アメリカのオピオイド危機に朗報?依存性の低い鎮痛剤(ジュルナボクス)の誕生!

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 「痛みは敵ではない」とネグレスクは言う。「私は痛みを無くそうとしているわけではない。不必要な苦しみを無くそうとしている」。ウッズも、無痛症患者の研究について振り返り、同様の点を指摘している。「痛みには素晴らしい機能がある。自分の身体で何ができて、何ができないかを理解させてくれる。活動を調整し、優雅になる方法を学ぶことができる」。マギル痛み質問票を考案したメルザックは、痛みを心理学における最も興味深い問題の 1 つと考えている。彼は著書「 The Puzzle of Pain (邦訳:痛みのパズル)」において、心の痛みの信号を調整するという魔法のような働きをしているメカニズムについて考察している。彼は、試合中にすねを負傷したフットボール選手が、ロッカールームで靴下を脱いで血を見るまで痛みを感じないという例を挙げている。彼が言うには、これは心が肉体に勝ったのではなく、心と肉体が対立しているのである。

 そして、すべての痛みが末梢痛覚神経( peripheral pain-sensing nerves )からのメッセージとして伝わるわけではない。「 More Die of Heartbreak (未邦訳)」は、ソール・ベロー( Saul Bellow )の小説の中で、タイトルに主人公の名前や役割が含まれない数少ない作品の 1 つである。そのため、あたかも主人公が失恋( heartbreak )そのものであるかのように思えるわけだが、この作品はタイトルを見ただけで痛みには心の痛みもあることを思い出させてくれる。「彼らが感じる痛みは感情的な痛みだけである。これは興味深いことであった」と、ウッズは無痛症の患者について語った。これが、先天性無痛症( congenital insensitivity to pain )という診断が誤解を招くと彼が考える理由の 1 つである。「彼らは痛みが何であるかを知っている。ただ、身体的な痛みを知らないだけである」と彼は言う。ウッズがこの指摘をした時、私はちょっと戸惑った。感情的な痛みと身体的な痛みはあまりにも根本的に異なるため、同じ言葉で表現するのは奇妙に思えるからである。しかし、感情的な痛みと身体的な痛みを同じ言葉で表現することは非常に多い。これは非常に驚くべきことである。例えば、押しつぶされそうな悲しみ( crushing sadness )、罪悪感による胸の痛み( pangs of guilt )、胸が締め付けられるようなニュース( wrenching news )、痛みを鎮める何らかの欲求( the need for something to kill the pain ) などである。人がなぜオピオイド依存症になるのかを考える時、超強力なタイレノールを試すような肉体的な痛みを考えるだけでは不十分なのかもしれない。 

以上