剽窃と創作の境界線は微妙?簡単にカット・アンド・ペーストできるデジタル時代の剽窃についての考察!

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 良い剽窃というものは存在するのだろうか?剽窃という犯罪を犯しても償いはできるのだろうか?学術的には、否である。現在では、出典を正直かつ正確に引用することが強く求められる。これは今後も続くだろう。実際、そうあるべきである。鼻をかむよりも簡単にカット・アンド・ペーストができる世の中である。スマートグラスの視界に入ったものを何でも撮影して保存するように指示できる。デジタル機器による複製の誘惑は、良い兆候とは言えない。クロイツの著書「 Strikingly Similar 」の最後から 2 ページ目で、彼は暗い予言者のような口調で記している。「対価を支払わずに知的財産を消費することは、剽窃行為を常態化させる入口となる麻薬として機能する可能性がある」。

 膨大な資料に誰でも容易にアクセスできる世の中になり、剽窃を取り締まるのは滑稽なほど難しくなりつつある。私はいつでも失われた過去を略奪する者たちを歓迎し、彼らに脚注がないことを許してあげよう(訳者注:この一文はイギリスの評論家・作家のアンドリュー・オハガンが、マドンナの過去の文化やスタイルを借用して、自分のものにする才能を皮肉を交えて表現したもの)。マドンナ( Madonna )の 1994 年のアルバム「ベッドタイム・ストーリーズ( Bedtime Stories )」に、「ラヴ・トライド・トゥ・ウェルカム・ミー( Love Tried to Welcome Me )」という楽曲がある。初めて聴いた時に驚いた記憶がある。「けれど、私の魂はたじろいだ。情欲( lust )と罪のゆえに、後ろめたさを感じて( But my soul drew back / Guilty of lust and sin )」という歌詞がある。これは、最も長く愛されている 17 世紀初頭の宗教詩人ジョージ・ハーバート( George Herbert )のパクリである。これを騒ぎ立てている者はほとんどいないが、パクリであることは間違いない。ハーバートの壮大な詩の冒頭は次のとおりである。「愛(神)は私を温かく迎え入れてくれた。だが、私の魂はたじろぎ、後ずさりした/塵( dust )と罪に汚れ、後ろめたさを感じていたからだ( Love bade me welcome: yet my soul drew back, / Guilty of dust and sin )」。極めて穏やかなイギリス国教会の司祭であったハーバートは、3 世紀半後に円錐形のブラジャーを着けて聖母を名乗る人物にパクられることをどう思うだろうか?残念ながら、現在を生きる私たちには決して分からないことである。最も皮肉なのは、マドンナが、ハーバートが使った死を連想させる灰色っぽい単語「塵( dust )」を、より安っぽくて分かりやすい単語「欲望( lust )」に変えたことである。これは、ハーバートの方が自分より優れた詩を書いたと証明したと言っても過言ではない。私が願わずにいられないのは、彼女がもっと頻繁に、言葉と精神の両面でハーバートに助言を求めていればよかったのにということである。さすれば、司祭は説教をしてくれる( Papa does preach)はずである。訳者注:これは明白に” Papa don’t preach “のもじりである。Papa には司祭の意味もある。

 一般的に、最も安全な剽窃の形態は自己剽窃である。自分自身を訴える勇気があるのはよほどの意志の強い者だけだろうが、ゴンチャロフならいずれはそうしていたに違いない。クロイツはこの問題について少しだけ触れている。ケリー・クラークソン( Kelly Clarkson:アメリカのポップ・ロック・シンガー)やプッチーニ( Puccini )の作品における自己剽窃について軽く触れた後、スヌーピーの生みの親のチャールズ・M・シュルツ( Charles M. Schulz )についても書いている。クロイツによれば、1996 年のスヌーピーの連載では、1987 年以前に描かれた特定のジョークやシチュエーションが形を変えて何度も登場したという。とはいえ、シュルツに関する記述もこれ以上の深堀りはない。やれやれ( Good grief )!(訳者注:この言葉はチャーリー・ブラウンが驚きや呆れを表す際の口癖である)。さて、自己剽窃を単なる形式的な繰り返しと理解すべきか、そうではなくテーマを深堀りするための手法と理解すべきかは意見の別れるところであるが、一流の作家、作曲家、画家なら誰でも行っていることなのだろうか?自分の創作物を剽窃して、それを元に新たな作品に仕立て、新たな利益を得ることは、錬金術師のような仕事である。手を染めている者は多くない。ビートルズの楽曲「愛こそすべて( All You Need Is Love )」のアウトロを注意深く聴くと、フェードアウトしていく際に、ポールが ” She loves you, yeah, yeah, yeah! ” と叫んでいるのが聞こえる。彼らは、わずか 4 年分だけ若い自分たちの幻影を利用しているのである。そして、シュークスピアの晩年のロマンス劇「冬物語( The Winter’s Tale )」のパーディタ( Perdita )は、「お気に召すまま( As You Like It )」の中で劇中歌「恋する男と娘( It was a lover and his lass )」を歌いながら春の青々としたトウモロコシ畑を通り過ぎる娘の生き写しにか見えない。さて、下が「冬物語」第 4 幕第 4 場の一部である。

かつて、これほど美しい身分の低い娘が
この緑の芝生を駆けたことがあっただろうか。彼女のすること、その佇まいのすべて
今の境遇には似つかわしくない気高さが漂っている
この場所に留まるには、あまりに気品に溢れすぎている

 幸いなことに、英語には、自己剽窃を上手く言い表す言葉がある。自己剽窃が度々繰り返され、芸術的で効果があり、なおかつ他の芸術家とあなたを明確に画すほど特徴的である。その場合においてだけ、あなたの作品は周囲に認められ、あなたは誰からも愛されることとなる。その時、それはスタイル( style )と呼ばれる。♦

以上