ネットリンチ事例!リホ・モンシーの事例 最終的には良い方向に
2月28日、イタリアのベネチアで放射線科医をしているリホ・モンシー(26歳)が、両親とインドのコチに飛行機で行きました。3人ともインド生まれでしたが、リホが子供の時にイタリアに移り住んでいました。コチでは、モンシーたちは自宅待機をするということはしませんでした。すぐに友人や親類を訪ねました。その後まもなく、叔父の1人が新型コロナウイルスに感染し発症しました。それに続くように親類の中に感染者が出ました。感染者はモンシーを含めて11人になりました。モンシーの93歳の祖父も、最もモンシーが尊敬していたのですが、感染してしまいました。
モンシーらが治療を受けた後、インドの報道機関は名前を公表しました。ネット上では、ひっきりなしの非難や中傷が始まりました。公開処刑が必要だという書き込みもありました。モンシーたちが故意にウイルスをイタリアから持ち込んだに違いないと非難する書き込みが溢れかえっていました。モンシーにとっては、ウイルスに感染したことは最も辛いことではありませんでした。それよりも、辛かったのは、ネット上で酷い攻撃を受けたことでした。ケーララ州の州保健省の大臣K.K. サイラヤは、モンシーたちを無責任であると非難しました。モンシーたちは沈黙しているしかありませんでした。
モンシーと両親は最終的にはパタナムティッタ(ケーララ州南部の県)医療センターに行きました。そこでは今までの事態は一変しました。医療スタッフはとても親切に適切な治療をしてくれました。モンシーは当時テレグラフ・インディア紙に、「私たちは食事をしてお菓子などもいただきました。とてもおいしいものでした。公営の医療施設であんなおいしいものが食べられるなんて予想もしていませんでした。」と述べていました。女性の看護師の1人(モンシーの担当ではありません)が感染してしまいました。しかし、彼女はそのことについて怒るようなことはありませんし、看護師としてやるべきことをして感染しただけだから仕方がないと思っていました。ネット上で様々な方法で、モンシーは自分たちの不注意な行動について謝罪しました。「全ての人に感謝します。私たちを非難した人にも感謝したいです。」という文も投稿していました。その後、ネット上での攻撃は減っていきました。
1か月以内に、モンシーの周りの感染者は、全員退院しました。モンシーの祖父も退院しましたが、インドでCOVID-19から回復した最年長の人物として国民的英雄になりました。モンシーは、祖父はインドの人々に勇気を与えたと感じていました。モンシーは、インドの有名な雑誌のインタビューに応じました。その中で、祖父が回復できたのはケラーラ州に住んでいたからであること、そのことをとても神に感謝していること、もしイタリアや米国に住んでいたら死んでいただろうということなどを話していました。
モンシーはイタリアに戻り、仕事に復帰しました。彼はネットリンチにあいましたが、最終的に良い方向に向かったことについては、いまだに驚いています。インドの人たちは、モンシーたちの災難から学び、より忍耐強くなったのかもしれません。サイラヤ(以前モンシーらを非難した州保健省の大臣)は、皆が退院した後、モンシーと話しました。回復具合を気づかっていました。モンシーは私に言いました、「以前は知らないことがいっぱいありました。私たちが退院した後、サイラヤが家に電話を掛けてくれたんです。丁重な見舞いの言葉をいただきました。彼女は非常に素敵で賢い人でした。」と。ネットリンチは終わりました。ケラーラ州での騒動の最中、モンシーはあまりにも酷い投稿はスマホに保存していました。しかし、つい最近、それを全部消去しました。彼はあの騒動のことはもう忘れたいと思っているようです。
以上