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リーズ( Leeds )のセント・ジェームズ大学病院に勤務する臨床遺伝学者ジェフ・ウッズ( Geoff Woods )は、痛みについては専門外であった。1990 年代後半、彼はヨークシャーのパキスタン移民コミュニティで、まれなタイプの小頭症( microcephaly )を何度も目にしていた。彼らの多くはパキスタンのミルプール( Mirpur )出身だった。余談であるが、ウッズは現在はケンブリッジ大学に在籍している。「彼らの多くが『そういえば、パキスタンに同じ症状のいとこがいる』と言っていた」とウッズは私に語った。彼は、そうした会話が遺伝的要因が根底にあることを示唆していると確信した。彼らのいとこの多くを調査できれば、つまり病歴( medical histories )を調べ、患者の家族や親戚と話をし、多くの血液サンプルを採取できれば、関与している遺伝子を特定できる可能性が高まるだろうと考えた。
ウッズは毎年数週間はミルプール周辺の診療所で働き、多くのヨークシャーで診た患者の親族とできるだけ多く面会した。ある年には複数の医師が 1 人の少年のことを話題にした。彼らはその少年が遺伝性の疾患を患っているのではないかと疑っていた。それでウッズの意見を聞きたいと考えたのである。その少年はストリートパフォーマーとして有名だった。ナイフを腕に突き立てたり、焼けた炭の上を歩くことができた。ウッズが聞いたのは、「その少年は何度も救急外来に運ばれて来る。手当てをしてもらって帰るが、しばらくするとまた来るという繰り返しである」ということであった。少年はたいてい、途方に暮れた母親に連れられて来た。母親は何とか説得して連れて来なければならなかった。少年は痛みを感じないと言ったという。ウッズは次回パキスタンを訪れた際にその少年を診察することに同意した。
ウッズは痛みを感じない患者を何人か診たことがあった。いずれの患者も過度の発汗と感染症の影響が特徴的であった。例の少年とは臨床的な視点では全く異なるように思えた。彼が私に言ったのだが、当時は痛みを感じないまま生まれてくる者がいると本気で信じている研究者はほとんどいなかったという。それは寓話の世界の話であると思われていた。グリム童話( Grimms’ fairy tale )に出てくる恐怖を知らない少年の話と同じで現実にはあり得ないことだと考えられていた。ウッズがパキスタンを再訪した時、臨床医から、その少年が 14 歳の誕生日に友達に見せびらかすために自宅の屋根から飛び降りたと聞かされた。意識不明の状態で病院に運ばれたが、ほどなくして亡くなった。「その時点で、私にとってこの病気は神話の中の話ではなく、対処しなければならない対象になった」とウッズは言った。「その時まで私は認識していなかったのだが、痛みを感じることにはメリットがある。普通の人は痛いと分かっていれば無茶なことはしなくなるからである」。今では、先天性無痛症( congenital insensitivity to pain )と呼ばれる疾患があることは広く知られている。ウッズは、亡くなった少年と似たような症状が見られる人たちと会った。その地域には何人もいたのである。「例の少年と同じような患者を何人も診た。無痛症の若い男性を多く診たのだが、彼らの約半数は 20 代前半までに亡くなる。自ら命を絶つような形が多い。普通に痛みを感じる者なら、しないようなことをしてしまうのである。それで死に至ることが多い。痛みを感じれば、経験して学んで忌避するような行為を、とんでもないことをしてしまうのである」と彼は言う。「同じ無痛症をかかえていても、女の子の場合は分別があり、用心深く行動することができる者が多い。彼女たちは無謀な行為が恐ろしい問題に直面するリスクが高いことを認識している。とても用心深い」。ウッズは最終的に、無痛症患者のほぼ全員が SCN9A 遺伝子に変異があることを発見した。SCN9A 遺伝子は細胞膜にある小さな通路の生成に関与する。細胞内外のナトリウムイオン( sodium ions )の流れを調節する。電気信号の伝達で非常に重要な役割を担っている。そこを電気信号が行き来することで痛みが脳に伝えられる。
同じ頃、イェール大学医学部の神経学、神経科学、薬理学の教授であるスティーブン・ワックスマン( Stephen Waxman )は、アラバマ州のとある集落からの電話を受けた。その地区では、多くの人が裸足で歩くか、つま先の開いたサンダルを履いているという。冷たい水たまりを歩くのが好きだという。彼らの中に、手足が燃えているように感じるという者が何人かいた。その人たちに話を聞いたところ、少なくとも 5 世代まで遡ってもすべての祖先が同じ症状を抱えていたという。「セーターを着たり、靴を履いたり、華氏 72 度(摂氏 22 度)の外に出たりするなど、わずかな暖かさにも身体が反応してしまい、耐え難いほどの、焼け付くような痛みを感じていた」とワックスマンは語った。彼らの症状は遺伝性肢端紅痛症( inherited erythromelalgia )として知られている。俗に「マン・オン・ファイア症候群( Man on Fire syndrome )」と呼ばれる。ワックスマンの研究室は何人かを選抜してアラバマ州に派遣した。遺伝的影響を受けている家族と影響を受けていない家族の両方に会って DNA サンプルをいくつも採取した。症状を呈している者はいずれも SCN9A 遺伝子に同じ変異が見つかった。逆に症状を呈していない者には、誰も SCN9A 遺伝子に変異が見られなかった。この遺伝子は、パキスタンの無痛症患者に共通して変異が見られるとウッズが特定したものと同じである。
「私は、熟練した博士号を持つ生理学者からなるチームを編成し、24 時間体制で研究させた」とワックスマンは回想する。同じくイェール大学の神経科学者スレイマン・ディブ=ハッジ( Sulayman Dib-Hajj )は、変異した SCN9A 遺伝子をニューロンに挿入した。「通常、ニューロンは沈黙しているものなのだが、マシンガンのように火を噴いていた」とワックスマンは語る。ナトリウムチャネル( sodium channe:細胞膜に存在するタンパク質で、ナトリウムイオン( Na+ )を細胞膜を透過させるための役割を担っている)が非常に活性化されたのである。「そして突然、被験者たちがほんのり温かく感じるはずなのに、燃えるように熱く感じた原因が分かったのである」とワックスマンは言う。遺伝性肢端紅痛症に関連する遺伝子変異は、いわゆる機能獲得型変異( gain of function mutation )であった。それとは対照的であるが、機能喪失型変異( loss of function mutations )というのもある。無痛症の人たちはまさにその変異を持っていた。
ウッズとワックスマンの研究によって、新たな鎮痛剤の開発の道が見えてきた。潜在的な標的が示唆された。オピオイドは脳内で痛みの信号を受け取る部位を標的とする。ナトリウムチャネルに作用する薬剤を開発できれば、痛みの信号の伝達を阻害できる可能性がある。