3.
剽窃には理解しがたい部分がある。それは、法律上、特にアメリカの法律上は、剽窃そのものが単独で刑法上の犯罪として逮捕や刑罰の対象とはならないということである。知的財産法( intellectual-property law )や偽造品の取引を禁じる法律は存在する。著作権侵害を禁じる法律もある。もし、剽窃者が刑務所に送られるとしたら、それは詩の一節や、魅力的なバラードの半分を盗んで自分の作品として発表したからではない。シェークスピアを猛然と批判したベン・ジョンソンの主張とは異なり、盗作は刑法上の犯罪ではない。ただし、道徳上の罪ではある。
剽窃された側の心の中はどうなのだろうか?自分がされた行為は言語道断の侮辱だと感じている者は少なくないようである。SF 作家のハーラン・エリソン( Harlan Ellison )は、ジェームズ・キャメロン( James Cameron )監督の 1983 年の映画「ターミネーター( The Terminator )」を観た時、冒頭シーンで驚いた。未来の荒廃した風景の中で多くの戦士がレーザー光線が飛び交う中で闘っていた。その 20 年前に TV 放映された「 The Outer Limits ( 1960 年代の SF TVシリーズ)」のエピソード「ソルジャー( Soldier )」のパクリであると確信した。その脚本はエリソン自身が書いたものだった。訴訟が提起された。「ターミネーター」の製作会社であるオリオン・ピクチャーズ( Orion Pictures )は、示談に応じた(金額非公表)。それ以来、この映画のエンドクレジットには「ハーラン・エリソンの作品に謝意を表する( Acknowledgment to the works of Harlan Ellison )」という不愉快な文言が表示されるようになった。キャメロン監督はこれには不満気である。「あれは本当にひどい取引だった。私は和解に全く関与していないし、全く納得していない」と語ったと伝えられている。彼は自分の映画がエリソンの TV 番組より少なくとも千倍は優れていると確信しているようである。しかし、法律の観点から言えば、こうしたひどい取引はまさにグレーゾーンと言えるだろう。
こうした曖昧な点について熟考した人物の 1 人が、元巡回裁判所判事で多作な法学者であるリチャード・ポズナー( Richard Posner )である。ポズナーは、剽窃というデリケートな問題に法曹関係者の視点から鋭く切り込んでいる。彼の 2007 年の著書「 The Little Book of Plagiarism (未邦訳:盗作の小冊子)」では、彼の鋭い洞察力が存分に発揮されている。本書には法曹関係者の内輪ネタが散りばめられている。「裁判所が裁判官によるゴーストライティングを認定することは極めて稀である」とか、「裁判官は著作権侵害者を『剽窃者』と呼ぶことがあるが、そもそも情報の隠蔽や秘匿が一切存在しないことが担保されていない」という同僚への批判などには若干辟易とするところがある。とはいえ、概して本書は魅力的である。ポズナーが法曹関係者の視点で剽窃という用語を定義、もしくは再定義しようとする粘り強い試みと熱意が感じられる。彼の説明は過去や将来には当てはまるものではないかもしれないが、現在に当てはめると非常に説得力がある。彼は、剽窃を「同意のない不正なコピー( nonconsensual fraudulent copying )」として扱うことを 1 つの方法として提案している。この表現は口に出すには少々ぎこちないものの、剽窃という行為を概ね説明できていると私は思う。
ポズナーは、しばしばこの著書のメインテーマから逸れて、剽窃する者を心理学的側面から論じている。また、何かの中毒患者のように剽窃を繰り返す者だけでなく、それを暴露する者の動機についても論じている。「学校以外の場で剽窃に対して最もよく科される罰は、法律とは全く関係がない」と彼は書いている。「それは、不名誉( disgrace )、屈辱( humiliation )、追放( ostracism )、その他、恥辱を与える罰( shaming penalties )である」。なぜそうなるのだろうか?ポズナーによれば、剽窃する者は「恥ずかしいほど二流であり、悲しまれるほど哀れで、ろくでなし」であるからだという。であるから、他人のレトリックの断片を盗む政治家(たとえ実際に盗むのが政治家本人ではなくスピーチライターであっても)は、エロ動画を見ているところを発見されたかのように蔑まれる。私はポズナーよりもさらに踏み込んで主張したいことがある。剽窃に関する法律がないからこそ、その界隈がまさに無法状態となっているのである。法律による防御がなければ、剽窃を巡るトラブルは制御不能に陥る。
警察がいなければ自然と自警団が現れるものである。クロイツの著書の中の「盗作ハンターズ( The Plagiarism Hunters )」という章はかなり笑える。真実を追求する者たちのスリリングな活動が詳細に記されている。ボスナーの著書は出版されてから 20 年経つが、今でもかなり人気である。記されているのは、ウェストバージニア州パークスバーグ高校( Parkersburg High School )の卒業生が 2019 年の卒業式での校長のスピーチがパクリであることに気づいた事例である。校長のケネス・デモス( Kenneth DeMoss )の祝辞は、アシュトン・カッチャー( Ashton Kutcher )が 2013 年にニコロデオン( Nickelodeon:子供向けチャンネル)のティーン・チョイス・アワードの特別功労賞を受賞した際のスピーチと不気味なほど似ていた。先述のウェルギリウス( Virgil )と同様に悪党と見なされたデモス校長は 5 日間の出勤停止処分を受けた。一方、告発者は密告者として激しく非難されたという。この些末な意地悪は、三文小説の題材になりそうである。クロイツは、その後にカッチャー研究が盛んになったかどうかは教えてくれない(訳者注:カッチャー自身が既存の型を真似・模倣することで成功を収めてきたことを皮肉っている)。クロイツの尽力のおかげで、私はヴロニプラーク・ウィキ( VroniPlag Wiki )を知ることができた。これは、「ドイツの学位論文における剽窃を摘発し暴露するために設立されたクラウドベースの市民プロジェクト」である。いやはや、ドイツ人というのは、人生を楽しむ方法をよく知っている。
ネット上の剽窃の調査に限定せずさらに深く掘り下げると、より古く、そしてはるかに奇妙なものが見えてくる。それは、剽窃犯を見つけ出して騒ぎ立てること自体が仕事のようになっている剽窃の番犬である。イワン・ゴンチャロフ( Ivan Goncharov )の名前は、クロイツの著書「 Strikingly Similar 」には出てこない。これは残念なことである。なぜなら、ゴンチャロフは剽窃騒動に関するあらゆる議論を揺るがす人物だからである。ゴンチャロフの名声は、1859 年の小説「オブローモフ( Oblomov )」を書いたことで確固たるものになった。この小説は、無気力にどっぷり浸かった典型的な貴族の男性を描いたもので、彼の英雄的な努力の 1 つはただベッドから起き上がることだけである。彼の作品であまり知られていないのが「平凡な話( An Uncommon Story )」である。ゴンチャロフが亡くなる数年前の 1891 年に書かれ、1924 年まで出版されなかった。この本は狂気じみている。また、筆致がシンプルで真摯であるため、より一層狂気じみているように思える。この狂気の手口が誰かの真似であることは明白である。ゴンチャロフは、かつて友人だったイワン・ツルゲーネフ( Ivan Turgenev )に、狡猾さと不誠実さをもって剽窃されたと主張している。具体的に指摘しているのだが、ツルゲーネフの最も優雅な小説である「貴族の巣( Home of the Gentry )」は、ゴンチャロフの「マリノフカ高地( Malinovka Heights )」から恥じることなく抜き出されたものだという。しかし、ツルゲーネフの作品は「マリノフスカ高地」の 10 年も前に出版されたものである。だが、ゴンチャロフにとって、この都合の悪い時系列こそが彼の主張を裏付ける証拠となる。彼が主張しているのは、彼は様々な登場人物や構想について隠すことなく話していたのに、ツルゲーネフがそれらを密かに記憶して、自分の小説に仕込み、先に発表することで剽窃の告発を回避したということである。何と卑劣な悪魔の所業よ!以下は、ゴンチャロフの主張の抜粋である。
ツルゲーネフが私について嘘を広めていることに、私は徐々に気づくようになった。あろうことか、奴は自分の作品の内容を私に聞かせていたと言いふらしていた。奴が吹聴しているのは、私が奴に嫉妬していて、私が奴の噂を広め中傷しているということである。事実は全く逆である。私の善意を利用していたのは奴の方である。
お分かりでしょうか?「平凡な話」は難解な内容なのだが、その容赦ない告発の力強さによって興味深く読み進めることができる。悲しみが、その偏執的なまでの純粋さを損なうことはない。ゴンチャロフのような巨匠が剽窃を目撃した時、あるいは少なくとも剽窃を疑った時に、その不正を糾弾する行為は、驚くほどの勢いを帯びる。盗まれた宝石は、たとえ金庫の中にしまい込まれていても、想像力をかき立てる素晴らしい働きをすることがある。(訳者注:この一文はゴンチャロフのオブローモフに出てくる有名な一節である。究極の怠け者であるオブローモフの現実の行動よりも頭の中の空想の方がはるかに価値があるという価値観を示すこの物語の核心に触れるものである)