抗体薬(回復後血漿)の開発も進行中。
抗ウイルス薬と同様に、抗体薬は侵入者の体内への拡散を妨害します。抗ウイルス薬と異なり、抗体薬は人間の体の細胞から作り出されます。誰かの抗体を他に注入するするということが肝です。抗体を他に注入する治療法には、長い歴史があります。18年代初頭、ベルリンの2人の医学者、エミール・アドルフ・フォン・ベーリングと北里柴三郎は、ジフテリアから回復した動物の血を採血し、それを他の動物に注入すると感染を予防、治癒できることを発見しました。彼らはモルモット、ヤギ、馬で試しました。すぐに、この療法は世界中の人間を治療するために使われるようになりました。1896年、医学雑誌ランセットは、それを「急性感染症の治療における今世紀最大の貢献」と称賛しました。
1901年、フォン・ベーリングはノーベル医学賞の最初の受賞者となりました。それから数十年経って、回復した患者の血液を使うようになり、「回復期血漿」や「回復期血清」と呼ばれるようになりました(血液のどの成分を使うかによって名称が異なる)。それらは、肺炎、髄膜炎、炭疽病、はしか、水痘等の疾患の治療に使われました。また、1918年のインフルエンザのパンデミックの際にも、多くの研究者が致死率を下げることを突き止めたので、使われました。100年前の研究ですから、今と違って限界はあったでしょう。それでも、現在でも、ほとんどの感染症専門家が、当時のその治療法は有効であったことに同意します。
1940年代になると、抗生物質が広く利用できるようになったため、回復期血清療法の活用は急激に減少しました。動物の血清を人間に使用すると合併症を引き起こす可能性があるというのも一因でした。しばしば発熱、悪寒、アレルギー反応等が引き起こされました。また、その有効性は症例ごとにばらつきがありましたし、抗体は特定のヒト病原体菌株と一致しないと効果がありませんでした(そのため、その時々で流行している1つのウイルスに対して数種類の抗体を準備する必要がありました)。それに対して、抗生物質は安全で信頼性が高く、製造が容易ですし、誰にでも効きます。1990年代に入って、それまでほぼ感染を抑え込めていた病原体の多くが抗生物質に対する耐性を持ってしまったので、回復期血漿への関心は再び高まりました。当時は、人間の血液も使用されるようになっていたので、以前よりはるかに安全でした。SARSやH1N1インフルエンザやエボラ出血熱に罹患している患者への回復期血漿の注入は、ウイルスを弱毒化する可能性を示し、場合によっては死亡率を低下させる可能性も示しました。しかし、ランダム化比較治験による証拠が不足していました。回復期血漿による治療に関する十分に管理された研究が始まるのを待たず、それらのウイルスの感染が各地に広がり、新しい感染者が増えていく状況でした。
8月、FDA(米国食品医薬品局)は、COVID -19の治療法として回復期血漿の緊急使用を許可しました。その決定は、メイヨークリニックの研究者による未発表の研究に基づいて為されました。その研究は、対照群(治験の際の)がなく、査読もされていませんが、入院後3日以内に回復期血漿を投与された患者は、入院後4日目以降に同様の治療を受けた患者よりも致死率がやや低いことがわかりました。記者会見にて、米食品医薬品局長官スティーブン・ハーンは、暫定的な調査結果しかないにもかかわらず回復期血漿の効果を誇張したので、科学者や政治家から幅広い批判を受けました。彼は後に陳謝することとなりました。一方、COVID -19の治療法のガイドラインを策定するために米国国立衛生研究所によって招集された専門家会議は、声明にて、「現在COVID -19の治療のための回復期血漿に関するデータは不十分であるので、その利用を推奨することも反対することもしない。」と表明しました。結局、専門家会議は、十分に制御されたランダム化比較治験が必須であると結論付けました。
7万人以上のアメリカ人がすでにCOVID -19の回復期血漿療法を受けています。薬物政策の専門家であるバッハは、米国でその有効性を判断するためのランダム化比較治験が1つも完了していないことに愕然としています。彼は言います、「とても忌まわしいことです。米国には世界レベルの研究機関が沢山あるにもかかわらず、有効性の決定的な証拠を得るための適切なランダム化比較治験をどこも実施していないのです。信じられません。何万人ものアメリカ人が既にその治療を受けていますが、本当にそれが機能するかどうかはまだ分かっていないのです。」と。ブロンクスにあるアルバートアインスタイン医科大学とモンテフィオーレ医療センターの感染症研究科主任研究者リーゼーアン・ピロフスキーは、その問題を解決しようとしています。ピロフスキーは、抗体による免疫を30年近く研究しており、現在、複数の医療機関において大規模な回復期血漿使用のランダム化比較治験を主導しています。何年にもわたって、ピロフスキーはとっくの昔に廃れてしまった治療法を研究していて、誰からも注目されていないように感じることもありました。しかし、COVID -19が出現しそれに対する有効な治療法が何も無いということが、彼女に機会を与えました。彼女は言います、「回復期血漿の研究者の多くは今とても興奮しています。抗体薬による治療法が感染症の治療で重要な役割を果たしていることに人々がようやく気付くかもしれないのです。」と。
それでも、血漿や血清による治療がどれくらい有用で、どれくらい信頼性が高く、どれくらい広く有効であるかという疑問は残ったままです。免疫により作られる抗体は非常に変化しやすいのです。COVID -19の感染者の血漿は、SARS -CoV-2に対して何千種類もの抗体が含まれている可能性があり、有効なのはその一部のみです。詳しく言うと、一部の抗体はウイルスの冠状スパイク糖タンパク質(これがウイルスが人間の細胞への侵入することを可能にしている)を見事に攻撃しますが、他の抗体はウイルスのあまり重要な役割を果たしていない部分に付着するだけです。そのうえ、いたちごっこになっていて、ウイルスは進化して免疫系に効果の無い抗体を作り出させることだけを目的とした偽の抗原を開発することもあるのです。
そのため、製薬会社は現在、最も効果的なSARS-CoV-2の抗体の分離を試みています。それが出来れば、大規模生産可能な単一クローン抗体と呼ばれる強力な抗体薬を開発することができます。そうした抗体は細胞の入った試験管の中で増殖され、後に人間に与えることができるように分離されます。7月に、ニューヨーク州タリータウンに本拠を置くバイオテック企業リジェネロン社は、抗体医薬品であるREGN-COV2の第3フェース治験に入ると発表しました。治験者は予定では100箇所2,000人規模です。開発責任者のクリストフ・キラツォスは言います、「私たちはCOVID -19と戦うための最良の抗体を分離し、そして、それらを大量生産しようとしています。REGN-COV2には、特にウイルスを無力化する効果の高いと思われる2つの抗体を組み合わせたものを含んでます。組み合わせるという手法は、”virul escape(ウイルスが免疫反応を回避する)”を防ぐこともできます。ウイルスは頻繁に変異する可能性がありますが、SARS -CoV-2について今までに私たちが知っていることを考えると、2つの抗体を同時に回避する可能性は低いと思います。」と。リジェネロン社は、まざまな状況で薬の有効性をテストしています。ウイルスに接触する前、接触した後、そして、感染してしまった後等です。
現在までに、FDAはウイルス標的抗体医薬品を1つだけ承認しています。それは、RSウイルス感染症の治療薬です。そのウイルスは健康な小人や大人に風邪をひかせるだけですが、未熟児には壊滅的な疾病を引き起こす可能性があります。2番目に承認されそうなのは、キラツォスが開発を支援したエボラ抗体医薬品で、現在承認審査中です。リジェネロン社はエボラ出血熱の薬を開発した経験があったことにより、コロナウイルスに対して素早い対応が出来ているのだとキラツォスは推測しています。リジェネロン社は最近、臨床試験が終わっていないにもかかわらず、REGN-COV2の製造を開始するために連邦政府と1億5千万ドルの契約を結びました。もし、その薬が有効であれば、アメリカ人はすぐに利用できるようになります。(抗体は丸薬の中に入れ込むことはできませんので、というのは胃酸で溶けてしまうからですが、静脈注射か筋肉内注射か皮下注射の形で身体に入れます。)
ニューヨークはパンデミックの真っ最中ですが、私は近くの病院でICUの看護をしていた女性を治療しました。彼女は何日も前から咳をしていて、症状が悪化し、彼女の夫が彼女の世話をしました。私は、彼が彼女の隣のベッドに寝込むことになってしまうまで、毎日午後に彼へ電話していました。私の勤務する病院では外来患者を受け入れていなかったからです。2人のその後は対照的なものとなりました。彼女が退院の準備をしようとした時、彼はICUに向かう途中でした。2人に関して、抗体薬と抗ウイルス薬がどのように使われたのかを想像するのは難しくありません。高リスクのエッセンシャルワーカーとして、彼女はコロナウイルスに感染する可能性を減らすために予防的に抗ウイルス薬を投与されていた可能性があります。彼女が感染した後、その薬を飲んでいたことがウイルスを打ち負かすのを助け、彼女がそれを他人に感染させる可能性を低くしたと思われます。もし、彼女の症状が深刻なものだったならば、彼女の夫も抗ウイルス薬を処方されたかもしれませんし、それで2人とも抗ウイルス薬の恩恵を受けていたかもしれません。そうすれば、重症化するのを防げたかもしれません(最終的には、彼は彼女の待つ自宅に帰ることができました。しかし、帰れたのはICUで数日過ごし病室で数週間過ごした後のことです)。予防の段階でも罹患した後でもあらゆる段階で、ウイルスを防ぎ、攻撃しなければなりません。この感染症を防ぐには、数種類の治療法を組み合わせた方が良さそうです。「抗ウイルス剤と抗体薬を組み合わせて使うのは、どちらか一方だけを使用するよりも優れている可能性が高い。」と、ピロフスキーは言います。