベルトは当時39歳の弁護士でしたが、帆船から落ちてファンディ湾の氷の海の中に落ちました。その翌日、腰痛になり、ほんの1週間後には立つことが出来なくなりました。ポリオウイルスの感染のペースと規模は加速しました。医療の進歩により、その後の数十年でポリオウイルスによる死亡率は低下したのですが、それでも1940年代には毎年3万5000人以上もの人の体に不具合が残りました。米国でポリオウイルスがピークを迎えた1952年には、感染者は約6万人に達し、死者は3000人以上でした。子を持つ親は子供を外で遊ばせないようになりました。各自治体は、”social-distancing(社会的距離)”対策を実施しました。サマーキャンプは実施されなくなり、学校は閉鎖されました。バーや劇場も閉鎖されました。
19世紀半ばの米国を襲った感染症はポリオだけではありませんでした。1900年初頭には、結核とインフルエンザが世界で最も致命的な病気の称号をめぐって競い始めました。結核は、肺や周辺の臓器に潜り込む細菌により引き起こされ、咳、くしゃみ、会話を介して拡がります。産業革命によって、都市近郊や職場には大勢の人々が集まる状況になっていましたので、感染拡大の可能性は高まっていました。一部の人々では、結核に感染しても時には数十年も結核菌は休眠状態です。ほとんどの人は、感染して結核菌が活性化すると直ぐに無残な死を迎えることとなります。ベッドシーツは汗でびしょ濡れになり、痰は血と混ざり合い、消耗の激しい病気でした。結核の犠牲者は、移民や囚人や貧困層などの脆弱な人々に多く、非白人の死亡率は白人の3倍でした。1953年、米国では84,000を超える新たな結核患者が発生し、約2万人が死亡しました。フランクリン・ルーズベルトの妻エレノアは、夫がポリオと診断されてから41年後の1962年に結核による合併症で78歳で亡くなりました。
米国がポリオを完全に撲滅し、結核をほぼ完全に根絶したことは、この国の公衆衛生上の最大の偉業です。しかし、その2つは、偉業が成し遂げられた事情が著しく異なっています。ポリオ撲滅が為されたのは、1つの解決策によります。ジョナス・ソークが1955年に注射で接種するポリオワクチンを開発しました。その2年後、アルバート・サビンが経口接種するワクチンを開発しました。その結果、1960年代には、ポリオの症例数は100以下まで急減し、70年代には10以下になり、1979年以来、米国では1人もポリオウイルスに感染していません。対照的ですが、結核には同じような特効薬的なワクチンは無かったのです。1921年にBCGワクチンが開発されました。しかし、半分くらいの人にしか効果はありませんでしたので、米国ではほとんどの人に投与されませんでした。
結核は、劇的にではなく、時間をかけて根絶されていきました。万能ではない治療薬と公衆衛生の進歩とが寄与しました。1940年代に、セルマン・ワクスマン(ラトガーズ大学の微生物研究者)は、始めて結核に有効な抗生物質であるストレプトマイシンを発見しました。ストレプトマイシンには神経損傷を含む深刻な副作用があり、また、容易に耐性菌を出現させるので、その結果として、他に数種類の薬も開発されました。それらは単独で使用すると、特に効果はありませんが、数か月にわたり数種類を合わせて服用することより結核を治すことができるようになりました。一方、結核の検査が全米中で容易に受けられるようになりました(医療関係者などは、それを受けることが必須となりました)。公衆衛生の要領・手順も改善されました。結核患者が出れば直ちに保健所に報告され、患者を隔離して接触者を追跡するようになりました。当時作られた仕組みは現在も現役です(例えば、当時規格が定められたN95マスクは、今でも結核患者を扱う現場で使われています)。その時期、米国内では住宅や衛生設備が継続的に改善されていたことと、治療薬の開発が相まって、結核の感染者数が減ると同時に致死率も下がりました。現在、世界では、毎年1,000万人が結核にかかり、その内150万人が亡くなっています。多剤耐性結核は、治療が困難なのですが、一部の発展途上国で広がっています。しかし、米国では現在、有史以来でも結核感染数が最も少なく、年間感染者数は約9000で、亡くなるのは約500人です。
現在、新型コロナウイルスとの格闘が続いていますが、誰もが、特効薬的な治療方法が出現することを待ち望んでいます。つまり、ワクチンが開発されて劇的にポリオが撲滅されたような状況になることを望んでいます。今年4月に連邦政府は、政府と業界が協力してコロナウイルスワクチンの開発、製造、流通を促進するための100億ドル規模のプログラムであるオペレーション・ワープ・スピードを発表しました。目標は非常に野心的なもので、2021年1月までに3億回分の投与を可能にすることです。国立アレルギー感染症研究所アンソニー・ファウチ所長は、それは十分実現可能だと信じています。ファウチは、「私の希望、期待は、2021年に1回ではなく複数回のワクチンを接種できるようにすることです」と言います。
多くの人が、コロナウイルスワクチンが開発されたら、パンデミックは急速に終焉を迎えるだろうと期待しています。しかし、全てのワクチンが”Salk”ワクチン(ポリオ用ワクチンの商標名)ほど効き目があるわけではないのです。多くのワクチンは、一部の人にしか効果がないか、あるいは、特定の年齢層にだけ効果があります。ワクチンによって得られる免疫力が時間とともに弱まってしまうワクチンもあります。ワクチンが開発できても、製造や流通が困難で多くの人に接種できないようなワクチンもあります。先週、米国疾病対策予防センターは、各州に連絡しました。コロナウイルスワクチンが配布されるのは今秋になる可能性があるので、それに備えるようにとの指示でした。ワクチンAとワクチンBの進捗状況が記されていました。おそらく、ファイザー社とモデルナ社がそれぞれ開発しているワクチンのことを言っているでしょう。たとえ、それらのワクチンが有望であったとしても、万能薬(全ての人に効果がある)であるという保証は全くありません。ファウチは、言いました「完璧なワクチンが出来ない限り(完璧なワクチンができる可能性は低いと想定されますが)、感染者の根絶は難しいでしょう。ですから、ワクチンの開発が為されるか為されないかに関わらず、他の治療法も必要になります。」と。
運よく万能なワクチンが出来る可能性が無いわけでもありません。しかし、そうならない可能性にも備えておく必要があります。新型コロナ対策として、結核を根絶したモデルのように、様々な方面から同時進行的に治療法、対策を開発しなければなりません。ですから、前例のないほどの速さで進められているのが、ワクチン研究プログラムだけでないという現在の状況はとても良いことです。現在開発中の3種類の治療法(抗ウイルス薬、抗体薬、免疫調整剤)は、間もなく使えるようになる可能性があります。それらを単独で使うとか、あるいはワクチンと組み合わせて使うことで、現在の状況を変えるとができるかもしれません。