バイデンノミクスは輝かしい成果を残した!なのに、どうして有権者は評価しなかったのか?

2.バイデノミクスはこの国の至るところをカバーし、製造業を復活させている。

 夏の間、私はバイデン政権の閣僚 2 人に同行した。ジュリー・スー( Julie Su )労働長官代理とピート・ブティジェッジ( Pete Buttigieg )運輸長官である。バイデン政権のプロジェクトを推進するためアメリカ中を回った。2 人が主に訪問したのは海からは遠い、小さな町であった。バイデン政権の閣僚たちの奮闘ぶりを見ていると、社会主義的主張が受け入れられつつあった時代である 1930〜 40年代にタイムスリップしたような錯覚に陥る。訪問先は工場が多かった。高い金網フェンスがあり、開いた門から中に入り、守衛詰所を通り、工場へと続く長く寂しい道を進む。周囲にはフォークリフト、クレーン、トラック、巨大な金属製の小屋、サイロ、中に立つことができるほどの巨大な土管などが見える。

 7 月のある金曜日の朝、私はジョージア州ピーチ郡( Peach County )の郡庁所在地フォートバレー( Fort Valley )に行き、スーが電気スクールバスを製造する新工場を宣伝するのを見学した。バイデノミクスの全体像は抽象的で分かりにくいかもしれないが、この新工場を見れば具体的で分かりやすい。というのは、このプロジェクトはすべての主要なアイデアを統合したもので、良い具体例だからである。フォートバレーは、黒人居住者が多く、民主共和両党の支持が拮抗している田舎町である。歴史的に見れば共和党支持者が優勢であったが、まさしく民主党が働き掛けを強化している典型的な町である。町最大の企業はブルーバード( Blue Bird Corporation )である。国内最大級のスクールバスメーカーである。今後 5 年間で、環境保護庁のクリーン・スクールバス・プログラム( Clean School Bus Program )を通じて全国の数十の学区に 10 億ドル近い補助金が交付され、その一部はブルーバードの電気バス購入に充てられる。ブルーバードはエネルギー省の製造・エネルギー供給チェーン局( Department of Energy’s Office of Manufacturing and Energy Supply Chains )から 8,000 万ドルを受け取る予定である。要するに、バイデン政権が民間企業に惜しみなく資金を提供した形である。この資金は電気自動車産業育成に使われるわけで、このプロジェクトはクリーン・エネルギーへの移行と、製造業をアメリカ国内に戻すというバイデン政権が推し進める政策の一部である。放っておいて製造業が中国に移ってしまう事態を阻止する狙いが大きい。ブルーバードは 97 年の歴史で初めて従業員の労働組合結成の取り組みに協力しており、これはバイデンの労働組合支援策と一致するものである。

 フォートバレーでのイベントには、夏の日差しから聴衆を守るためのテント、多くの折りたたみ椅子、黄色いスクールバスの前に仮設の演壇が設けられ、ありとあらゆる場所に「アメリカの将来に投資( Investing in America )」の看板が掲げられた。ジェフェリー・ランディ( Jeffery Lundy )市長は冒頭で、新工場について「興奮して、夢心地である」と述べた。連邦政府、ブルーバード、そして神に感謝し、聖書のいくつかの節を引用して締めくくった。次に、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議( A.F.L.-C.I.O. )ジョージア支部委員長のイヴォンヌ・ブルックス( Yvonne Brooks )が登壇した。最後に、爽やかで快活なイメージのあるスーが壇上に上がり、この工場は気候危機の解決に役立ち、地域社会に雇用を創出し、小学生たちにきれいな空気を吸う機会を与えると語った。

 式典の後、スーと私は数分間話ができる部屋を見つけた。彼女は弁護士で、公民権団体でキャリアをスタートさせ、その後カリフォルニア州の労働機関で勤務した。リベラルなキャリアを持つ彼女は上院で承認を得るのが難しく、それが彼女が長官代理( acting Secretary )である理由である。彼女は、フォートバレーの取り組みを可能にするために費やした膨大な労力について教えてくれた。ブルーバード社 CEO のフィル・ホーロック( Phil Horlock )は、バイデンとの会談のためにホワイトハウスに何度も呼ばれた。そして今年の春、スーがフォートバレーを訪れ、遅々として進まない全米鉄鋼労働組合( United Steelworkers )との交渉を加速させるようホーロックに働きかけた。交渉の決着は、電気バス工場建設のための 8,000 万ドルの助成金と関係があるのだろうか?「その問いに関しては明確にノーと答えることができる」とスーは言った。「我々は環境を整えただけである。労働者が組合に入るか否かはあくまで労働者自身が決めることである。政治家が口出しすべきことではない。私がホ―ロックに言ったのは、『 1 年間も交渉を続けたのに、契約を結ばないのはもったいない』ということである。ホーロックと労働者がお互いに歩み寄って交渉をまとめあげた。ブルーバードはそれを真剣に受け止めてくれた。ホ―ロックは『ジュリー・スーの勧告を聞き、それに従った』と言った 」。

  バイデン政権の斬新な経済政策はどのようにして実現されたのか?バイデンは最も親しみやすい政治家であり、以前はあからさまな政策的野心を持つ人物とは見られていなかった。なぜこのような大きなプログラムを主導することができたのか?振り返って見ると、15 年前からさまざまなことを地道に積み上げてきて、その集大成であることがわかる。積み上げている途上ではわかりにくかったが、今ではそれが明確に見える。

 2008 年、バラク・オバマ( Barack Obama )は過半数( 270 )を大きく上回る 365 の選挙人を獲得し、上下両院もしっかり支配して大統領に就任した。民主党は、ニューディール政策の時代と同じように、永続的に多数派を維持する途上にあるかに見えた。教育を受けた都市部や郊外の有権者と、人種的および民族的マイノリティからの支持が増えていたからである。オバマが大統領選で激しい争いを繰り広げていたのも、勝利して大統領に就任したのも、過去 80 年間で最悪の金融危機の最中であった。彼は金融危機への対応能力を十分に備えているように見えた。オバマと経験豊富な経済顧問チームは、大恐慌( Great Depression )の再来を防ぐことを目的に大規模な景気刺激策を議会で可決させた。しかし、結局は大不況( Great Recession )に陥った。失業率は 2009 年 10 月に 10% とピークをつけた。雇用が完全に回復したのは 2017 年であった。この不況は、右派(ティーパーティー運動:Tea Party movement )と左派(占拠運動:Tea Party movement )のポピュリストの反乱を引き起こした。市場重視の陳腐な言葉が広く国民に受け入れられているように見えたものが幻想であることが明らかになった。2010 年の中間選挙では、民主党は上院で 6 議席を失い、下院では 63 議席を失い多数党の立場を維持できなかった。

 民主党幹部たちは経済格差が広がっていることを懸念し、自党の経済政策の問題点の特定に真剣に取り組み始めた。クリントン政権は北米自由貿易協定( North American Free Trade Agreement:略号 NAFTA )を熱狂的に支持し、中国を世界貿易機関( World Trade Organization:略号 WTO )に加盟させるために長期にわたる交渉を行った。ビル・クリントン( Bill Clinton )は、標準的な国家統計で測られる健全な経済成長を実現した。しかし、格差が拡大し、製造業のメキシコや中国などへの海外移転が加速した。このことは後の大きな災の種になった。「クリントン政権は多くの企業が工場を海外に移すのを手をこまねいて見ているだけだったし、アメリカ国内に投資するインセンティブを企業に与えなかったことで、経済格差が広がり大規模な混乱が引き起こされた。多くの有権者がそれを目の当たりにした」と、クリントン政権とオバマ政権で要職を務めバイデン政権で国家経済会議( National Economic Council )委員長を務めるラエル・ブレイナード( Lael Brainard )は私に語った。「誰もが知ってのとおり、投資の下降スパイラルが起きたのである」。金融システムの規制緩和は、金融システムのリスク耐性を低下させ、2008 年の危機が起こるのを助長した。オバマ大統領の景気刺激策(当初は 7,870 億ドルと見積もられていた)の規模がもっと大きかったら、大不況とそれに伴う政治的不満のレベルはそれほど深刻ではなかっただろうと主張する者も少なくない。

 オバマは 2012 年にあっさりと再選されたが、民主党はそのツケを 2016 年に払うことになる。予備選挙期間中、民主党執行部が軽視していたバーニー・サンダース( Bernie Sanders )上院議員が予想外に支持を集めた。サンダースの経済政策がヒラリー・クリントン( Hillary Clinton )より左寄りであることで若者の支持が厚かった。11 月の大統領選では、右派ポピュリストとして出馬したもう 1 人のアウトサイダーのトランプが、特に白人労働者階級の男性を中心にかつての民主党支持者の票を奪って勝利した。共和党がウィスコンシン州やペンシルベニア州などの激戦州をひっくり返しただけではない。フロリダ州、アイオワ州、オハイオ州などかつては激戦州だった州が、その時は民主党の手の届かない州に完全に変わってしまったかのように見えた。政治学者ジェイコブ・ハッカーは当時のムードを次のように表現している。「トランプが当選した。このことは軽視できない。有権者は目を覚ますべきである。民主主義が崩壊する可能性があることを認識しなければならない。中西部の保守的な価値観は失われてしまった」。

 選挙で敗北すれば、どんな政党でも戦略を見直す。2016 年の大統領選は民主党を震撼させた。見直しを早急にする必要があった。「サンダースの善戦とトランプの勝利から、民主党は多くを学んだ」と元バイデン政権スタッフのエリザベス・ウィルキンスは指摘する。「我々は、これまで以上に経済的ポピュリズムについて語る必要があった。ヒラリー・クリントン政権で働くことを期待していた人々は、2016 年以降は何もすることがなかったため、政策提案に多くの時間を費やすことができた」。特に、政治の潮流が民主党に不利に傾いた地域で、人々が抱える問題に対処する方法を見つけることに明確な焦点が当てられていた。ハッカーが言うように、「アメリカの多くの地域は貿易と不平等によって壊滅的な打撃を受けた。場所によっては公共資産( civic capital )が失われている。敗者に補償するのは 1 つの方法である。それをしなければ、とんでもない大惨事になる」。

 当時の民主党執行部は、多くの民主党議員が労働者階級との結びつきを強めるのを奨励した。同時に、過去の経済政策を転換することに決めた。現在バイデン政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めるジェイク・サリバン( Jake Sullivan )は、2016 年の大統領選後、民主党の選挙戦略の分析を行い公にした。彼は論文を書き、「アメリカの有権者は全体として、より活力に満ちた政府、すなわち自由市場を加熱させ、大規模で重大な法案を通じて大規模で重大な課題に取り組む政府を受け入れる方向に動いている」と主張した。2016 年の大統領選より前に、ジョン・ポデスタ( John Podesta )は、「ワシントン公平成長センター( Washington Center for Equitable Growth )」というシンクタンクを共同設立していた。ポデスタは、クリントン、オバマ政権で要職を歴任し現在はバイデン政権で気候問題担当大統領特使を務めている。

 民主党は中道路線に移行することで有権者の支持を挽回できるという指摘を各種メディアの論説欄で目にすることが多い。ハリス陣営はそれを信じているようである。しかし実際には、左派的な候補者が斬新な左派的経済政策を訴求することで票を獲得できることを証明し、大きな影響力を持つようになっていた。2020 年、サンダースは再び精力的に大統領選キャンペーンを繰り広げた。候補指名争いから撤退してバイデン支持に回ることへの報酬として、サンダース支持派とバイデン支持派で構成される 2 つの共同タスクフォースが結成された。エリザベス・ウォーレン( Elizabeth Warren )上院議員は候補者指名争いで早くに撤退したが、彼女が長年にわたって培ってきた若い弁護士のネットワークから生み出された幅広い政策提案が、彼女に大きな影響力を与えた。2 つの共同タスクフォースは共同で、2020 年 7 月に百数十ページに及ぶ政策提言を発表した。バイデンは提言のすべてを実行しようとはしなかったが、彼が推進したほぼすべての政策はこの中に含まれている。

 また、バイデンは 2020年 7 月にも、新自由主義からの撤退を明確に示す経済政策演説を何度か行った。1 つはアメリカの製造業の復活について、1 つは気候変動とインフラ投資について、1 つは人種間の経済的公平性について、1 つは ケアエコノミー( care economy:家事や育児、介護、看護などのケアワークに関する経済活動)についてであった。当時、民主党内の危機感は強く、さまざまな状況が影響して、新しい政治的コンセンサスが生まれつつあるという感覚があった。新型コロナパンデミック、そして民主党内のトランプに対する警戒感の高さによって、誕生したばかりのバイデン政権が緊急事態であることを十分に認識していた。バイデン政権が自制すべき時だと主張する有力民主党議員は皆無であった。バイデン政権で働くことになった新世代の活動家の 1 人が言ったように、「新自由主義に戻ることはできない」。