4.ムーアは23andMe社に参画することになった
人間の細胞にはデータが圧縮されて詰まっています。その核は幅がわずか数ミクロンで、中には6フィートのDNAが含まれています。DNAに使われる塩基は、アデニン(A), グアニン(G), シトシン(C), チミン(T)の4種類です。塩基と糖(ーデオキシリボース)とリン酸が組み合わされてDNAが構築されています。塩基が糖の炭素に結合しヌクレオシドが形成されます。それにリン酸が結合するとヌクレオチドが形成されます。ヌクレオチドの鎖はコイル状の染色体に分割されます。染色体の内の2つ(XとY)の組合せが生物学上の性別を決定します。常染色体DNAとして知られている残りの22組に、骨格の大きさ、目の色、肌の色、性格など、私たちの特性に関する情報が詰まっています。
系図学者の間では、21世紀に入って以降、ますます遺伝学に対する興味が高まっています。そうなった理由は、Y染色体からの情報の一部(Y-DNA)の分析がお金を払えば容易にできるようになったからです。Y染色体はほとんど突然変異なしで父から息子に受け継がれますし、苗字も息子に同様に引き継がれますので、家系とY染色体を照らし合わせて調べることが研究者にとって有用であると考えられていました。90年代後半にオックスフォード大の遺伝学者ブライアン・サイクスは、彼と同じ苗字の48人の男性を説得してY染色体の検査を受けてもらいました。「サイクス」とは、中(期)英語 (1100年~1500 年頃の英語)の「春」や「小川」を意味する言葉が由来です。ですので、「サイクス」という苗字は、あちこちにある水に関係する場所(湖とか河とか)に住む者がそれぞれ別個に選んだものだと推測され、苗字が同じでもそれぞれの家族は縁もゆかりも無いだろうと推測されていました。しかし、遺伝情報から分かったのは、48人は遡ると同じ祖先に辿り着くということでした。サイクスは言いました。「家系を調べる際に、遺伝子情報が大変有用であることは間違いありません。」と。理論的には、Y染色体を調べれば、身元が不明な男性の身元を特定することは可能だということになります。サイクスは、女性の家系を調べる際には、母系のみに受け継がれるmtDNA(ミトコンドリアDNA)を検査すべきだと言いました。その詳細は彼の著書 “The Seven Daughters of Eve”(邦題:アダムの呪い)に記されています。
サイクスは遺伝に関することを面白おかしく記していました。彼は、かつてフロリダの会計士の男性がチンギスハーンの子孫であると主張しました。その主張はすぐに誤っていることが証明されましたが、Y染色体とmtDNAが祖先の調査では非常に有用であることは明らかでした。ユタ州では、Sorenson Molecular Genealogy Foundation(ソーレンソン遺伝解析基金)が遺伝子サンプルの収集を開始し、膨大なサンプルによるデータベースの構築を目指しています。また、FamilyTreeDNA(以下、ファミリーツリーDNA社)という企業は、一般消費者向けに郵送でY染色体を検査するサービスを始めました。家系図の謎を解く手がかりを提供するデータベースを構築しようとしています。
ムーアはサイクスの著書を読んで興味をそそられ、遺伝情報を調べる費用も安くなったので、自分の父親のY染色体の検査と母親のmtDNAの検査をしてもらいました。彼女は演劇の仕事を再びするようになっていました。しかし、系図学についても引き続き興味を持っていました。特に個人的に嫌なことがあった時などには、系図学や遺伝の研究をすることで気を紛らわせました。彼女は医学研究者と恋に落ちて妊娠しました。しかし、しばらくして別れました。ムーアは出産直前まで体調が許す限り仕事を続けました。それから、自分に背格好が似た者を自分の代役としてクライアントに紹介しました。彼女は、それがビジネスになると思ったので、後に起業して”Commercial Casting”(コマーシャルキャスティング社)という俳優等をキャスティングする会社を設立しました。そして、コマーシャルの撮影現場でレナート・マーティンソンに出くわし、親密な間柄となりました。彼らはすぐに結婚し、同時にビジネスパートナーとなりました。また、彼女が設立したキャスティングエージェンシーはマーティンソンの映画製作会社に吸収されました。
2009年、ムーアはFamilyTreeDNA社の経営陣を説得しました。それで、コマーシャル製作のために雇ってもらいました。ある日、撮影中のことでしたが、1人の系図学者がライバル企業である”23andMe”社のWebサイトを見せました。”23andMe”社は、系図を調べる際に、小さな遺伝子の変異を追跡することによって、常染色体DNA(細胞内に46本ある染色体から2本の性染色体2本を除いた44本)を分析できるようにする技術を開発していました。そこで調べる変異は、一塩基遺伝子多型(SNP)と呼ばれるもので、世代から世代へと受け継がれます。受け継がれる際には、法則があります。親から子に受け継がれる際には、変異の50%が引き継がれます(父親と母親から半分ずつ引き継がれる)。孫の代には25%、ひ孫の世代には12.5%引き継がれます。玄孫の場合は・・・、永遠と引き継がれていきます。
23andMe社は、希望する複数人の一塩基遺伝子多型(SNP)を比較することで、その人たちの関連性(従兄弟であるとか、また従兄弟であるとか、赤の他人であるとか)を簡易的に認識できるオンラインでのサービス基盤を構築していました。祖先を6世代も遡ると、認識できる一塩基遺伝子多型(SNP)はあまりにも少なくなりますので、、関連性の認識ができなくなります。しかし、ムーアはそのサービスを使って、さらに遡りました。彼女は言いました、「遡って調べることで、家系図の横の繋がりが遺伝子分析によって、より詳しく分かりました。横の繋がりは非常に広いものでした。」と。
その後すぐに、ムーアは23andMe社のWebサービスを教えてくれた遺伝学者キャサリン・ボルヘスに電話をかけました。「素晴らしいツールを開発されましたね。まさしく、こんなツールがあれば良いなと思っていたものでした。私も関わらせていただけませんか?」とムーアはボルヘスに言いました。ボルヘスは、”International Society of Genetic Genealogy”(遺伝子系図学国際協会)を運営し、DNAに興味を持った一般の人向けのWebフォーラムも運営していました。ボルヘスはムーアに、そのフォーラムを引き継ぎたいと言いました。ボルヘスはムーアに「質問が書き込まれるので、適切に返答して下さい。フォーラムの内容を見て、出来るだけ専門知識を増やしてください。」と指示しました。
そのフォーラムには、きちんと査読されたような文献はほとんどありませんでしたが、市井でさまざまな研究をしている素人の研究者が集っていました。ムーアは、23andMe社のテクノロジーを活用して、自分の祖先の系図を作ってみました。その系図は、ムーアが親戚や祖先に関して認識していたことと合致しているかを調べました。ムーアは私に言いました、「私は興味深いデータを見つけました。また従兄弟は平均でDNAの3.125%を共有するはずです。しかし、私がまた従兄弟と認識していた人の中には約6%も共有している人が何人かいました。他のまた従兄弟は1%しか共有ていませんでした。」と。また、彼女は専門用語にも詳しくなりました。「ハプログループ」(単一の一塩基遺伝子多型 (SNP) 変異を持つ共通祖先を持つような、よく似たハプロタイプの集団)とか、「センチモルガン」(2つの遺伝子マーカー、対立遺伝子、遺伝子、又は遺伝子座の間の連鎖を表す遺伝的距離の単位)などの用語に詳しくなりました。ムーアはすぐに、自分の7番目の染色体上のいくつかの一塩基遺伝子多型(SNP)から、祖先を限りなく遡るとユダヤ人に辿り着くことが示されていることを認識しました。彼女は引き継いだフォーラムに積極的に携わるようになり、ブログを書いたり、彼女が得た知見を報告したりしました。
その時までに、ムーアはキャスティングエージェントの業務等からは退きました。それらの業務は全てマーティンソンに引き継がれました。「私は仕事を全て手放しました。それで系図学に没頭しようと思ったんです。私ほど系図学に興味を抱いている者は誰もいないと思います。フォーラムを引き継いでから、とんでもない時間数を費やしてきました。取りつかれたように働きました」と彼女は私に言いました。フォーラムは設備や装備も大したことないし、データベースもまだ小さいものでした。運営を続けているうちに、いやが上にもそうしたことが分かってきました。ますます多くの人々がDNA検査を受けるようになっていました。ムーアが検査に関与したこともありました。検査をした結果、自分の父親が本当の父親でないことが判明することもありました。ムーアは、フォーラムを通じて取っつき易い系図学の専門家として評判でしたので、中には直接訪ねて来る者もいました。そうした時は、ムーアは親身になって訪れた者が知りたいことを調べるのを手伝いました。ムーアは言いました、「私はフォーラムの運営に没頭していました。時々、眠らないこともありました。誰かの家系の謎を解き明かすためにノンストップで取り組み続けました。」と。