中国の対米輸出急増! コロナ禍も米中貿易摩擦も関係ない

中国の急速な発展と強まる中国共産党の支配

2019年8月に私は家族と一緒に成都に引っ越してきました。それから四川大学でジャーナリズムと英語を教えています。米中関係が混乱している時期にこの地域に引っ越してきたのは2回目でした。1回目は、1995年のことで、米国務省が台湾の李登輝総統(母校コーネル大学で演説するよう招待されていた)にビザを発給した後のことでした。両国は緊張状態に入りました。中国政府は猛烈に抗議し、台湾近海でミサイル発射実験を実施しました。1996年3月には、米国はその地域に多くの艦艇を送り、2つの空母戦闘群を増強しました。それは、ベトナム戦争以来、アジアにおける米軍の最大限の軍事力の動員でした。
 その夏に、私はピース・コープス(訳者注:日本の青年海外協力隊の米国版のような団体)のボランティアとして成都市に来ました。私は、アダム・マイヤー(若い米国人)と共に、四川省の僻地にある大学で教える任務を割り当てられました。ビル・クリントンが2度目の大統領選に立候補していましたが、彼は中国の国営メディアから頻繁に攻撃されていました。数年後、私が教えていた生徒の1人が、当時の自分の気持ちを説明した手紙をくれました。そこには次のように記されていました。「あなたが私の先生になってから間もなく、あるネットのニュースのコメント欄を見たんです。そうしたら、クリントンが再選するとしたら中国に対して強硬措置を講じなければならないというコメントを見たんです。それで、当時、私は米国人のマイヤー先生とあなたを見るのが嫌でした。」
 しかし、当時そうした意見が表明されることはなく平穏でした。四川省の人たちは誰もが政治に対しては現実的な対応を取っていていました。私たちが教鞭をとっていた大学は、鄧小平が推進していた「改革開放」政策に従って、リスクをとってアメリカ人教師を受け入れていました。ほとんどの学生は貧しい田舎の家庭の出身でしたが、彼らは英語を専攻するのに十分な成績を修めていました。彼らは語学コースに加えて、政治学コースも必須で履修しなければなりませんでした。そこでは時代遅れと思われるようなマルクス・レーニン主義や中国社会主義の歴史などの授業がありました。それでも、教室の外を一目見ただけでも、中国の社会主義が崩壊しつつあるのが明確に分かりました。私のそこでの2年目には、四川省の政府は大学の卒業生に保証された仕事を提供することを止め、四川省の不動産市場は自由化されました。そうしたことが中国全土で進行していました。教え子の中でも野心的な学生たちは、貿易で活気づいていた広東省や浙江省などに出ました。
 実際には、ビル・クリントンは、誰もが予想していたよりも中国にとって良い人物であることが明らかになっていきました。彼が2期めの大統領の際に、2001年のことでしたが、米下院は中国に永久的な貿易特権を与えましたし、クリントンは中国のWTO加入のために交渉を開始しました。クリントン政権8年間は中国に対して一貫した関与政策をとっていました。オバマ大統領がアジアでの中国の影響力の高まりに対抗することを目的として「ピボット・ツー・アジア(Pivot to Asia=アジアへの中心軸移動)」政策をとりましたが、クリントンの時にに比べたら、実際の影響はほとんどありませんでした。
 私は久々に成都市に戻った時、改革解放政策の成果がそこかしこに見られました。大規模な地下鉄網、真新しい四川大学キャンパス、高層ビルが立ち並ぶビジネス街区などです。キムゾン社もその街区にありました。大学で教えていても、教え子たちの体躯が変わったのが分かりました。私が生徒たちに1996年の写真を見せたところ、皆笑いました。その写真では170センチの身長の私を生徒たちが見上げていました。現在教えている生徒の中に私より身長が低い男子はほとんどいません。そうなったのは、生活水準の向上が寄与していると思われます。医学誌ランセットに掲載された論文によると、児童の1985年からの身長の伸びが、中国は調査した200か国中で、男子は1位、女子は3位でした。中国の19歳男性の平均身長は9センチ以上高くなっていました。
 私の生徒のほとんどは都市部の中流階級の出身でした。大多数がピッツバーグ大学に1~2年留学するプログラムに登録していました。中国全体では毎年米国へ留学する大学生は約40万人もいました。しかし、四川大学では、アメリカに留学する学生でさえ、いまだに政治学コースを履修し、マルクス主義の基本原則とか毛沢東思想入門といった講座を受講しています。私が講義をしている棟の隣に、最近完成した建物には、4階部分までの高さの煌めくガラスのファサードがありますが、「マルクス主義研究所」という大きな金色の文字が掲げられていました。その建物の威容は私が教えていた学生たちと似ているところがあるかなと思いました。大きくて、頑丈そうで、金ぴかに着飾っています。その研究所には地下に大きな駐車場があります。なぜなら、現在の中国のマルクス主義者は誰もが自動車を持っているからです。
 中国共産党の支配は、以前よりもさらに強力になったと感じられ、米中間の関係もさらに悪化したように感じられました。ドナルド・トランプが大統領に就任する以前に、ワシントンでは、中国が米中二国間の貿易であまりにも多くの利益を得ているというコンセンサスがすでに出来上がっていました。トランプ政権高官は、度々「デカップリング(分断)」という語を提唱し、中国を経済分野、技術的領域から切り離すべきだと主張していました。2018年春、トランプ政権は中国製品に高い関税を課し始め、中国も独自の対抗措置をとりました。交換留学プログラムも多少は影響を受けましたが、おそらく、新疆ウイグル自治区での残忍な弾圧行為と香港での民主化活動家に対する抑圧に対する制裁措置の意味合いもあったと思われます。私が四川大学で教え始めた年の途中で、トランプ政権は突然中国向けのピース・コープス・プログラムを終了しました。同時期に、中国と香港向けのフルブライト交換留学プログラムも中止になりました。
 成都市では、ほとんどの人はそういった状況に特別に反応することも無く普通でした。リ・デウェイはアメリカの政治については特段強い関心があるわけではありませんでした。関税が課された後、彼がしたことは、単純にその分をAmazonで販売するシューズの価格に15%上乗せするということでした。彼は言いました、「関税は顧客に転嫁します。」と。
 私が教えていた学部では、すべての講師が英作文指導コースを手伝っていて、学生は個別指導を予約して受けることができました。その予約を管理するために、私がそこに加わる前に、米国企業からスケジューリングソフトを購入する計画がありました。しかし、それを購入することは出来ませんでした。ある教授会幹部が会議で私たちに言ったのは、そうなった理由はおそらく貿易戦争だろうということでした。そのため、学部は、美容院やスパマッサージパーラー向けの予約ソフトを販売している英国企業フレッシャ社から購入することにしました。私に個別指導のセッションの予約が入ると、アラートのメールが届きます。そのソフトは、元々がサービス業の顧客管理向けのものであったので、広告メールも時々届きました。マニュキアやペディキュアやアロママッサージ等の広告がほとんどでした。4月になると、そうした広告メールの数が急激に増えました。というのは、新型コロナの影響で、マッサージパーラー、美容院、温浴施設等が既存の予約管理方法を見直して、大挙してフレッシャ社の予約ソフトを購入し使用し始めたからでした。