Masks On, Masks Off
マスクオン、マスクオフ
I missed seeing people’s faces; I missed showing mine, too. I knew that, in the grand scheme of things, this was trivial, but it also, somehow, mattered.
新型コロナの影響で、他者と直接会って顔をさらけ出しながらのコミュニケ―ションする機会は失われました。お互い相手の顔色を窺い知ることは出来ません。そんなことは意思疎通する上で何の影響も無いと思うかもしれません。しかし、直接会ってマスクをしていない場合と比べると、コミュニケーションは円滑ではなくなります。
By Naomi Fry July 13, 2021
今年の春頃には、疎外感を感じることがやたらと増えたような気がしました。その理由は、何カ月も専らZoomで他人とやり取りしていたことにもあると思います。また、私はZoomでミーティングする際には、上はきちんとしたシャツを着ていますが、下はパジャマのままだったりしましたので、自分自身の中に2人の異なった人物がいるような気がしたこともありました。直接会ってコミュニケーションするのと違って、パソコンやスマホ越しでは何かと雰囲気が伝わらないのも事実です。私のある友人なんかが言うには、新型コロナの感染が始まって以降ずっとフェイスタイムでやりとりしていた相手が居たらしいのですが、最近初めて会ってみて自分より身長が低いので驚いたと言っていました。フェイスタイムの画面越しで見ていた限りでは、どう見ても身長の高い顔だったと言っていました。まあ、上半身だけを見てコミュニケーションした場合には、その際に勝手にイメージする下半身を含めた全身と実物が違うなんてことが発生するのは仕方が無いことです。同じようなことが、顔の上部と顔全体についても当てはまります。近頃では、直接人と会ってコミュニケーションすると言っても、お互いにマスクをして顔の上半分しか見ることが出来ません。それで相手の顔全体を勝手にイメージするわけですが、それが実物と違うのは仕方のないことだと言えます。
新型コロナのパンデミックが始まる前、「マスク」という単語を聞くと私は仮面舞踏会を連想しました。エレガントなベネチアの手工芸の仮面を連想しました。超富裕層が贅を凝らした高価な仮面をつけて見せびらかす姿を連想しました。しかし、新型コロナの発生以降、マスクと言えば、全く色気も素っ気もないものになってしまいました。マスク着用の効能は、顔を隠して感染を防ぐことであり、それを着用しないことは愚かな行動と認識され、危険を顧みない行動だと認識されるようになりました。昨年10月、シンガーソングライターのラナ・デル・レイは、ファンとの対面イベントで、キラキラと光る魚網のような目の粗いマスクを着用し物議を醸しました。それでネット上でかなり非難されました。後に彼女は、網の目の下に見えない透明なプラスチックが有るので飛沫が飛ばない(それは事実のようです)と釈明したものの、イメージの悪化は免れませんでした。
マスクを着用することは重要ですが、それでもマスクを着用していることで時としてコミュニケ―ションに支障をきたすことがあるというのも事実です。私は、マスクを着用してコミュニケーションをすると、自分が他人から拒絶されているように感じることがありました。また、自分の意思が伝わりにくいとも感じました。今年の初めに、ある研究で明らかになったのは、マスクを着用すると、人の顔を認識する能力が約15%低下することが明らかになりました。また、別の研究では、マスクを着用すると、声がくぐもったり、顔の表情というか非言語的なジェスチャー(鼻孔が拡がったり、顎が下がったり)が隠れてしまうので、コミュニケーションがかなり困難になることがわかりました。つまり、相手の顔の表情がよく読めなくなり、こちらの表情も伝わりにくくなるわけです。もっと言えば、口唇の動きから得られる情報は意外と多いのですが、口唇の動きがマスクによって完全に見えなくなりました。声のトーンとか顔の表情とか口唇の動きとかは、普段はあまり気にしたこと無いのかもしれませんが、実はそれらはコミュニケ―ションの際には非常に重要な役割を果たしているのです。私の知り合いの女性は美人で特に口元がチャーミングなことで評判なのですが、私に言いました、「マスクの着用で私の魅力も半減よ!」と。彼女は誰かとコミュニケーションする際にお互いの口元が見えないことは致命的だと言っていました。また、コミュニケーションする際にはマスクを外すことが必須で、そうしなければそもそも誰と話してるかも分からなくなると言っていました。
しかし、今年の5月にマスクの着用をめぐっては大きな変化がありました。それは米疾病管理予防センターが、ワクチンを2回接種した者は屋内でも屋外でもマスクを着用する必要がなくなったと発表したということです(公共交通機関に乗っている時、医療施設を訪れている時など、いくつかの例外があります)。マスクの着用が必須でなくなることを見越して、審美歯科の受診者が増えていて、口紅の販売にいたっては80%以上急増していました。ウォルマートへのCNNの取材で明らかになったのは、顧客の多くがパープルやブルーの明るい色のリップスティックを買い求めているということでした。口元をきれいに見せようというマインドが戻りつつあるようです。ご多分に漏れず、私もそういうことは重要だと思ったので、セフォラ(大人気のコスメショップ)の店舗に行って商品を見てみることにしました。また、マスクを外す生活に戻るための準備をしている女性買物客の動向も見てみました。
初夏の気持ちの良い気候の日でした。地下鉄ユニオンスクエア駅で降りて地上に出てから、私はマスクを外しました。口元がスースーしましたが、久々に口元に直接風を感じる爽快さを感じた気がしました。しかし、セフォラの店に入ると直ぐに私はマスクを口元に戻しました。そうしたのは、習慣で自然としてしまった部分もありましたが、他の店内の客のほとんど全員がマスクを着用していたからです。私はマスクの着用に関して近くの店員に聞いてみました。すると、彼女は言いました、「当店は米疾病管理予防センターの指針を遵守しています。店員は依然としてマスクを着用する必要がありますが、ワクチン接種を2回受けたお客さまはマスク着用の義務はありません。」と。そう言われて私がマスクを外すべきか否か迷っているのを見て、その店員は言いました、「お客さまの中には、マスクを外すのは駄目だろうと仰る方も中にはおられます。」と。私はマスクを着けたままにしました。
それでも、その店は活気にあふれ、にぎわっていました。甘い芳香と香水の香りが漂い、金色や銀色の什器にピンク、赤、オレンジなどきれいな商品が無数に並べられている中を買物客がルンルンで商品を見たり触ったりしました。店内にはモデルの写真があちこちに飾られていました。それらのモデルの顔にはマスクなどありませんし、顔全体がきれいなメーキャップが施されていました。それらのモデルの女性のメーキャップされた口元は心なしか挑発的な感じがしました。唇を官能的にすぼめて、アヒル口のようで、少し唇を開けて歯や舌が少し覗いていました。新型コロナの影響で1年以上のマスク着用が続いたことにより、そうしたモデルの口元を強調したポスター画像の訴求力が高まったようで、私にはちょっと刺激的過ぎる感じがしました。例えて言うと、性交渉未経験の女性が誤ってクリックして初めてアダルト動画を目にしてしまった時のような感じでしょうか。
私は新型コロナのパンデミックが始まって以降、セフォラの店舗には行っていませんでした。歯医者も同様に行っていませんでした。いずれも、新型コロナの種々の規制が解除されて、客足が急激に戻っているようです。その日、セフォラの店で感じたのですが、私はワクチン接種を2回受けていて、テスター(試供品)は使うたびに消毒されていたのですが、テスターを使うのはちょっと躊躇しました。まあ、テスターを使わないと発色とかが分からないので、実際には仕方なくテスターを使ったのですが。2本向こうの店内通路に居る女性の腕にはテスターを使った跡が沢山残っていました。両手、両腕にピンクや茶色やさまざまな色のドットが点在していました。その女性は、マスクを外さないことを最優先しリップスティックのテスターを唇に塗る代わりに手や腕を使ったのでしょう。
店内の至る所で、顧客が商品を吟味し探し回っていました。あたかも化粧品の助けを借りて自分自身を表現し、文字通り自分自身の魅力を引き出そうとしているようでした。Charlotte Tilbury(シャーロット・ティルブリー)というブランドの売場でテスターを使っていた30代の女性は言いました。「私はパンデミックでマスク着用が必須の期間でも、近所を散歩する際にはマスクの下にリップスティックを引いて化粧をしていました。そうしないと、いつもきれいでいたいという感覚が鈍るような気がしたからです。」と。Pat McGrath Labs(パット・マクグラス・ラブ)のカウンターの近くに居た10代のスケーターは、マスクを着用する際には、マスクで隠れていない部分、とりわけ自分の目の回りのメーキャップを念入りにすることを余儀なくされたと言っていました。彼女はマスクを着用しなくなっても、目を重点的にメーキャップすることは続けるようにすると言っていました。その日の彼女の眉毛の真下にはの白い点線が2本引かれていました。眉毛自体は少しまばらでした。そうした眉毛回りのスタイルはユーフォリア(多幸感)を表現することを意図したものだそうです。彼女は私に言いました、「眉毛は去年すべて剃っちゃったわ。」と。
40代の2人の女性がグッチのメーキャップ関連売場にいて、2人ともリップスティックを購入していました。それぞれ違う色でしたが、私の目には同じ色に見えました(ダイアナ・アンバーとレニー・ピンクでした)。2人の女性は、読書クラブの会合に向かう途中でセフォラの店に立ち寄ったと言っていました。今日は、ドリス・レッシングの”The Fifth Child(1988)”(邦題:破壊者ベンの誕生)を話題にすると言っていました。私が彼らに職業は何であるかを尋ねたところ、1人は脚本家、もう1人は俳優と答えました。俳優と答えた方の女性は、花柄のマスクをしていて最初はよく分からなかったのですが、よく見たら1988年から1997年までABCネットワークで放送され人気を博したシットコム”Roseanne(ロザンヌ)”にベッキー役で出演していた女優のレシー・ゴランソンでした。ゴランソンは、私が質問しようと近づいていった時、新型コロナ前でマスクを着けていなかった頃はたびたび質問をされていたように、ロザンヌに出ていたベッキー役の人ですかと聞かれると予測したと言っていました。思い返すと私もかつて彼女がテレビでロザンヌ・バーの長女の役を演じていたのを見ていた記憶があります。ゴランソンが私に言いったのは、新型コロナの影響でマスクを着用するようになったが、そのおかげで回りから女優と気付かれずに行動できているそうです。彼女は言いました、「誰にも気付かれずに出歩けるおかげで、精神的には落ち着けるので助かっているわ。時には気休めすることがとても重要なの。」と。
マスクの着用が有用だと感じているのはゴランソンのような俳優だけではありません。間もなくマスクを着用しなくなるようになると思われますが、マスクをしている効用って感染防止以外にも沢山あるのです。私の同僚の1人は言っていました、「マスクを着用していた方が、他の人と交流する時に都合が良いことも有ったわ。私はファーマーズマーケットに行く際なんかには、マスクを着用したわ。そうした場所ではまだマスクを外すべきじゃなく、感染予防をしっかりした方が良いと思うのよ。」と。マスクを着用しないとなると、回りからの目がありますから化粧しないわけにはいきません。ある女性は言っていました、「マスクをするようになって、化粧しなくなったから、セフォラに来るのは本当に久しぶりよ。マスクをする方が楽で良いのよ。マスクをしなくなるなんて、ちょっと寂しいわね。顎のあたりのニキビのこともまた気にしないといけなくなるわ。」と。LAに住む私の友人が言っていたのですが、マスクを着用しなくなるのは、顔がスースーして違和感があるような気がするので、着用したままの方が望ましいとのことでした。
現状ではマスクを着用することは今でも一般的に続いており、特に室内では誰もが着用を続けている状況ですので、マスク着用が完全に為されなくなった場合の影響や帰結を認識するにはしばらく時間がかかると思われます。屋外でのマスク着用は徐々に減っていて、じきに屋外では誰もマスクをしない状況になると想定されます。私の知人でニューヨーク在住の女性は言いました、「マスクを着用せずに外出できるようになってきたけれども、ニューヨークの路上は何だか以前と違って過ごしにくくなったわ。」と。その意見には同意する者が多いでしょう。ニューヨークの街中は賑やかさが戻りつつあり、騒がしくなり、キャッチセールスや呼び込みが路上に沢山戻ってきています。私の友人の1人は性転換をしていて今は女性ですが、パンデミックの直前に豊胸手術を受けました。彼女は顔の整形手術は一切受けていないのですが、マスクがあると落ち着くと言っていました。というのは、彼女は顔は弄っていないのに、女性からの顔を弄っていると疑っているような視線がいつも気になったと言っていたのですが、マスクを着用しているとそうした視線が和らぐ気がすると言っていました。また、私の他の知人女性もマスク着用の利点を述べていて、顔のレーザー脱毛をしたのですが、しばらく傷跡やかさぶたができたのですが隠せるので助かったそうです。新型コロナの感染が収束するということは、マスクの着用が為されなくなるわけですので、女性のより素に近い姿が見られるようになるということを意味します。それって、良いことなのでしょうか?それとも悪いことなのでしょうか?
マスクの着用が為され無くなれば、新型コロナ前の時のように人々の顔全体が見えるようになります。ほくろや血色の良い頬も見えるようになりますし、耳にピアスをすることも再び可能になりますが、ニキビは隠せなくなります。セフォラを出て、私は地下鉄の駅に向かいました。駅の入口でマスクを着用していない女性が大声でスマホで電話をしていました。聴こえてきたのは、「だから私は彼女に言ってやったわよ。何て言ったかって?」という言葉でした。その後、もったいぶったような沈黙の後、彼女は次のように続けました、「言ってやったわよ、『このあばずれ女!』って。」と。マスクをしていなかったので、彼女の顔全体も良く見えましたし、きれいに口紅が引かれているのも分かりました。彼女は怒り心頭であることは一目で分かりましたが、何だかとても生き生きしてるように見受けられました。マスク越しだとそういうことを感じることは出来ません。マスクの着用が終われば、そうしたものが見えた以前の世界に戻るでしょう。
以上
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