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鎮痛剤の有効性を証明することは難しい。例えば血圧降下薬( blood-pressure drug )の有効性を確認するよりも難しい。ここにマギル痛み質問票が 78 語から成る理由がある。トッド・ベルトッチ( Todd Bertoch )がスゼトリジンの第 III 相臨床試験を主導した。「痛みの研究において、有効性を示すには非常に高いハードルがある」とベルトッチは言う。「一部の薬剤は、その基準に達しないことがある。それはその薬剤自体が優れていないからではなく、効果検証方法が不完全であるとか、統計的アプローチが不完全だからでもある」。「中等度( moderate )」や「不快( uncomfortable )」といった用語は、例えば 135 や 150 といった数値ほどの精度は提供しない。ネグレスクが指摘しているのだが、「残念なことに、痛みを計るメーター( pain-o-meter )は存在しない」のである。
スゼトリジンに関する大規模な第 III 相臨床試験が 2 件完了している。1 件は腹部形成術( abdominoplasty )を受けた 1,118 名の患者を対象とし、もう 1 件は外反母趾切除術( bunionectomy )を受けた 1,073 名の患者を対象としたものである。いずれも術後に急性疼痛( acute pain )を伴う手術である。被験者にはスゼトリジン、ヴィコディン( Vicodin:ヒドロコドンとアセトアミノフェンを組み合わせた麻薬性鎮痛薬)、またはプラセボのいずれかを投与され、48 時間監視された。より小規模な臨床試験では、坐骨神経痛( sciatica )を患う 202 名の患者を対象に、スゼトリジンとプラセボを比較した。この坐骨神経痛の臨床試験では、スゼトリジンとプラセボの効果は同程度であった。しかし、腹部形成術と外反母趾切除術を受けた患者では、スゼトリジンはヴィコディンと同等の効果を示し、いずれもプラセボより優れていた。また、副作用が見られた被験者はプラセボ群よりもスゼトリジン群の方が多かった。今年 1 月に、スゼトリジンは「ジュルナボクス( Journavx )」という商品名で FDA の承認を受けた。初の急性疼痛治療用の非オピオイド鎮痛剤である。新たな鎮痛剤が承認されたのも 20 年以上ぶりのことであった。
この結果は大きな反響を呼んだわけだが、一見すると効果が控えめに見えるため、世間一般に広く期待が広がったわけでもなかった。比較対象は比較的弱いオピオイドであり、ジュルナボクスが慢性疼痛( chronic pain )、がん痛( cancer pain )、神経痛( neuropathic pain )に有効か否かは未だに不明である。さらに、この薬は 1 錠 15 ドルもする。保険適用となり支援プログラムなどで実際の負担はもっと少なくなるが、それでもジェネリックのオピオイド鎮痛剤というオプション( 1 錠数セントほど)と比べるとはるかに高額である。
多くの疼痛研究者が、この科学的成果を「画期的な第一歩( a magisterial first step )」、「素晴らしい( just marvellous )」、「聖杯( holy grail )」と表現した。「イオンチャネルを阻害することで鎮痛効果が得られるという概念が正しいことが証明されたのである」とワックスマンは言う。「私の予想では、さらに効果的な次世代の医薬品が登場する可能性がある」。 慢性疼痛や神経痛を緩和する鎮痛剤は特に必要とされている。糖尿病性末梢神経障害( diabetic peripheral neuropathy )に対するスゼトリジンの第 III 相臨床試験が進行中で、FDA は同剤をこうした疼痛の治療薬として画期的治療薬( Breakthrough Therapy designation )に指定しており、承認取得の可能性が加速するであろう。
「私は、オピオイドに代わるような奇跡の薬は存在しないと思う。スゼトリジンもオピオイドの代わりにはなれない。しかし、私たちは少しずつ進歩している」とベルトッチは言う。「スゼトリジンが登場する前は、アセトアミノフェンとエヌセイズ( NSAID:非ステロイド性抗炎症薬)では効果が不十分な場合、次のステップは軽度から中等度のオピオイドであった。現在ではオピオイドの使用を少しだけ先送りできるようになった」。 ベルトッチがキャリア初期に上司からオピオイドについて教えられたのは、本当に痛みがあるならば依存症にはならないということであった。しかし、「明らかにそれは完全に間違っていたことが証明されている」と彼は言う。それでオピオイドの処方に関する指針が是正されたのだが、新たな問題が引き起こされた。痛みに対する治療が適切になされないか、全く治療されない事例が頻発している。「そのギャップを埋める何らかの手段が必要である」とベルトッチは言う。「単に依存症に陥る者を無くせば良いという話ではない。痛みで苦しむ者、必要な痛み止めを手に入れられない者も無くさなくてはならないのである」と彼は続ける。「私の思い描く理想的な未来では、オピオイドは必要な患者にのみ処方されるものの、しかし、それは非常に稀なケースである」。
ネグレスクの研究チームでは、さらに多くの化合物のスクリーニングが続けられている。「私たちは常に新しい化合物を探し続けている」とネグレスクは言う。「終わりはない。常に学ぶべきことが残る」。彼もまた、スゼトリジンはまだ序の口でしかないと見なしている。「今後、私たちが世に出す NaV1.8 の機能を阻害する薬剤は、間違いなくもっと強力であろう」。彼の研究チームは、NaV1.7 の阻害と、NaV1.7 と NaV1.8 の阻害を組み合わせることの両方を研究している。
ワックスマンは、遺伝性肢端紅痛症患者の診断を続けてきて、興味深い現象に気づいた。後にこれが画期的な発見につながった。母親と息子で痛みを引き起こす NaV1.7 遺伝子の変異を共有している母子が 2 組いた。しかし、いずれも母親が感じる痛みは予想よりはるかに少なかった。こうした「痛み耐性( pain-resilient )」を持つ母親たちは、さらに別の変異を共有していることが判明した。その変異はナトリウムチャネルではなく、カリウムチャネルに影響を及ぼすものであった。カリウムチャネルは、痛みの信号の抑制に関与している。この母親たちは、痛覚神経細胞を過活動させる変異と、その活動を抑制する変異の両方を持っていたのである。「ナトリウムチャネルは信号を生成する『バッテリー』であるが、逆にカリウムチャネルは『ブレーキ』の役割を果たす」とワックスマンは説明する。