How a Milder COVID Variant Is Creating a Health-Care Crisis
重症化率の低いオミクロン株が、どのようにして医療崩壊を引き起こすか?
Omicron may be less dangerous on an individual level, but hospitals are still overwhelmed, with dire ripple effects.
オミクロンか株は個人レベルではそれほど危険ではないかもしれません。しかし、病院は依然として逼迫状態にあり、その影響が拡大しつつあります。
By Dhruv Khullar November 21, 2021
1.最初のパンデミックから2年、楽天的に考えたくなるが、そんな状況だろうか?
米国のチベット仏教徒の叙階された尼僧であるペマ・チョードロンは、1996年に出版した著書”When Things Fall Apart”(邦題:すべてがうまくいかないとき チベット密教からのアドバイス)の中で、「希望を捨てなさい。」と説いています。それは、全てが上手くいかないときには絶望するしかないというメッセージではありません。それは明確なメッセージで、彼女が説いているのは、希望は時として、実際に起きていることから目をそむけさせてしまうことがあるということです。「人は希望にしがみつくものです。それで、希望によって今という瞬間を逃してしまうものなのです。」と、彼女は説いています。彼女が言いたいのは、たとえそれが困難な状況であっても、物事をありのままに見て、それに目を向けて欲しいということなのです。
今現在は新型コロナで困難な状況下ですので、希望にすがりたい気持ちになるのは理解できます。パンデミック以降、2年間の混乱が続いていますが、誰しもが良い知らせを待ち望んでいます。ボツワナと南アフリカでのオミクロン株が出現した際には、更なる困難をもたらすものかと思いましたが、その後、オミクロン株はデルタ株よりも入院する可能性が低そうであるという医療関係者からの報告がたくさんありました。オミクロン株は欧州、英国、米国で感染が広がりましたが、多くの研究によって重症化率が低いことが示唆されています。南アフリカのオミクロン株の感染拡大は、死亡者が比較的少なかったこともあり、拡大後にすぐに収束しました。英国の感染者急増もピークを越えました(とはいえ、英国では患者数が激減はしておらず、横ばい状態が続いています)。米国のいくつかの都市でもオミクロン株の感染がピークを超えたように思われます。
そうした状況ですので、誰もが希望にすがりたくなる気持ちになることは理のあることです。しかし、その希望が故に、不穏な現実から多くの人たちが目をそむけているように思われます。米国では多くの病院が、数ヶ月前から危機的な状況に陥っています。私はニューメキシコ州の片田舎にある小さな救急病院に勤務していますが、そこも長期間に渡って病床にほぼ空きがない状況が続いています。私は12月9日に当誌にコラムを投稿して記したことがあるのですが、私の同僚の1人は、ある患者の受入先を見つけ出すために医療機関38箇所に電話をしなければなりませんでした。現在も、40回、50回あるいは60回も受入先を見つけるために電話しなければならないことがしばしばあります。それでも結局見つけられないこともあります。新型コロナ感染者の治療が困難になっているだけではなく、医療システム全体が逼迫しています。これまでに多くの医療従事者が疲れ果てて離職しました。また、残った医療従事者たちの間で、ここのところ大量に新型コロナの感染者が出ています。こうしたことが米国中で起こっているのです。医療システムはいつ崩壊してもおかしくないほど逼迫しています。
他の医療機関に回す必要がある患者が病院の受付に来ると、何となく分かるものなのです。その患者のための病床の空きはないとか、当院では必要な治療を行えそうにないとか、何となく分かるものなのです。それで、このあと直ぐに何十回も電話しなければならないことや、その間に待合室の患者がさらに増えることなどが頭に浮かびます。中には、受入先が見つからず、何時間も何日間も当院で待機する羽目になり病状が悪化してしまう患者もいます。ある患者は、新型コロナに感染しておらず肝臓と腎臓にのみ疾患があったのですが、3日間当院にとどまらなければなりませんでした。スタッフは60以上の医療機関に電話をかけましたが、症状は悪化の一途をたどり、最終的には挿管を余儀なくされました。先週、私は内出血の見られる患者を夜間当直医に引き継がなければなりませんでした。私は引き継ぐ際に、ジョージア州やカリフォルニア州やワイオミング州など45の医療機関に電話したものの空きベッドが見つからなかったことを説明しました。当直医は首を振って悲惨な状況を嘆いていました。