中国の対米輸出急増! コロナ禍も米中貿易摩擦も関係ない

中国の報復措置 成都の領事館閉鎖

7月末近く、私の娘の友人でその時点で成都市に残っていた最後の1人も中国外に出ました。他の米国人の友人たちのほとんどは1月か2月に退去し、さらに時間の経過とともに残っている者は減っていきました。通常の年であれば、夏に私の家族はコロラドを訪れていたはずですが、今年は中国を出国すると再入国が不可能のようです。
 ピース・コープスのボランティアをしていた時、私は2年間米国に帰国しませんでした。どうやら、今年は同じ経験をする可能性が高いようです。私がボランティアをしていた1990年代には、四川省はとても辺鄙なところだと感じられました。米国製の商品を見かけることはありませんでした。その2年間に、私はマクドナルドを見たことがありませんでした。2020年時点では、中国でビジネスを行っている米国企業は7万社を超えました。一方、中国企業はPPE(個人用防護具)などの製品を大量に製造して、コロナ危機下の米国の消費者に売りまくっています。米国で何らかの動きがあると、抗議活動や封鎖や景気刺激策などですが、即座な影響がさざ波のように中国の至るところに押し寄せます。米中間の経済のデカップリング(分断)が進むのではないかと懸念されていましたが、しかし、実際には両国間の経済的つながりはかつてないほど強くなりました。2020年米中間の貿易額は約9%増加しました。貿易以外の面では米中両国間には懸念すべきことが沢山ありました。
 7月24日、中国政府は成都市の米国領事館を閉鎖し、全ての米国人スタッフを国外退去させると発表しました。それは中国政府によるトランプ政権の最近の行動に対する報復で、ヒューストンの中国領事館がスパイ活動を理由に閉鎖されたことに対応したものでした。米国務省の高官の1人が言っていましたが、中国がヒューストンでスパイ活動をしていたことは疑いの余地が無く、それに対して米国が取った措置はそれほど悪手では無かったとのことです。通常であれば、何人かの中国の外交官が国外追放となるだけで、領事館が閉鎖されることはなかったでしょう。そうしたのは、最善策では無かったかもしれませんが、中国側に伝えたいメッセージを伝えるためには必要なことでした。
 先ほどの米国務省の高官が言うには、今年初めに、トランプ大統領の側近はもっと過激な策を提案していたということです。トランプ政権内に、中国のすべての領事館の閉鎖を提案する人たちが少なからずいたのです。その人たちは、そうすれば、中国は対抗して米国内の全ての領事館を閉鎖するだろうと推測していました。実際にそうゆうことが米中両国の報道機関に対する対応で起こっていました。3月にトランプ政権は、米国内で中国国営の報道機関で働く中国人の人数を大幅に制限しました。中国外務省はすぐさま対抗措置を発動し、タイムズ紙や、ワシントン・ポスト紙やウォールストリートジャーナル誌で働くほとんど全ての米国人に国外退去を命じました。年末には、中国に残った米国人ジャーナリストは僅か30人ほどになりました。
 成都の領事館が閉鎖されることが発表された後、私は毎日2回のペースで自転車で領事館に行きました。周辺は厳重に警備されていましたが、発表の2日後には、沢山の中国人が訪れるようになっていました。皆、建物の前で自撮り写真を撮っていました。1人の女性が一緒に来ている数人に声をかけているのが聴き取れました。彼女は、急いで写真を撮って、次の目的地の都江堰に急ごうと言っていました。都江堰というのは、成都市の郊外にある観光地です。その一行は温州から休暇を利用して来たと言っていました。旅程表に成都の領事館も入っていたと言っていました。
 領事館の敷地内では、米国人がいわゆる「破壊工作」というのを実行していました。急いで荷造りをし、書類をシュッレッダーにかけ、コンピューターや通信機器を壊していました。中国政府が退去までに与えた時間は72時間で、それはアメリカ政府が与えた時間と全く同じです。そうしたやり方は外交上の慣例となっていようで、スポーツの世界で定着している定型の儀式のようなものです。片方が行動を起こせば、もう片方が反射的に対応します。その間、周りの者、報道機関等は好き勝手に報道することになります。ヒューストンでは、国家安全保障局員が中国領事館で雇われている米国人の使用人がホームデポへ行くのを尾行して、そこで書類を焼却するためのドラム缶型焼却炉を購入するのを確認しました。米国の多くのテレビ局がニュースでその領事館の中庭から煙が出ている画像を流していました。
 成都市の米国領事館で最も高い建物は6階建てでした。1994年に開設された当時、それは周辺で最も高い建造物で、領事館の壁のすぐ向こうには田んぼが広がっていました。私が最初に訪れた1996年には、領事館の敷地の周りは市街化し始めていました。それから20年しか経っていませんが、20階以上の建物が敷地の3方から迫っています。それは、以前に私が大学の教室で経験したことと似ていました。あの時は生徒と私の身長、今回は建物の高さが話題です。米国領事館の建物の高さが低くなったわけではないのですが、比較対象の周りの中国の建物が高くなったことにより、いくぶん低くなったように感じられました。
 領事館に近接して高層ビルが建っているということのセキュリティ上のリスクは低くありません。現在、中国政府はそれらのビルの上層階にカメラを設置しています。それで、領事館の中庭での活動を記録しています。米国務省の高官の1人が言いました、「中国政府がカメラが設置した理由は明らかです。私たちが書類を燃やしている動画を撮りたいんですよ。彼らはどうしてもその絵が欲しいんですよ。」と。
 領事館員の1人が地元の印刷屋にいくつかのバナーの作成を依頼するというアイデアを思いつきました。それらの旗には、「Ganxie Chengdu(訳者注:ありがとう、成都の意)」、「Thank you、Chengdu(成都) 」などの文字を印刷する考えでした。それがテレビに映れば、視聴者に威厳のあるメッセージを送ることになるだろうと考えました。雇っている中国人の誰かに頼めば印刷屋に快く注文に行くだろうと思っていました。ヒューストンの米国人の使用人がホームデポでドラム缶型焼却炉を買ってきたように。印刷屋への発注はある女性が個人名で行いました。しかし、バナーが出来上がると思われる時間になる直前で、彼女は12人以上の警官に拘留されました。彼女が釈放されたのは、7時間の拘束と尋問の後のことで、バナーは結局どこにも見あたりませんでした。
 結局、米国領事館は72時間以内に破壊工作を終えることができました。3日目の夜明け後すぐに、最後まで残っていた外交官たちが正面玄関の鍵を開けた後、向き直って奥へ進み裏口から退出して、車に乗り込んで去りました。中国側ではその時の状況を撮ることが出来なかったようで、中国国営メディアでも動画は流れませんでした。また、誰もバナーを見ることはありませんでした。