2.自己免疫疾患への応用
自己免疫疾患( autoimmune conditions )は人類の歴史と同じくらい古い。ループスに関する記述は少なくとも中世にまで遡る。この病名は「狼( wolf )」を意味するラテン語に由来する。狼に噛まれたような皮膚病変を暗示している。18 世紀のイギリス女王アンの肖像画の顔には特徴的な「蝶形紅斑( butterfly rash )」がある。彼女がこの疾患を患っていたことを強く示唆している。しかし、自己免疫疾患は 1940 年代にステロイドが炎症を抑え、症状を改善できることが発見されるまで基本的に治療不可能であった。しかし、ステロイドには多くの副作用があり、長期間の投与には適さない。結局のところ、医師は化学療法を施したり、免疫系を抑制することを目的として移植薬( transplant medications )を転用するしかなかった。これらの治療法はしばしば重篤な感染症、癌、不妊症を引き起こした。
コロンビア大学医療センター( Columbia University Medical Center )のリウマチ専門医として、私は日常的に自己免疫疾患の患者さんを診ている。近年、ヒュミラ( Humira )、エンブレル( Enbrel )、ゼルヤンツ( Xeljanz )などの生物学的製剤(特定の免疫経路を標的とするように設計された合成分子)が相次いで開発された。非常に恩恵が大きいと感じている。関節リウマチ( rheumatoid arthritis )、乾癬( psoriasis )、炎症性腸疾患( inflammatory bowel disease )などの疾患に効果がある。しかし、生物学的製剤はループスにはほとんど効果がない。これはおそらく、ループスが非常に幅広い症状を引き起こし、複数の免疫経路に影響を与えるからだろう。ループスの生存率は 1940 年代から 1990 年代にかけて上昇したが、その後はほぼ横ばい状態である。女性の発症率は男性よりもはるかに高く、重症例は黒人やヒスパニック系の患者に不均衡に多く見られる。40 歳未満でループスと診断された者は、そうでない者に比べて早死にする可能性が 12 倍高い。「最近は葬儀に行く機会が減った」と、コロンビア大学ループスセンターの所長を務め、私の同僚でもあるアンカ・アスカナセ( Anca Askanase )は私に語る。「しかし、それでもまだ多すぎる」。
T 細胞は免疫システムにおいて、病原菌やがん細胞を駆逐する防衛軍の歩兵である。脅威を識別して攻撃を仕掛ける能力を持つ。1980 年代に、カナダで大学院生として学んでいたフランス生まれのミシェル・サドラン( Michel Sadelain )は、T 細胞にがん細胞を殺すよう指示できるか否か疑問に思った。指示できることがわかったのだが、限界があった。T 細胞は標的を認識するために HLA と呼ばれる分子に依存しているが、がん細胞は HLA の発現を制限することで検出を回避するからである。※ 訳者注:HLAは Human Leukocyte Antigen (ヒト白血球抗原)の略
1980 年代後半のことであるがイスラエルの科学者ゼリグ・エシュハル( Zelig Eshhar )が、HLA に頼らずにがん細胞を認識できる抗体と T 細胞受容体を融合させることに成功した。エシュハルが研究した「 T ボディ( T bodies )」はがん細胞に結合し攻撃することができたが、脆弱で寿命も短かった。サドランはこの問題を解決するため、キメラ抗原受容体( chimeric antigen receptor:略号 CAR )と呼ばれる分子を開発した。それは T 細胞の内部エンジンを活性化させ、T 細胞が生存して繰り返しがん細胞を殺傷できるようにする。さらに、彼は CAR-T 細胞を、多くの血液癌に関与する B 細胞を含む、ほぼすべての B 細胞に存在するマーカーである CD19 を標的とするようにプログラムした。
2010 年、末期白血病を患う 65 歳のビル・ルドウィグ( Bill Ludwig )は、CAR-T 細胞療法を受けた最初の患者の 1 人となった。投与後、すぐにルドウィグは、リードと同様にサイトカインストームを起こした。重篤な状態に陥った。しかし、サイトカインストームが収まった後は、2021 年に新型コロナによる肺炎で亡くなるまで、白血病は再発しなかった。FDA (食品医薬品局)はその後、7 種類の CAR-T 細胞療法を承認した。CAR-T 細胞療法は治療抵抗性血液がん( treatment-resistant blood cancer )の患者数万人にとって画期的な選択肢となった。ちなみに、副作用がないわけではない。2023 年 11 月に FDA は CAR-T 細胞療法を受けたがん患者 19 人が新たな T 細胞がんを発症したと発表した。患者を生涯にわたって経過観察することを推奨している。
CAR-T 細胞療法によるループス治療の画期的な成果が広く認識されるようになったきっかけは、2021 年のドイツの症例である。エアランゲン・ニュルンベルク大学( Erlangen-Nürnberg )の医師、ゲオルク・シェット( Georg Schett )が、あらゆる治療法を試しても効果が得られなかった、命に関わる重篤なループスを患う若い女性の治療に携わった。シェットに残された治療の選択肢は、マウスを使った実験でループスに対して効果が示されていた CAR-T 細胞療法だけだった。患者はこの治療法を採用することに同意し、投与後数週間で完全寛解に至った。シェットはたくさんのループス患者を診てきたが、これほどの回復は初めてだった。「まさにエウレカの瞬間( eureka moment )だった」と彼は語る。
シェットが率いる医療チームは、さらに多くのループス患者を治療した。18 歳でこの治療を受けたロミー・カンデラ( Romy Kandera )は、ループスで指が腫れるまでは有望なピアニストだった。音域の広いショパンの楽曲を練習している時に、鍵盤に指が届かないことに気づいた。「音楽を演奏することは私を特別な存在にしてくれたのに、ループスでそれが失われつつあることを実感した」と彼女は語る。しかし、 2022 年 1 月に CAR-T 療法を受けて以降、彼女は投薬無しで寛解状態を維持できている。彼女は現在デュッセルドルフ大学の学生で、空いた時間にはピアノを弾いている。
ベス・イスラエル・ディーコネス医療センター( Beth Israel Deaconess Medical Center )のリウマチ科部長のジョージ・ツォコス( George Tsokos )が私に教えてくれたのだが、CAR-T 療法はすべてのループス患者に効果があるわけではない。「ループス患者は 1 人として同じではない」と彼は言う。「誰もがそれぞれ独自の症状を抱えている」。彼はまた、「がん患者の治療で得られた知見を、自己免疫疾患の患者にそのまま適用することはできない」と警告する。人間の免疫システムは複雑で謎に包まれており、免疫細胞だけでなく、遺伝子や環境から受ける影響も大きい。これらを CAR-T 療法によって変えることはできない。
とはいえ、CAR-T 療法は他の多くの自己免疫疾患でも有望な結果を示している。体幹付近の筋肉に炎症と筋力低下が生じる自己免疫疾患である筋炎( myositis )の患者では、筋力の著しい改善が示された。赤血球が破壊され、繰り返しの輸血が必要となる自己免疫性溶血性貧血( autoimmune hemolytic anemia )の患者では、赤血球数が正常に戻った。投薬を中止することもできた。多発性硬化症( multiple sclerosis )と重症筋無力症( myasthenia gravis )の初期段階の臨床試験でも同様に有望な結果が示されている。潜在的な応用分野は、がんや自己免疫疾患にとどまらない。肝硬変( cirrhosis )やアテローム性動脈硬化症( atherosclerosis )などの慢性炎症によって引き起こされる疾患に対する CAR-T 細胞療法の前臨床試験も行われている。評価が待たれるところである。CAR-T 療法のアプローチは、これまでのどの治療法とも異なる。免疫系を抑制するために合成化学物質に頼るのではなく、免疫系を再プログラムして自己治癒を促すものである。「 CAR-T 細胞は、従来の医薬品では決してできなかったことができることがわかっている」とサドランは語る。CAR-T 細胞療法は個別化医療( personalized medicine )の典型である。投与量は、投与を受ける患者に合わせて個別に設計される。