Annals of Justice November 22, 2021 Issue
How Your Family Tree Could Catch a Killer
系図学者が犯罪捜査に協力して、殺人犯を特定!
Genetic genealogists like CeCe Moore are cracking cold cases and transforming policing. As DNA analysis redefines ancestry and anonymity, what knowledge should we be permitted to unlock?
シーシー・ムーアを始めとする遺伝子系図学者は、未解決事件を解決し、犯罪捜査に革新をもたらした。DNAプロファイルを分析することで、祖先のあらゆることが分かるようになりました。しかし、DNAのプロファイルがあるデータベースへのアクセスは適切に制限すべきです。
November 15, 2021 By Raffi Khatchadourian
1.カナダカップル惨殺事件の31年ぶりの解決の裏に遺伝子系図学の貢献あり
1987年の感謝祭の日の朝、ワシントン州スノホミッシュ郡の殺人捜査班の刑事であったリック・バートは、キジ狩りをしていたハンターがスノコルミー川に架かるハイブリッジという名の橋の下で1体の死体を発見したという知らせを受けました。バートはその日は家で家族と過ごす予定でしたが、とにかく現場に直行しました。スノホミッシュ郡には刑事はバートともう1人しかいませんでした。たった2人で、シアトルのすぐ北にある2,000平方マイル以上の管轄エリアを担当していたのです。彼は犯行現場付近の地理に精通していました。犯行現場はモンロー名誉農場の近くでした。その辺りには、州の刑務所があり、囚人が刑務作業の一環として牛の搾乳をしていました。ハイブリッジは人里離れた場所にあり、人があまり来ないような所でした。しかし、舗装された道が通っていたので、しばしば10代の若者たちが流れ込んできて酒盛りをしていることがありました。
バートが犯行現場に到着した時、朝霧が出て川岸の木々をうっすらと包み込んでいました。死体は部分的に青い毛布で覆われていました。その毛布をめくると、死体は惨殺されたものであることが容易に分かりました。死体は男性のもので、頭を岩で殴られていました。死体の頭皮の一部が髪の毛が付いたまま塊状で剥がれ落ち、草の上に落ちていました。死体の首のまわりにはプラスチックの紐と2つの犬用首輪によって付けられた跡が残っていました。後に検死によって明らかになったのですが、死体の口の中にはティッシュやキャメルライト(タバコ)の包装紙が詰め込まれていました。
バートは当時のことを振り返って言いました、「死体の身元を証明するようなものは何もありませんでした。だから、直ぐには身元の特定はできませんでした。被害者がいつ現場に来たかということも分かりませんでした。とにかく、分からないことだらけでした。」と。
その翌日、スカジット郡という近隣の郡の刑事からバートに電話があり、その死体の身元はブリティッシュコロンビア州(カナダ)出身の20歳のジェイ・クックと推定されると知らされました。電話をしてきた刑事は、ジェイ・クックについて知っていることを全てバートに話しました。それによれば、数日前、ジェイ・クックは父親から頼まれたので、家族の所有しているワゴン車でシアトルへ向かったのでした。目的は、父親が仕事で使う調度品のパーツ類を受け取ることでした。ジェイ・クックはガールフレンドのターニャ・ヴァン・カイレンボルグ(前途有望な写真家であった)も一緒に連れていきました。ターニャはいつも笑顔を絶やさない女性で、それ故、友達連中から「スウィーティー」と呼ばれていました。ジェイ・クックはあどけないお茶目な少年で、薄茶色の髪をしていました。
若い2人は手伝いついでにちょっと遠出しようと考えたのでしょう。元々、ワゴン車の中で寝る計画をしていたようで、マットレスや必要な品々が積み込まれていました。2人はワシントン州に向かう為にフェリーに乗船し、11月18日にワシントン州で降りたことが判明していていました。しかし、その後の足取りは不明でした。
ターニャの父親は、2人から何日も何の連絡も無かったことを受けて、カナダの捜査当局に捜索願を出しました。それから、父親は2人が乗ったワゴン車を捜索するために飛行機をわざわざチャーターしました。しかし、捜索で何も見つけられなかったので、車で何百マイルも運転して、消息を絶った人が立ち寄りそうなレストランやコンビニエンスストアを回って人々に聞き込みをしました。
ターニャの父親が聞き込みをしている頃、スカジット郡の刑事たちは渓流の近くでターニャの死体を発見しました。彼女はレイプされ、後頭部を撃たれていました。その翌日、2人が乗っていたワゴン車がそこから16マイルほど北の地点で発見されました。ワゴン車は居酒屋とグレイハウンドバスのターミナルの近くに停まっていました。その居酒屋の裏で、警察はワゴン車の鍵やカメラのレンズキャップやターニャの身分証明書が入った財布やラテックス手袋や結束バンドなどを発見しました。また、38口径の弾丸が入った箱も見つかりました。その弾丸はターニャの頭部を打ち抜いていた弾丸と同じものでした。
そうした状況が伝えられると、直ぐにバートは急いでハイブリッジに戻りました。ジェイ・クックの死体の近くの地面に結束バンドが落ちていたことを覚えていたからです。それで、それを回収しました。明らかになったのは、1人の殺人犯が殺人用道具一式を手にして2人に忍び寄り犯行に及んだということです。
バートは、犯人は連続殺人犯ではないかとの疑念を抱きました。かつて州の刑務所に入っていた過去がある者か、現在服役していてその辺りで刑務作業をしている者ではないかと疑っていました。犯行の2週間後から、自分が犯人であると主張し、あざけるような犯行声明文が、ジェイ・クックやターニャの実家に郵送で送られるようになりました。それには「ジェイの背中から銃を手に忍び寄ったら、ターニャは『撃たないで!』と懇願していたよ!」と記されていました。手紙は手書きで、さまざまな場所から投函されていました。シアトル、ロサンゼルス、ニューヨークなどの消印がありました。
捜査当局は必死にあらゆる手掛かりを分析し、つぶさに調べました。犯行声明の手紙を鑑定しましたが、何も手掛かりになるようなものは出てきませんでした。州の刑務所関連で怪しい者は全員にアリバイがありました。また、ジェイとターニャの行動や移動経路は部分的にしか判明していませんでした。バートは言いました、「間違いなくシアトルを通ったはずなのですが、シアトルにいたという証拠が何も得られていない状況でした。迷宮入りしてしまうだろうと思いました。」と。
1989年、刑事たちはこの未解決の殺人事件について、広く情報の提供を求めました。何百もの情報が寄せられました。中には見る価値の無いようなものもありました(ある霊能者による長文の全く役に立たない情報もありました)。多くは追跡調査に値するように見えました。しかし、いずれも調査を続けても有力な情報を得ることができませんでした。ターニャが移動中に持っていたカメラから外されたレンズがポートランドの質屋で見つかりましたが、それ以上の手掛かりは得られませんでした。刑事たちは、殺人犯はワゴン車が打ち捨てられた場所の近くに住んでいたのではないかと推測しました。それで、犯行現場に残っていた武器が入っていた箱や結束バンドを扱っている店舗で聞き込みをしました。しかし、やはり何も有力な手掛かりは得られませんでした。
1990年代に、法医学的なDNA分析手法が登場して、警察の犯罪捜査能力は大きく向上しました。DNA分析によって生物学的証拠を基に犯罪者を特定できるにようになったのです。FBIは、有罪判決を受けた犯罪者の全国レベルのDNAデータベースを構築しました。また、行方不明者、犯行現場で採取された遺留物のデータベースも構築しています。それらの多くが犯罪捜査で活用されています。しかし、スノホミッシュの刑事たちが犯行現場で得たDNAサンプルをデーターベースで照合した際には、全く手掛かりを得ることはできませんでした。この殺人事件の犯人は過去に有罪判決を受けたことが無いことと、他の事件の犯行現場に遺留物を残していないことが判明しました。ひょっとしたら、犯人は既に死亡している可能性もあると思われました
リック・バートは1999年に保安官になりました。「私が最初に取り組んだことの1つは、cold-case(コールドケース:未解決事件)を専門に捜査する班を作ることでした。」と彼は私に言いました。彼は続けて言いました、「私はこの事件をどうしても解決したかったのです。ずっと気掛かりだったんです。」と。2005年にこの事件の担当刑事はジム・シャーフになりました。その時点で、捜査資料の量は膨大になっていました。12冊のバインダーがあり、容疑者として名前が挙がった者は100人以上に上っていました。シャーフには、大量の資料を分析する能力が高いという定評がありました。膨大な資料の分析を経て、犯行声明文を送り付けた者は殺人犯と同一人物ではないということを明らかにしました。捜査を妨害することを愉快に感じる人物がいて、その人物がバスや電車で国中を移動していただけだと推定されました。この事件が発生してから10年以上経った時点でも、シャーフは犯人に辿り着く手掛かりを全く得られていませんでした。
2016年7月、シャーフの上司は、バージニア州にある”ParabonNanoLabs”(以下、パラボンナノラボ社)という企業のことを知りました。同社は、”Snapshot”(以下、スナップショット)と呼ばれるツールの開発に成功し、DNAサンプルから髪の色や目の色や肌の色や、場合によっては顔の構造などの肉体的特徴に関する情報を導き出すことができると主張していました。シャーフは上司から言われました、「このスナップショットというツールを活用できる事件があったら、教えて欲しい。」と。それで、そのツールを活用して、ジェイ・クックとターニャ・ヴァン・カイレンボルグが殺された事件を調べ直すことになりました。DNAサンプルがパラボンナノラボ社に送られ、報告書が戻ってきました。それによると、犯人は北西ヨーロッパ系であるとのことでした。また、おそらく赤みがかったブロンドの髪で、瞳は緑色か赤褐色で、明るい顔色をしているだろうということでした。
シャーフは同僚に手伝ってもらい12冊のバインダーの資料をみて、特徴が合致する人物がいないか調べました。4人の男が特徴が当てはまることが分かりました。2人は既に死亡していました。2人は存命中でした。4人とも、犯人では無いように思えました。シャーフたちは、スナップショットが生成した犯人のイメージ画を公表しました。それによって、沢山の情報が寄せられましたが、新たに役立たない情報が増えただけでした。
スナップショットで事件を解決に導けなかったシャーフは、別の方策を検討し始めました。何年もの間、多くの系図学者がこれまでになく大規模な民間のDNAデータベースを使用して、集団間の遺伝情報を比較分析しています。それで、より正確でより詳細な家系図ができるようになっています。その技術を生かすことが出来るのではないかと、シャーフは思い付きました。つまり、1987年の未解決の殺人事件で捜査当局が遺留物から集めたDNAを、同じ手法で分析したら得られる知見は多いのではないかと考えたのです。
2018年4月にシャーフは、パラボンナノラボ社が持っているこの事件の犯人のDNAに関する詳細を、シーシー・ムーアに送りました。ムーアは世界をリードする遺伝子系図学者の1人でした。パラボンナノラボ社のCEOがシャーフに言ったのは、1週間以内にムーアが犯人を特定する可能性が高いということでした。シャーフは懐疑的でしたが、3日後にはパラボンナノラボ社から連絡があり、ムーアが犯人を特定したとの報告を受けました。犯人はウィリアム・アール・タルボット2世というハイブリッジからそれほど遠くないところに住んでいたトラック運転手でした。ムーアが犯人を特定するために使った時間は、土曜日の2時間だけでした。
シャーフは、ウィリアム・アール・タルボットという名前が膨大な資料の中にあるかを調べましたが、ありませんでした。30年間も捜査を続けてきて、何百もの情報や手掛かりを調べ上げてきたわけですが、その男の名が捜査線上に浮かんできたことは一度もありませんでした。シャーフは、何人かの刑事にタルボットを尾行させ、DNAが付着していて証拠となるものを何でも良いので回収するように命じました。ある日の午後、コーヒーカップがタルボットが運転しているトラックから投げ捨てられました。即座に回収されて、鑑識に回されました。犯人とタルボットの遺伝情報が比較されました。シャーフは、鑑識員が報告に来るまで心配そうに待っていました。鑑識員は「ジム(シャーフのファーストネーム)、犯人と一致したよ。」と言いました。シャーフの目は涙でいっぱいで、こぶしを上げて、「やったぁ!ついに犯人が分かったぞ!」と叫びました。
その時、リック・バートは既に引退していました。彼の家の前には砂浜が広がっています。そこから、彼はしばしばカナダの方向を眺めました。そうすると、心の隅でジェイとターニャのことを思い出さずにはいられませんでした。あまりにも酷い殺され方だったので、一生頭から離れないように感じられました。シャーフから犯人が特定されたことを伝えるための電話があった時、バートは海の向こうを眺めていました。バートは笑い出しました。そして、言いました、「30年間、我々は必死になって取り組んだのに何も明らかにすることができませんでした。いったい何をしていたんでしょうかね?そんな中、突然1人の女性が現れて『この人が犯人よ!』と言って簡単に解決してしまったんですよ!」と。