恐るべきDNAプロファイリングの実力!系図学者が協力により、沢山の未解決事件の犯人が特定されている!

6.遺伝子系図学で今までは不明であったことも調べられるようになった

 すべての家系図は、先祖から受け継がれてきたものを明確にするために作られています。系図学者が誰かの家系図を作ろうとしている時に、ある世代までしか遡れない時があります。系図学者の間では、俗にそうした状態を「堅い壁」に突き当たったと言います。「堅い壁」は常にどこにでもあるわけですが、より古い世代まで遡れた時には、「堅い壁」にぶち当たっても、感じる痛みは小さくなります。

 養子縁組をしていると、親子の間には堅い壁が存在することになります。ですので、DNAを調べても何の情報も得られません。それ以上DNAを遡って調べることは意味が無くなります。系図学者たちは、長い間、家系調査のプロとして、DNAを遡れない者が居る場合には、その原因を調べるのを手伝ってきました。堅い壁で調べられなくなる場合、その人が養子であるか、養子の親族である可能性が高いのです。そういった際に養子は、生みの親というか本当の親が誰であるかということを知りたいという風になりがちです。従来の系図学者は文献や記憶や伝聞を根拠に祖先を調査していました。しかし、養子が実の親を調べることはプライバシー保護の法律等によって非常に難しくなっています。ムーアのようにDNAの分析に基づいて系図を調べる系図学者たちは、あくまで、DNAや染色体を調べます。それで養子が実の親を探すのを手助けしています。

 2011年までにムーアはボランティアで養子が実の親を探すのを手助けしていました。彼女はある時、ブログで「私は、養子となった者が自分の生物学的祖先を調べるのを以前から手伝ってきました。その際には、DNAの分析結果を活用しました。多くの州では、養子が生来持っている知る権利が阻害されており、実の親を探すのは困難な状況です。」と記していました。やがて彼女は、ヤフーの掲示板で同じ志を持つボランティアと知り合い、DNAの情報を利用して個人を識別するための洗練され効率的な技術を開発する取り組みに参加することになりました。その技術は” Methodology”(メソドロジー)と名付けられました。

 メソドロジーでは、まず、GEDmatch等のデータベースに1人の養子のDNAの情報を登録して、他の登録者で一部でも遺伝子が一致する人がいないか調べました。何人か遺伝子が一部共通する者がいました。しかしそれらの中には、個人情報を登録せずにログインしている人や、偽名でログインしている人もいたので、調査は容易なことではありませんでした。しかし、どうにかして家系図の作成に成功しました。家系図を遡ると、その養子と共通の祖先に辿り着く者が何人かいました。そして、その共通の祖先から世代を下っていけば、その家系図の中に、その養子の実の両親がいるはずだと思われました。また、実の親を特定する際には、その養子と共有するDNAの割合や、生年月日や地理などの養子に関する情報も手がかりとなります。

 メソロドジーの開発に携わる者たちの中で、ムーアは遺伝情報を活用した系図作成について最も造詣が深かった。彼女は給与を得ていなかったが、個人的にその開発に興味を持ち没頭していました。というのは、子供の頃に、彼女の叔母が陣痛中に鎮静剤を飲んで寝ている隙に息子を奪われたという話を聞かされていたからです。叔母の家族は確信していたようですが、当時の叔母の夫が黒幕で医師の手助けを得ていたと思われていました。ムーアは言いました、「叔母は息子を奪われて、『死んだ』と言われたのです。とにかく、叔母はそれ以降は息子を見たことも無かったし、埋葬さえも行われなかったのです。」と。その話については、何が事実であるかは今となっては分かりませんでしたし、ムーアも最初は何が真実であるかは想像もつきませんでした。しかし、沢山の養子が実の親を探す手伝いを続けている内に、叔母と同様のケースに度々遭遇しました。それで、叔母の家族が疑っていた叔父が黒幕であるというシナリオは事実である可能性が高いと考えるようになりました。

 ムーアは私に言いました、「私はずっとその事件を解明しようと思ってきたんです。」と。私とムーアはパソコンのモニターを覗き込んで、彼女とDNAを共有する人たちを見つけようとしていました。膨大に名前が記されているリストをスクロールしながら、彼女はエリックという名の若い男性に着目しました。彼は今年初めにムーアと一部のDNAが一致していることが判明していました。彼はムーアのDNAの約4%を共有しており、また従兄弟に該当すると推測されます。しかし、ムーアにはエリックに見覚えがありませんでした。興味を持ったムーアは、自分の母親と、叔母の娘の2人のDNAの情報を照会しました。その結果、2人ともエリックのDNAの8%を共有していました。それは、ムーアの2倍でした。ムーアはその時のことを思い出して言いました、「驚いわよ。『いったい誰なの?』って声が出たわ!」と。

 ムーアは、エリックの家系図を作ってみました。しかし、ムーアは自分の家系図とは何の繋がりも無いことが分かったので、エリックに連絡を取ることにしました。それで手紙を出しました。「信じられないことに、あなたは私の家族と密接な血の繋がりがあるようです。本当に驚きです。あなたはひょっとして養子ではないですか?」と記してありました。 彼女は彼の身元やDNAなどの詳細を調べたいと申し出たところ、彼はそれを承諾しました。

 ムーアはエリックの家系図調査では、遺伝情報を基準にしてグループ分け等をした後、共通の祖先(19世紀にミネソタに住んでいたマーティンとジュリアのティム夫妻)に辿り着きました。ムーアは苦労して調査を続け、ティム夫妻の子孫についてかなりの情報が得られました。そして、ティム夫妻のひ孫の一人(娘)が1950年11月6日に叔母が息子が盗まれた町で生まれた男性と結婚している事実を掴みました。その日は、ムーアの叔母が息子が盗まれた日でした。ムーアは、2018年にその男性の死亡記事が新聞に載っていたのを確認しました。写真も載っていました。ムーアは私に言いました、「死亡した男性は、私が一番仲の良かった従兄弟の兄だったんです。写真を見ましたが、やっぱり兄弟だからそっくりで驚きました。赤い髪の毛なんか、まったく同じです!」と。

 ムーアは行方不明となっていた叔母の息子(従兄弟)を見つけたわけですが、謎が残っていました。その従兄弟とエリックの繋がりを特定できずにいたのです。死亡記事には、その従兄弟には二人の娘とエドという息子がいるとが書かれていました。ムーアが情報を搔き集めて分かったのは、エドが空軍基地に勤務していたということでした。エリックの母親が住んでいる家の近くでした。エリックは酒場で行きずりでエドの母親と寝た結果、エドが生まれたのです。もちろん、エドもエリックもお互いのことを知る由もありませんでした。

 事実が判明してムーアは興奮しました。それで、叔母に電話しました。そして、叔母の息子が盗まれたという推測が正しかったことを説明しました。彼女は言いました、「叔母さま、あなたの息子を見つけましたよ。これを言うのは辛いんだけど、既に亡くなられてたわ。もう少し早く見つけられれば生きてたのよ。」と。 ムーアは良い知らせも伝えることが出来ました。叔母の息子の息子の居場所が判明していること、エリックいう名前であること、最近結婚して父親になったことなどを伝えました。

 ムーアはその知らせが叔母にとってとても喜ばしいものになると確信していました。ムーアは言いました、「叔母はさらに3人の孫がいることがわかったんですよ。しかも曾孫も増えて。おめでたいことに、玄孫も1人いるのよ。みんなで集まりたいわねって言ってたのよ。」と。しかし、叔母は91歳と高齢な上に新型コロナのパンデミックが猛威をふるっていました。ムーアは言いました、「んー、残念なことに皆で集まることはできなかったのよ。叔母は新型コロナに感染してしちゃって。新型コロナは克服したんだけど、そのまま体調が回復せず亡くなってしまったんです。」と。

 ムーアはとても悲しそうで、手は震えていました。彼女は言いました、「何か少し申し訳ない気がしたわ。私は叔母の孫たちを見つけ出しました。そして、『あなたたちのお祖母ちゃんは生きていますよ』って伝えたんです。そうやって喜ばせておいて、結局はお祖母ちゃんと会うことは出来なかったんです。なぜなら、直前で亡くなってしまったから・・・。私はとても悪いことをしたんじゃないかと思ったわ。でも、叔母の家系のことを知っていたのは私だけだったから、私はそれを伝えなければならなかったのよ。」と。ムーアは、自分が調べた事実が叔母の心の傷を癒すことを期待していました。また、孫たちも喜ぶだろうと予測していました。しかし、かえって孫たちの喪失感が増大したのではないかと思うこともありました。彼女は私の背後に広がっている太平洋を眺めていました。「皮肉なことよね。」と彼女は言いました。