5.完全に定着したチップの習慣をアメリカから排除するのは困難
先日、ボーイスカウトがポップコーンを販売していたのだが、チップを求められた。ソニック・ドライブイン( Sonic Drive-Ins:ファストフードチェーン店)、UPSストア( UPS Store )、ニューアーク国際空港のセルフチェックアウト・キオスク、旅行ウェブサイトのホッパー( Hopper )、カナダのフェアモントホテル( Fairmont Hotel )のミニバーなどでも求められた。数年前、アマゾンは顧客が配達員にチップを渡すことを認めた。また、同社は、受け取ったチップの額に応じて、一部の配達員の時給を引き下げるようにした。要するに、顧客が渡したチップがアマゾンの懐に入る形であった。ちなみに同社は 2021 年に連邦取引委員会( FTC )にドライバーが受け取るべきチップを搾取したとして提訴された後、6,200 万ドルの和解金を支払った。プレスリリースを出した。同社はチップをもらう配達員とは事前に契約書を交わしており問題は無かったと確信している、と記されていた。地下鉄の西 4 丁目駅でスネアドラムを演奏しているサルバドール( Salvador )というハイチ人男性は、最近では自分のベンモ( Venmo:個人間決済アプリ)アカウントにリンクする QR コードを表示していると言っていた。まだ現金のチップの方が多い。ベンモの良いところはチップをくれた人のコメントが見れることだという。
歴史を振り返ると、チップの習慣を阻止する動きが何度か盛り上がった。18 世紀にロンドンでベール(コイン)の受け取りを禁止しようとする試みがあった。下僕等が武器を手に暴動を起こした。アメリカでは 19 世紀初頭に、少なくとも 6 つの州がチップを非合法化した。チップを渡す側と渡される側に罰則として最高 30 日の懲役を課す州もあった。ムッソリーニはホテルでのチップを禁止した。当時、イタリアのホテルでは客の回りにチップを要求する者が群がっていたからである。しかし、チップの習慣が根絶されることはなかった。アメリカでは様々な団体等がチップの習慣を廃止する運動を繰り広げたが、いずれも失敗に終わった。アメリカ反チップ協会(the Anti-Tipping Society of America )、ティッパーズ・アノニマス( Tippers Anonymous )、全米プライド浸透作戦( the Nationwide Operation to Instill Pride:略号 NOTIP )、チッパーズ・インターナショナル( Tippers International )等である。チップの習慣に反対する勢力は、堅物や変人だと思われただけだった。1923 年、反ちょうだい同盟( the Anti-Gimme League )はあらゆる種類のチップを不当な要求とみなして廃止しようとした。タイムズ紙( The Times )によれば、同同盟の二次的な目的は「夫の収入や所得が継続的に不合理に奪われる機会を無くし、妻との生活基盤を盤石なものにすること」だったという。チップ反対派の多くは消費者の立場に立っていた。基本的にチップは非民主的な物乞いだと考えていた。また、チップを貰う者を、小銭のために自分を堕落させている者と捉えていた。とはいえ、チップの習慣で最も問題と考えられているのは、チップ労働者の収入がチップで不当に多くなっていることである。高級な店の給仕係やバーテンダーの中には年間 10 万ドル以上稼ぐ者もいる。ナイトクラブのホストの中には 25 万ドルも稼ぐ者がいる。しかし、銀行家、弁護士、会社役員等はもっと稼いでいるのではないか。チップ労働者だけでなく、誰もがお金のために自身を堕落させているのである。チップ労働者がたくさん稼いでいるからけしからんという主張は、筋が通らない。
1 つの解決策は、チップ労働者の最低賃金を廃止することである。チップは感謝の気持ちを伝えるものであり、強制的な援助金ではない。カリフォルニア州やネバダ州など一握りの州は既にそうしている。が、チップの習慣は無くなっていない。ソビエトでさえチップを無くすことはできず、クレムリンでは、公務で訪れてもコートルームでチップを求められ、超不評であった。チップ嫌いのトロツキーが亡命したのも無理はない。
ミシュランの星があるような高級な店の中にも、チップを廃止しようとしているところがある。シェ・パニース( Chez Panisse:カリフォルニア州バークレーにある )のアリス・ウォーターズ( Alice Waters )は、サービス料を徴収するようにした。現在は 17% である。それは、全スタッフに均等に分配される。トーマス・ケラー( Thomas Keller )もフレンチ・ランドリー( the French Laundry:カリフォルニア州ヨントビルにある)やパー・セイ( Per Se:マンハッタンにある)で同様のことを行っている。価格がより重要視される高級でないレストランの多くが、セルフレジや QR コードを導入して従業員の削減に取り組み始めている。接客サービス従業者の団体の顧問弁護士のキャロライン・リッチモンド( Carolyn Richmond )は、「数年後には、一部の高級レストランを除いて、接客担当はいなくなるかもしれれない。」と言った。
ユニオン・スクエア・ホスピタリティ・グループ( the Union Square Hospitality Group:レストランやバーを経営する巨大チェーン)のオーナーのダニー・マイヤー( Danny Meyer )は、 1980 年代にニューヨークにユニオン・スクエア・カフェ( Union Square Café )をオープンして以降、チップを嫌ってきた。8 年ほど前、多くのコックが店を辞めてもっと稼ぐためにウェイターになっていることに気づいた。マイヤーによれば、彼がこの仕事に就いて以降で、レストランのフロアで働いている者の給料が 200% 上昇したのに対し、コック等裏で働いている者の給料は 25% の上昇にとどまるという。マイヤーがコックたちの給料を上げるために価格を上げると、ウエイターたちの給料はさらに上がる。「チップは麻薬と一緒だ。」彼は言った。「止めようとしても止められない」。
マイヤーは幹部を集めて話し合った。その時のことを回想して言った。「ジョン・レノンが書いた最悪の曲、コールド・ターキー( Cold Turkey:冷たい七面鳥の意味だが、スラングでヘロイン等薬物中毒の禁断症状の意味がある)をかけたんだ」。彼は自分の経営するレストラン等で、全ての料理の提供価格をサービス料を含む形にしようとした。多少の違いはあるが同じようなことを試みているレストランは少なくない。最も多いパターンは、料理の代金にプラスしてサービス料を支払わせる形である。しかし、ニューヨークでは、これは法的に厄介な問題を含んでいる。サービス料をプラスして徴収するというポリシーを採用する場合、価格等を伝える際には必ず 12 以上のフォントサイズでそのことを表記しなければならないのである。飲食サービスに詳しい弁護士のアマンダ・フガジー( Amanda Fugazy )によれば、訴訟を恐れて E メールを送る際に署名欄にこのポリシーを記載する飲食店も少なくないという。マイヤーの場合には、税務上の問題で費用が 100 万ドル増えることとなった。というのは、レストラン等は従業員のチップを申告すると国税庁から控除を受けられるのだが、それが無くなるからである。彼は厨房スタッフの賃金を 25% 引き上げた。また、有給休暇制度もより充実させた。「当然、そのためには値上げをしなければならなかった。」と彼は言った。「しかし、その分を完全に価格に転嫁することはできなかった」。ウェイターは給料制になった。それでもフロアでサービスする従業員の半数は辞めていった。それでもマイヤーはポリシーを変えなかった。コック等厨房の従業員の士気は高かった。顧客の評判も上々だった。そんな中、近隣の競合店のウェイターの収入は増え続けていた。また、レストランを探している者がネットでマイヤーのレストランのメニューを見ると、サービス料込みの価格を見るわけで、高いと感じるようになった。「私たちは 5 年間そのポリシーを守った。」とマイヤーは言った。そこに、新型コロナ禍が襲った。新型コロナ収束後は、客足も戻ってチップの相場が大幅に上がったのだが、マイヤーの経営する店のウェイターたちは全く恩恵を受けられなかった。「それは残酷に思えた」。彼は屈服するしか無かった。ウエイターがチップを貰えるように戻した。
マイヤーは、もっと多くのレストラン等経営者がノーチップ・ポリシーを実施することを望んだのだが、賛同する者はほとんどいなかったのである。マイヤーは、2 年前にシェイク・シャック( Shake Shack:高級ハンバーガー店。マイヤーが 2004 年に創業)でレジ付近にチップ入れを置いて、客にチップを払うという選択肢を提供した。チップは意外なほど集まった。「高級とは言えセルフ形式のハンバーガーショップなのだから、客はその後 2 時間も店にいたとしてもレジ係とコミュニケーションをとる機会などない。」と彼は言った。今にして思えば、そもそも彼のチップを廃止するという挑戦が成功する見込みは、全く無かったのである。チップは、アメリカでは完全に定着している。アスファルトと同じくらい定着している。私はマイヤーと話をしながら、ある偶然に気づいた。彼がレストラン・ビジネスに参入した時、最初の店の貸主はデビッド・エリス( David Ellis )なる人物だったという。父親の遺産を引き継いで不動産をいくつも所有していて、マイヤーの店(ユニオン・スクエア・カフェ)が入ったビルもその人物の所有だった。「彼の父親の名前はエイブラハム( Abraham )だった。」とマイヤーは言った。「エイブラハム・エリスは帽子預り王( Hatcheck King )として有名だった人物だ」。知らず知らずのうちに、マイヤーはチップの習慣の土台を築いた人物の傘の下でビジネスをしていたのである。