アメリカ チップの習慣を廃止できないのはなぜ?新型コロナ収束後、チップの相場が高騰! 

4.チップに関する訴訟は多い

  ニューヨークでは、従業員のチップを不正に管理したり、横領したとして、多くのレストランが訴訟を起こされている。イタリア料理店を経営するシェフのマリオ・バタリ( Mario Batali )は 525 万ドルで和解したことがある。和食レストランのノブ( Nobu )も 250 万ドルを支払った。フランス料理店を経営するジャン・ジョルジュ・ヴォンゲリヒテン( Jean-Georges Vongerichten )は 175 万ドルを支払った。労働問題を専門とする弁護士のルイス・ペックマン( Louis Pechman )は、自分の法律事務所が扱ったチップ横領案件の結果をいくつもウェブサイトに投稿している。スパークス・ステーキ・ハウス( Sparks Steak House )から 310 万ドルの和解金を勝ち取った案件も投稿されている。「マフィアの大物だったビッグ・ポール・カステラーノ( Big Paul Castellano )が暗殺された場所だ。」と、先日、ペックマンはグランド・セントラル駅に近い彼のオフィスで教えてくれた。ペックマンはウェイター側だけでなく、オーナー側の代理人を務めることもある。「ニューヨークの法律は、チップに関しては非常に危険である。」と彼は言う。「私は常日頃からクライアントに、『チップは爆弾みたいなもので慎重に扱う必要がある』と忠告している」。法律上、チップの分配を受ける権利があるのは、飲食サービスに従事する者だけである。ペックマンが扱う案件は様々だが、結局のところ、争点は 1 点に絞られることが多い。サービスとは何か、ということである。

 彼は焼き肉店に対する訴訟を準備していた。訴訟を起こす前に、ペックマンはいつも訴える店へ行って覆面調査をして実態を明らかにする。「訴訟を口実に旨いものを堪能しているだけだ。」と彼は言う。「私にとっては、一種の儀式のようなものだ」。2 週間後、ペックマンと同僚のクリスチャン・メルカード( Christian Mercado )は目的の店を偵察した。「ここは、この前に訴えたところよりも良い店だ。」とペックマンは言った。彼のひげは伸び放題で、グレーのプルオーバーを着ていた。どんな店でもそのような風体で入っていく。この店のオーナーからすると、入店を断りたいような身なりだった。

 入店を断られることはほとんど無いという。「アストリア地区にお気に入りのギリシャ料理店がある。覆面調査して気に入ったんだ。月に一度はそこで食事をする」。

 焼き肉店のスタッフはチップをプールしていた。プールするというのは、チップの一部または全部を徴収し、チップを稼ぐスタッフに再分配することである。スタッフがペックマンに訴えていたのは、マネージャーがプールしたチップの一部を抜いているということだった。間違いなく違法行為である。バタリ、ノブ、ヴォンゲリヒテンの裁判で原告側の弁護士を務めたマイモン・カーシェンバウム( Maimon Kirschenbaum )は言った。「チップのプール制を採用していない別の高級レストランでは、ウェイターはマネージャーに 20 ドル渡さなければならない。渡さないと不利なテーブルの担当をさせられる。ヨーロッパからの旅行者が予約している席などだ。あまりチップは貰えない」。

 ウェイトレスが席まで来た。私たちは肉の盛り合わせを 1 皿、シーフード・パンケーキ 1 つ、ビールなどを注文した。レストランには複数のエリアがあった。「どの客をどこに案内するかは、誰がどうやって決めるのか?」とペックマンはそのウエイトレスに尋ねた。

 「他のエリアはほとんど使っていない。」と彼女は答えた。彼女は肉の盛り合わせを持って来た。生のリブアイ、カルビ、ハラミが載っていた。私たちが焼くのを躊躇していると、それらをグリルの上に並べてくれた。どれをどのタイミングでひっくり返すかも教えてくれた。

「あなたは、私たちにサーブし、調理し、そして教えてくれた。」とメルカードは言った。

 彼女はサービスを提供した。間違いなくチップを貰うに値する。当地の法律を厳格に適用すると、もし彼女がウェイトレスではなくコックであれば、厨房内で肉を焼いたとしても、プールしたチップから分け前を貰うことはできない。直接客と接するスタッフ、つまり給仕係( servers )、給仕助手( busboys )、小間使い( runners )だけが飲食サービスを提供する従業員とみなされる。

 「寿司職人が絡む案件もいくつか扱っている。」とペックマンは言った。「寿司職人はチッププールの対象になるか否かという問題がある。信じられないかもしれないが、この問題は非常に法的解釈が難しい」。彼の法律事務所は、ロングアイランドの寿司屋の案件を扱ったことがある。その店のカウンターは非常に狭く、寿司職人が直接給仕できなかった。この案件を担当した弁護士のビビアナ・モラレス( Vivianna Morales )が言ったのだが、裁判は非常に長引き、カウンターの幅が重要な争点になったという。 一般的に、ソムリエはサービスを提供すると見なされ、チップを受け取る資格があるとされる。コーヒーショップのバリスタも同様である。だが、レストランの厨房のバリスタは違う。客からドリンクを作っているところが見えないからである。

 「客の目の前のコンロで肉を焼くのは、サービス提供に該当すると思う。間違いないよね?」とメルカードは言った。ペックマンはうなずいた。

 社会に参加するということは、常に様々な援助を受けるし、逆に援助することもある。誰もがドアを押さえたり、道案内をしたり、場所を教えたり、プリンターの紙詰まりを直したりする。地下鉄の座席を譲ってくれた人にチップを渡すのは馬鹿げている。チップは仕事、特に個人的な仕事への対価である。レストランやダイナーでは、ウェイターはサービスを提供してチップを貰う。しかし、店の裏側で汗水垂らして奮闘しているコックは、チップを受け取れない。人の口に入る料理を丹念に作る彼らの仕事も重要であることに変わりないのだが。伝統的に女性の仕事と見なされてきた料理やアイロンがけなどは、「見えない労働( invisible work )」と言われる。ここアメリカでは、その見えない労働が法律で規定されている。

 ペックマンによれば、プールしたチップを抜かれているとして相談に訪れる者のほとんどは不法移民だという。「ラテン系、ロシア系、ウクライナ系、アルバニア系が多い。」と彼は言った。「ラテン系の労働者は特に酷い扱いを受けている」。NYC ホスピタリティ・アライアンス( The New York City Hospitality Alliance:ウエイター、バーテン等が加入する労働組合)によると、飲食店の接客フロアで働く労働者の賃金の中央値は、店の裏側で働く労働者の 2 倍以上だという。同アライアンスのアンドリュー・リギー( Andrew Rigie )事務局長は、ニューヨーク州に対してロビー活動を行っている。飲食店オーナーが最低賃金 15 ドルを全従業員に支払うことを条件に、好きなようにプールしたチップを配分することを認めるべきだと主張している。ちなみに、現在、ニューヨーク市の飲食店では、チップ労働者に払う時給は 10 ドル程度でしかない。「チップ・クレジット( tip credit:賃金とチップを合算した額を時給と見なすこと)」が認められているからである。同アライアンスはチップ・クレジットを維持することを支持している。 実はチップは、賃金による差別を直接的に助長する。黒人のタクシー運転手は、歴史的に白人の運転手よりも収入が少ない。2018 年のイーター( Eater )誌の調査によれば、全国の白人の給仕係とバーテンダーの 1 時間当たりのチップ受領額の中央値は 7.06 ドルだった。アジア系は 4.77 ドルだった。コーネル大学のマイケル・リン( Michael Lynn )が主張しているのだが、従業員の時給の補償手段としてチップを活用することは公民権法( the Civil Rights Act )に違反する可能性があるという。

 さっきのウェイトレスがショートリブが盛られた皿を持ってきた。「まだあるの?」とペックマンが言った。私たちは食いまくった。「訴える前にもう一度ここに来なければならない。」と彼は言った。テーブルまで請求書を届けてもらった。チップはウェイトレスに手渡すのではなく、タブレットで支払うようになっている。彼女はウロウロするしかなかった。