本日翻訳して紹介するのは、The New Yorker のWeb版に掲載のコラムで、タイトルは、”Is It Time to Call Putin’s War in Ukraine Genocide?”(プーチンのウクライナ侵攻って、まさしくジェノサイドですよね!)です。3月13日に投稿されたコラムです。
Philip Gourevitchによる寄稿です。氏はスタッフライターです。スニペットは、”In international law, genocide has nothing explicitly to do with the enormity of criminal acts but, rather, of criminal intent.”(国際法上、ジェノサイドという語は犯罪行為の規模の大きさによって定義されるのではなくて、犯罪意図の重大性によって定義されるのです。)となっています。
さて、このコラムで筆者は、ロシアのウクライナ侵攻はジェノサイドであると断じています。ジェノサイドは日本語に訳すと大量殺戮と訳されたりするのですが、ジェノサイド=大量虐殺ではないようです。ウクライナのゼレンスキー大統領は、さまざまな要求を西側諸国にしています。NATOに加盟させろとか、ウクライナ上空に飛行禁止空域を設けろとかです。しかし、いずれの要求も受け入れられていません。
結局のところ、ウクライナでジェノサイドが行われていると認識されていても、手を差し伸べる国は無いのです。経済制裁や武器の供与や資金援助や情報共有をいくらしたって、ロシアの侵略行為を止めさせるには不十分なのです。残念ながら、それは何もしていないのと同じことです。このままでは、ウクライナという国は滅ぼされるでしょう。所詮、西側諸国から見れば、他国の出来事でしかないのです。世界から、プーチンのような人物が居なくなるようなことは起こり得ないのです。
さて、どうして西側諸国は、もっと強力にウクライナ紛争に介入してロシアの侵攻を止めさせようとしないのでしょうか?おそらく、しないのではなく、できないのです。プーチンという気狂いが核兵器の使用を仄めかしながらジェノサイドを行っているのですが、そこに立ちふさがって「止めろ!」と言うことは中々できることではないのです。核兵器と言われたら、引くしかないのです。国民が犠牲になる可能性がある中で、正論を振りかざすことなどできませんから。悲しいかな、現実的には、プーチンを止めることは誰にもできなさそうです。停戦協議で少しでも良い条件を引き出せるようにすることくらいしか、ウクライナにできることはないのかもしれません。歴史は繰り返すと言います。どの国も次のウクライナとなることがないように備える必要があるということを認識しておくべきです。
では、以下に和訳全文を掲載します。
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