現在の各国の経済政策は何故行き詰るのか?ロンドン・コンセンサスはその解を提示している!

The Financial Page

What Can Economists Agree on These Days?
最近、経済学者は何に同意できるでしょうか?

A new book, “The London Consensus,” offers a framework for rethinking economic policy in a fractured age of inequality, populism, and political crisis.
新しい論文集「ロンドン・コンセンサス」は、不平等、ポピュリズム、政治的危機の分裂時代に経済政策を再考するための構想を示している。

By John Cassidy December 1, 2025

 「ラリー・サマーズの時代は終わった」とポリティコ( Politico:政治に特化したニュースメディア)は宣言した。下院監視・政府改革委員会( House Oversight Committee )がジェフリー・エプスタイン( Jeffrey Epstein )の遺産管理団体からハーバード大学のベテラン経済学者ローレンス・サマーズ( Lawrence Summers )宛ての書簡を公開した直後のことである。この表現は少々大げさに思えなくもない。私が経済と経済政策について執筆してきた 30 年以上の間、サマーズが常に存在感を示し続けてきたのは事実である。彼の突然の失脚を機に、彼が初めて公の場に登場して以降のアメリカ経済の推移、何が変わったのか、そしてこれからどこへ向かうのかを考えてみた。

 先日出版された経済学論文集” The London Consensus (未邦訳:ロンドン・コンセンサス)“は、「 21 世紀の経済原則( Economic Principles for the 21st Century )」という野心的な副題が付けられている。名前負けせず、非常に示唆に富んでいる。数年前にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス( London School of Economics and Political Science:略号 LSE )で開催された会議からこの本は生まれた。貿易、成長、マクロ経済の安定性、不平等など、幅広い問題を扱っている。この論文集は、LSE の経済学者 3 人が編集したものである。経済成長の専門家であるティム・ベズリー( Tim Besley )、貧困と不平等の研究者であるイレーネ・ブセリ( Irene Bucelli )、そして 2006 年から 2010 年までチリの財務大臣を務めたマクロ経済学者のアンドレス・ベラスコ( Andrés Velasco )である。先週ベラスコに会ったのだが、彼はロンドンに戻ったばかりだった。ブエノスアイレスとモンテビデオを訪問し、新刊の宣伝のために巡回イベントを実施していたのである。「聞かれる質問のほとんどは、『経済学者が考えていることは、実際に何かの役に立つのか?』というものだった」と彼は教えてくれた。

 1990 年代には、この問いに対する明確な答えがあった。だだし、異論も受け入れると言わざるを得ない。それが「ワシントン・コンセンサス( Washington Consensus )」である。故ジョン・ウィリアムソン( John Williamson )というイギリスの経済学者が 1989 年に提唱した。国際通貨基金( IMF )や世界銀行( World Bank Group )などの国際経済機関が、アメリカ政府と共有していた経済政策パッケージである。アメリカは多大な支援をしていたが、援助や債務救済を受ける発展途上国には 10 項目の条件を課していた。ワシントン・コンセンサスの提言には、財政赤字削減、規制緩和、民営化、そして国際的な財・金融資本の流れに対する障壁の撤廃が含まれていた。保護関税、価格統制、その他の政府介入は、好ましくないとされていた。

 サマーズは 1990 年代初頭に世界銀行のチーフエコノミストを務めた。その後、クリントン政権発足後に財務次官となり、最終的には財務長官まで上り詰めた。当時、中国、インド、その他の発展途上国が自国の経済と労働力を世界的な資本主義体制に急速に統合しつつある時代であった。クリントン政権は貿易障壁の削減とグローバリゼーションを強く支持した。サマーズが主張している通りであるが、それによって貧困国の何億人もの人々が深刻な貧困から救い出された。

 もちろん、マイナス面が無かったわけではない。グローバリゼーションと貿易自由化によって金融不安がもたらされた。1997 年から 1998 年のアジア通貨危機、そして 2007 年から 2009 年の世界金危機などである。また、オフショアリング( offshoring:企業が業務の一部または全部を、人件費削減や労働力確保などの目的で海外に移管・委託すること)が進み、経済ポピュリズムの台頭が助長された。そして、トランプ政権は自由貿易と自由市場からの急激な離脱を進めた。ベラスコは、この激動の時期に経済学界にも大きな変化があったと主張する。実証研究が重要性を増し、少なくとも一部の経済学者は、より独断的な考え方に固執せず、心理学や政治学といった他分野の知見をより積極的に活用する必要性を認識した。

 「ロンドン・コンセンサス」は、この進化の軌跡を辿っている。LSE で教鞭を執った、あるいは学んだ数十人の経済学者の論文が含まれている。残念ながら、ベラスコが指摘しているのだが、「普遍的に何にでも適用可能な十戒は存在しない( you will not find Ten Commandments that are universally applicable )」。ベラスコとベズリーが主張しているのだが、この時代に包括的な政策を考えても効果が無いという。論文集の長大な序論でいくつかの一般的な経済原則を概説しているのだが、それらを様々な政策分野に適用しながら、「配慮と漸進主義( care and gradualism )」と「実際主義( pragmatism )」が重要であると論じている。

 ベズリーとベラスコが論じているところによれば、ロンドン・コンセンサスはワシントン・コンセンサスを完全に否定するものではない。いずれも、財政の健全性と低インフレを最優先する。しかし、ロンドン・コンセンサスは、加熱と崩壊を予防するために金融システムを効果的に規制することの重要性も強調する。金融当局は「短期資本フローの不安定化を防ぐ」ためなら、時には為替介入も躊躇すべきではないとも主張する。

 ワシントン・コンセンサスを踏まえつつ、ロンドン・コンセンサスは全世界での交易拡大が全体として大きな経済的利益をもたらすという。しかし、この主張を裏付ける証拠を詳述した論文の中で、MIT の経済学者デイブ・ドナルドソン( Dave Donaldson )は、貿易自由化は勝者だけでなく敗者も生み出すと主張する。雇用と所得への打撃は地域全体、さらには国全体に長期的な悪影響を及ぼす可能性があるという。「実際、今でもそうした現象を確認することができる。貿易自由化の負の影響により、何世代にもわたって続く低レベルの罠に陥った国は少なくない。国際競争力のある新しい産業を確立できなかった国も少なくない」と、オックスフォード大学のアンソニー・ヴェナブルズ( Anthony Venables )はドナルドソンの論文へのコメントで述べている。

 ロンドン・コンセンサスの一般原則の 1 つは、「成長は重要だが、すべてが成長するわけではない」というものである。自由貿易のマイナス影響を緩和するため、敗者となる国や地域への金銭的補償が必要である。各国政府がインフラと教育に投資することも重要で、経済的に低迷する国や地域を海外企業にとってより魅力的なものにすることを求めている。1990 年代、クリントン政権の中にはこの種の貿易調整政策を提唱する者も何人かいた。しかし、大きな進展はなかった。現在、彼らの主張が正しかったことが証明されている。「自由貿易に加わる機会を最大限に活用し、そのマイナス影響に適応するために必要な構造変化には、しばしば体系的な政府の政策介入が必要となる」とヴェナブルズは主張する。

 30 年前、多くの主流派経済学者は産業政策に深い疑念を抱いていた。ロンドン・コンセンサスは、産業政策を支持している。とはいえ、新たな名を冠しており、旧来とはいささか趣が異なる。それが「生産的開発政策( productive development policies )」である。これは、技能やインフラへの投資、主要原材料へのアクセスの確保、イノベーションの奨励、企業の略奪行為を罰する規制体系の整備など、あらゆるものを包含する。「経済成長には促進的な環境が必要であり、その大部分は政府の意図的な行動によって創出される」とベズリーとベラスコは主張する。

 関税についてはどうだろうか?ワシントン・コンセンサスの中心的な要素は、自由貿易体制の維持拡大であった。近年では保護主義が蔓延り、特に第 2 次トランプ政権発足以降この傾向が加速していることを踏まえた上で、ベズリーとベラスコは「我々の原則は、あらゆる保護主義政策を一律に排除するものではない」と書いている。そして、「これは、従来のあらゆる保護主義政策が正当化されるわけではない」と付け加えている。非常に曖昧な感じがする。そこで私はベラスコに問いただした。彼が主張したのは、関税は成熟産業の寿命を延ばすために用いられるべきではないということである。しかし、特定の状況下では、他の政策と組み合わせて未来の産業の発展を支援するために活用すべきであるという。その論理を適用したとしても、トランプ政権による鉄鋼輸入時の 50% の関税や、100 カ国以上からの製品に対する包括関税を支持することは不可能である。しかし、バイデン政権がグリーン製造業( green manufacturing )の推進策の一環として導入した中国製電気自動車への高額な関税は正当化できる。ロンドン・コンセンサスは、グリーン成長( green growth )を目標の 1 つとして支持している。それでも、ベラスコは保護主義的な措置を使ってそれを推進することには否定的である。「政府が経済成長と発展を促進するために使える手段はいくつもあるわけだが、その中で関税はかなり下位に位置する」と彼は言った。

 「ロンドン・コンセンサス」のもう 1 人の寄稿者は、フランス人経済学者フィリップ・アギオン( Philippe Aghion )である。今年のノーベル経済学賞を共同受賞した。「創造的破壊( creative destruction )」が経済成長を促進するという理論的研究で知られている。この研究を引用し、ロンドン・コンセンサスではイノベーションを刺激する政策を提唱している。いくつかの提言は、なるほどと思えるものである。科学研究​​の支援などである。しかし、素直に肯定できそうもない提言もある。LSE のジョン・ヴァン・リーネンと共著論文で、アギオンは、特に企業合併に関して、より厳格な独占禁止政策を求めている。問題は、アルファベット( Alphabet )やメタ( Meta )など既存の巨大 IT 企業には、市場を独占し、将来の脅威となる可能性のある新興イノベーター企業を買収したいという強いインセンティブがあることである。巨大 IT 企業が買収するのを妨げるのは、得策ではない気がする。「各国政府は革新的な新規企業の参入と新しい才能の出現を絶えず支援することによって、自国の経済をより革新的でより包括的にすることができる」とアギオンとヴァン・リーネンは書いている。

 革新的なスタートアップ企業の利益を守ることは、ロンドン・コンセンサスが推奨している産業振興策の一環である。労働組合の支援や、育児休暇や保育など職場における男女平等を促進する政策の支援なども有効であろう。ロンドン・コンセンサスがワシントン・コンセンサスと大きく違う点がもう 1 つある。それは、不平等は無視できないという認識である。それは、個々人の生活に有害な影響を及ぼす可能性がある。それだけにとどまらず、経済成長や政治体制にも悪影響を及ぼす。LSE で教鞭をとる元世界銀行の経済学者、フランシスコ・H・G・フェレイラ( Francisco H. G. Ferreira )が主張しているのだが、富の不平等が大きいと利己的なエリートによる国家の乗っ取りにつながる可能性がある。こういう認識は、プラトン( Plato )の「国家( Republic )」にまで遡ることができるという。多くの経済学者が遅ればせながらこれを再発見したことは、確かに歓迎すべき進展である。

 「良い政治なくして良い経済なし」という認識も同様である。これはベズリーとベラスコが概説するもう 1 つの一般原則である。「 1990 年代には、経済運営を上手くやれば政治的問題は自然に解決されると、多くの経済学者が暗黙の内に信じていた」とベラスコは私に言った。この考え方には瑕疵がある。グローバリゼーションの反動と、世界金融危機によってそれは明らかになった。「ワシントン・コンセンサスに関して学ばなければならないのは、経済政策を経済音痴の政治家に任せるだけでは、効果は長続きしないということである」とベラスコは述べている。

 これは、オーストリア=ハンガリー帝国の政治経済学者カール・ポラニー( Karl Polanyi )が約 1 世紀前に戦間期の惨禍を目の当たりにした際に抱いた洞察と本質的に同じである。彼が主張するのは、その惨禍は 19 世紀後半の自由放任主義体制( laissez-faire system )を再現しようとする誤った試みに起因するということである。また、経済は既存の社会構造に組み込まれ、従属しているので、この構造の在り方を覆そうとする試みは、強力な反発を必然的に招くという。状況に応じて平和的にも暴力的にもなり得る。1930 年代初頭にポラニーは、そうした状況がもたらす最も可能性の高い 2 つの結果としてファシズムと社会主義を挙げている。しかし、ニューディール政策( New Deal )と第二次世界大戦( Second World War )後、彼は社会民主主義( social democracy )についていくぶん楽観的になった。
それに市場と社会のバランスを回復させるポテンシャルがあると考えたからである。

 ベズリーとベラスコはポランニーに言及こそしていないものの、ロンドン・コンセンサスは経済と政治の均衡を保つ必要性を明確に示している。「多くの国や地域で、グローバリゼーション、技術革新、気候変動の影響に対処し、ポピュリズムと二極化という現実に対処する中で、政治が経済的打撃の源泉となるリスクが高まっている」。そうした危機が起こらないよう未然に防ぐために、「為政者は検討している政策が社会全体の結束を強固にするのに役立つか、それとも阻害するかを吟味する必要がある。これは純粋に経済的なアプローチでは考慮されない点である」。

 AI 革命がさらなる経済的・社会的混乱をもたらすと予測する経済学者は少なくない。しかし、LSE の経済学者は誰一人としてそれをじっくりと検討できていない。進展が早すぎるから分析できていないのが現状でsる。しかし、AI 革命の潜在的なリスクは彼らの課題の緊急性をさらに高めるに違いない。ロンドン・コンセンサスで繰り広げられた主張は、どこまで届いているのかという疑問が投げかけられている。はたして LSE の外まで届いているのだろうか。この論文集内でさえ、寄稿者間で大きな意見の相違がある。また、それが過去の政策との大きな差を十分に説明できているのかという疑問もある。いくつかの分野では、むしろ過去の政策と差が無いと私は感じた。しかし、経済学の視野を広げようとする試みを称賛したい。ベラスコが述べたように、「私たちが求めているのは単なる経済的コンセンサスではなく、政治経済的コンセンサスなのである」。♦

以上