A Critic at Large October 18, 2021 Issue
”It’s Time to Stop Talking About
“Generations”
「世代」って良く使われるけど、意味あるの?
From boomers to zoomers, the concept gets social history all wrong.
団塊世代~Z世代まで、これまで散々「世代」という言葉が使われてきましたが、世代という概念を使うことで社会学的に誤った分析が助長されています。
By Louis Menand October 11, 2021
1. 世代(generation) という語がつかわれるようになったのは最近のこと
10代の若者に商品を売りつけることでお金儲けすることが出来るという事実が発見されたのは1940年代初頭のことでした。その頃から雑誌や新聞などで“youth culture(若者文化)”という語が使われるようになりました。当時、“youth culture(若者文化)”という語がもてはやされるようになったには、理由がありました。それは高校生が爆発的に増えたということでした。1910年には、ほとんどの若者は就職して働いていました。14~17歳で学校に通っていたのは14%しか居ませんでした。しかし、その後その割合は急激に高まり1940年には73%まで上昇しました。その結果、青年期に差し掛かってはいるものの大人とは呼べない(=まだ働いていない者が多い)者たちの数が急激に膨れ上がり、非常に大きな集団になりました。その際、新たに生まれたその集団を示す人口統計上の単語が存在していませんでしたので、“youth(若者)”という言葉が当てられることとなりました。
その後も高校進学率は上昇を続けました。1955年の米国の16~18歳の者の高校進学率は84%でした(同時期の西欧州のそれは16%でした)。また、1956年~1969年の間で米国の大学進学者数は2倍以上になり、それまで“youth(若者)”と言えば15~18歳(4年)の集団だったものが、15~22歳(8年)の集団に定義が変わってより大きな集団になりました。1969年には、“youth(若者)”の生活スタイルや価値観や嗜好が話題となり議論されることが増えましたが、それはとても理にかなっていました。というのは、米国の人口のほぼ半数が25歳未満の者だったからです。
今日、25歳未満人口は全体の3分の1弱まで減っています。それでも、“youth(若者)”は依然として大きな潜在市場です。“youth(若者)”は、ソーシャルメディア、ストリーミングサービス、コンピューターゲーム、音楽、ファッション、スマートフォン、アプリ等の重要な市場です。また、“youth(若者)”は、電動スケートボードから環境にやさしいペットボトルまで、さまざまなものを流行させてきました。それで、“youth(若者)”の消費意欲を刺激し続けるため、また、コンサルタント企業が顧客企業を指導して“youth(若者)”のことを良く理解させるために、定期的に“youth culture(若者文化)”に代わる単語が生み出されています。それで、世代(generation)という言葉が使われるようになったのです。
世代(generation)という語は、そもそもは生殖生物学で使われていた用語でした。具体的には、親族関係の中で、両親とその兄弟を”the older generation(古い世代)”、子と従兄弟を”the younger generation(若い世代)”と称する形で用いられていました。人類の若い世代が古い世代になるのには、昔から大体30年と言われています。ちなみにショウジョウバエの場合は10日です。”generation”という語は旧約聖書にも既に登場していました。ヘロドトス (BC484~425年、ギリシャの歴史家)もその語を使っており、1世紀(100年)は概ね3世代に相当すると記していました。
1800年頃に、”generation(世代)”という語は親族関係の概念として使われていたものが、社会全体の中の概念を示す際にも使われるようになりました。”generation(世代)”は、社会全体の中のある一定の期間を区切って、その間に生まれた者全員を指す語となったのです。通常、期間は30年で区切られ、その期間に生まれた者全てが単一の”generation(世代)”に属するというものでした。30年で区切ったのは特に生物学的および社会学的な根拠があったわけではありません。しかし、ヨーロッパの科学者や研究者には、”generation(世代)”という新たな概念が出来たことによって、世代(30年)ごとに社会的にも文化的にも変化するという風に考えるようになった者もいました。でも、30年ごとに変化するというのは根拠があるでしょうか?変化は予測できるものなのでしょうか?変化を妨げることは出来るのでしょうか?社会的、文化的な変化が起こるということは人々が変化するのが原因だと思うのですが、それが何故30年ごとに起こるのでしょうか?
1945年以前には、世代について論じる者の多くは、もっぱら文学や芸術様式や思想等についてのみ論じていました。たとえば、文学ではロマン主義から写実主義へ、政治では自由主義から保守主義への移行が見られるということなどが議論の中心でした。社会学者のカール・マンハイムが1928年に発表した世代に関する論文は非常に影響力があったのですが、世代ごとに新たな潮流を自覚してそれを体現する作家、芸術家、政治家が存在していると指摘しました。しかし、マンハイムは、一般の人々には興味はなかったようです。彼は、芸術家等以外の者を「農民コミュニティ」と呼んでいて、それは世代が変わろうが何があろうが変化しないと論じていました。
19世紀には世代と社会全体の変化について、2つ理論が存在していました。一部の思想家は、世代交代することで、社会的、歴史的変化が引き起こされると主張していました。新しい世代が出現すると、新しい考え方や行動様式が世界にもたらされ、それまでの考え方や慣習を時代遅れのものとして廃れさせます。それにより、社会全体が活性化され若返ります。つまり、世代交代が繰り返されて歴史を動かしてきたという考え方です。もう1つの理論では、世代間で考え方や行動様式が異なるのは、世代ごとに経験してきた歴史的出来事が異なることが原因であるとの主張です。つまり、世代間に違いがあるのは、体験し経験してきた歴史が違うからであるという主張で、世代の違いが歴史を生み出しているという理論とは真逆です。
今日、世代というものが語られる時、世代交代が社会を変えてきたという考え方にも、歴史的経験が異なることにより世代間に違いが生じるという考え方にも、いずれにも理があると考えられています。世代ごとに独特の特徴があり特有の社会的または文化的特徴を有しているわけですが、それは世代ごとに特有の歴史的出来事を経験してきたからだと考えられています。それは、例えばベトナム戦争とか9/11テロとか新型コロナとかです。しかし、若い世代は独自の文化を持ち、独自の嗜好や価値観を持っています。彼らは世代内で特に重大な歴史的出来事を経験していなくても世代としての特徴を有していて、自分たちの前の世代の文化をも変えていきます。
現在では、世代は通常は約15年で区切られることが多いようです(ちなみに、現在、米国では女性が初めて子を持つ年齢の中央値は26歳で、男性のそれは31歳です)。約15年で区切って、その期間内に生まれた人々は、それ以前に生まれた人々、もしくはそれ以降に生まれた人々とは概して異なる特徴をもっていると考えるのが世代”generation”を議論をする際の前提となっているようです。
しかし、世代”generation”に関するそうした前提には、かなり無理があるというか矛盾があります。普通に考えたら分かりますが、世代内の違いが世代間の違いよりも小さいという主張には、現実を見ると根拠が無いように思えます。矛盾点はいくらでも挙げられます。例えば、あなたとあなたの両親との共通点が、あなたとたまたま同じ年に生まれた会ったことのない人との共通点よりも少ないとは思えません。また、X世代の始まる最初の年である1965年に生まれた人は、ベビーブーム世代(1946-64年生まれ)の最後の年である1964年に生まれた人と価値観、嗜好が大きく異なり、経験して歴史的出来事も大きく異なるというのはあり得ないように思えます。また、X世代の最後の年の1980年に生まれた人は、1981年生まれの人よりも、同じ世代に属する1965年生まれの人との共通点が多いというのもあり得ないことだと思われます。
ですので、多くの人が、生まれた年で杓子定規にぶった切って世代という概念を作って、その世代という概念を論じることは馬鹿げたことだと認識しています。それでも、各世代間には、正確に生まれた年で線を引くことには無理があるとはいえ、明確な差異が存在しているようにも見えます。それで、良く言われることですが、X世代は独自のDNAを持っているなんて言われることがあります。19世紀には、そういうことを表現する際には、その世代には独特の”エンテレケイア”があると言われていました。エンテレケイアは哲学用語の一つで、アリストテレスによって提唱された言葉で、完成された現実性という意味でした。また、ベビーブーム世代とX世代の差異は、獅子座と乙女座の差異と同じくらいなどと言われたりしています。
世代という概念は概ね15年で区切られており、その15年という数値には何の意味も根拠も無いということはしばしば言われることです。確かにそうです。1年というのは、地球が太陽の回りを1周する期間ですから、自然現象の中で測定可能で意味のある区切りだと思います。しかし、decade(10年)もcentury(100年)もmillennium(1000年)も、世代の15年と同様に自然現象の中では認識出来ない何の意味も無い期間です。そうした語は、便宜上使われているだけです。たまたま人類が10進法を用いることが多いという理由で使われているだけです。
それでも、「50年代はどうだった」とか、「60年代はこうだった」という風な言い回しは良く使われていて、10年区切りでその時々にそれぞれ特徴があったことを示す言葉としてdecade(10年)は使われています。実際、巷では10年区切りの概念は深く浸透していて、「あの人は70年代生まれだから」なんて語は良く使われていて、それは、「あの人はX世代だ」というよりもはるかにその人に関して具体的なイメージを浮び上らせます。連続する期間を区切るという点では、世代という概念は、10年とか100年とか1000年で区切るよりも新しい概念です。しかも、世代という概念は、10年とかで区切るよりも恣意的と言えます。したがって、世代という概念について論じる際に重要なのは、世代というのは実態があるかとか、約15年で区切る意味があるかということでは無いのです。重要なのは、世代という概念を使うことで、何かを理解するのに役立つのか否かということです。