プーチンの無慈悲な報復?プーチンは、盾突く奴を決して許さない!2つのミスがプリゴジンを死に導いた!

 Postscript

Putin’s Deadly Revenge on Prigozhin
プーチン大統領のプリゴジンに対する致命的な復讐

The killing of Wagner’s leader, who is presumed dead after his private plane crashed en route to St. Petersburg, won’t address the deeper sources of stress affecting the Russian President’s grip on power.
ワグナー・グループ指導者の乗ったプライヴェートジェットがサンクトペテルブルクへ向かう途中で撃墜された。このことは、プーチン大統領の権力基盤に大きな影響は与えないでしょう。

By Joshua Yaffa August 24, 2023

 ワグナー・グループ(Wagner Group)の創設者であるエフゲニー・プリゴジン(Yevgeny Prigozhin)が6月下旬にロシア軍指導部に対して反乱を起こしました。それ以降、彼はいずれ何らかの処罰をされるだろうと思われてきました。プリゴジンにそのような意図がなかったとしても、ワグナー・グループの反乱はロシア軍の幹部だけでなく、プーチン自身への挑戦でした。実際、プーチン(Putin)はこの反乱のことを反逆(treason)であり、内部からの破壊(subversion from within)であり、背後からの刺し傷(a stab in the back)であるとして非難していました。その余波で、プリゴジンはベラルーシへの出国を余儀なくされました。しかし、その後すぐにサンクトペテルブルクで開かれたアフリカ首脳会議(Forum for African leaders)に姿を現しました。月曜日(8月21日)には、彼はアフリカのどこかからのビデオを公開していました。迷彩服を着てアサルトライフルを構えていました。プリゴジンのそうした強面な振る舞いによって、相対的にプーチン大統領が弱く見えました。また、プリゴジンがプーチンから何の束縛も受けていないとこが窺い知れました。プーチンからすると、反逆者というのは、外敵よりもたちの悪いものです。ですので、プーチンがいずれ明白に容赦ない対処をするだろうと推測されていました。それによって プーチンは自分の権威を取り戻すことができるのか、あるいは権威がさらに失墜するか、どうなるかということに注目が集まっていました。今月初め、ベリングキャット(Bellingcat:オランダに本拠を置く、調査報道機関およびそのウェブサイト)のロシア通著名ジャーナリストのクリスト・グロゼフ(Christo Grozev)が、フィナンシャル・タイムズ(Financial Times)紙のインタビューの中で、鋭い指摘をしていました。「半年以内にプリゴジンは死ぬか、再びクーデターを起こすでしょう。」

 その答えが明らかになるのに、それほど時間はかかりませんでした。8月23日(水)、モスクワからサンクトペテルブルクに向かっていたプリゴジンのプライベートジェット機が爆破によって墜落しました。プリゴジンが実際にそのジェット機に搭乗していたかどうかについて、すぐにさまざまな推測や憶測が飛び交いました。しかし、翌24日には、プリゴジンと軍事作戦を総指揮していたドミトリー・ウトキンを含む計10人が死んだことが明らかになりました。プリゴジンが、 ”正義の行進(march for justice)”を宣言して反乱を起こし、ワグナー・グループがロシア南部の都市ロストフ・ナ・ドヌー(Rostov-on-Don)にあるロシア軍南部軍管区司令部を占領し、装甲車両群を率いてモスクワ(Moscow)に向かって出発してからちょうど2カ月が経過しています。どうやら、彼が死んだことは紛れもない事実のようです。プーチンが目の上のたんこぶをどのように扱うかということが明確になりました。プリゴジンのロシアとプーチン個人への貢献は小さなものではありませんでした。シリア、アフリカ、そしてとりわけウクライナでの貢献は非常に大きかったわけです。それでもプーチンの強固な権威に挑戦する者の運命からは逃れられなかったのです。

 プリゴジンは、生前から伝説的な人物でした。彼には12年の懲役刑を課せられ9年間刑務所で過ごした経歴があります。出所後にサンクトペテルブルク(St. Petersburg)でケータリング兼レストラン経営者として成功しました。経営する高級レストランでプーチンが常連客となり、クレムリン(大統領府)と巨額の契約を結ぶようになりました。彼は非常にやり手でしたが、粗野なところのある野心家でした。クレムリンがネット上の工作員を必要とした時に、彼はインターネット・リサーチ企業(Internet Research Agency)を創設し、多くの若者を雇って偽情報を拡散させました。2016年のアメリカ大統領選挙直前を含め、ソーシャルメディア・サイト等で様々な工作をしていました。そして、ロシアが傭兵という紛れもない影の力を必要とした時、ワグナー・グループが創設されたのです。プリゴジンの隆盛と衰退の陰には裏社会での暗闘があったようです。殺し屋の世界では、雇っていた殺し屋が他に寝返ったり、もっと強力な殺し屋や巨大な殺し屋組織と対峙したり、殺し屋同士が協力したりすることがあります。そうしたことがあるとして、大きな視点で見てみると、ロシアという国では、結局、すべての殺し屋はプーチの意に反して生きていくことはできないのです。ロシアには、たくさんの殺し屋がいて、正義を演じる者は1人もいないのです。

 ワグナー・グループは、非常に有能であることを何度も示してきました。例えば、2016年にはシリアの都市パルミラ(Palmyra)からイスラム国(ISIS)を追い出すのに貢献していました。今年5月下旬にはウクライナ東部バフムト(Bakhmut)の占領時にも活躍していました。そこを事実上制圧した際には、戦闘員の犠牲者は2万人に達しました。その多くはロシアの刑務所から徴兵されていました。プリゴジンは、同地の戦況を伝える際に”バフムトの肉挽き器(Bakhmut meat grinder)”という語を使っていました。彼は言っていました、「我々の任務はバフムトの制圧そのものではない。ウクライナ軍の破壊と戦闘能力を低下させることにある。」と。

 この1年間、私はプリゴジンとワグナー・グループの取材にかなりの時間を費やしました。今月初めに、私の記事が当誌に掲載されました。その記事では、正規のロシア軍がほとんど戦果をあげていない時に、ワグナー・グループがいかにして前進していたかを描写しました。多くの兵士が、最前線で砲弾の餌食(cannon fodder)となっていて、消耗品として扱われていました。また、オブヌレニエ(obnuleniye)なる戦術が採用されていました。これは、英語では”zeroing out(ゼロにする)”ですが、脱走や撤退をすると罰として処刑されることを意味しています。当時、プリゴジンとロシア軍指導部との対立はますます深まっていました。正規のロシア軍が、ワグナー・グループの足を引っ張っていると考えていたからです。そして、よりあからさまに非難するようになりました。それは、ある意味、衝撃的でした。前例のないことでした。プーチンのやり方に表立って異議を唱える者はこれまで誰もいなかったからです。

 プリゴジンは反乱を起こすと決めた時、ちょっと自信過剰になってしまったのかもしれません。彼はプーチンに衝撃を与えることで、自分の不満や主張を真剣に受け止めさせることができると考えたのかもしれません。また、ロシア軍との権力闘争で優位に立つことができると考えたのかもしれません。しかし、実際にはそうはなりませんでした。彼の立場は、有能な危険人物から、直接的な脅威へと変わってしまったのです。ワグナーの反乱を起こした直後に私は1人の元ロシア軍幹部と話をする機会がありました。彼は、プリゴジンの行動は “自暴自棄の行動(an act of desperation) “であり、”純粋な空想(pure fantasy) “だったと指摘していました。

 ワグナー・グループに紐づくさまざまなSNSのアカウントが、プリゴジンやウトキンなどのワグナー・グループの幹部の死を受けて、復讐行為を示唆しています。しかし、その可能性は低そうです。ロシア軍のウクライナ戦争の遂行方法や行為に対する不信感や軽蔑がロシア国内で拡がっています。プリゴジンの反乱によって、そうした不満が少なくないことが露わになりました。今や、それは、軍や治安維持部隊、さらには社会全体にまで広がっています。プリゴジンは、知名度の高さに加えて人気が急上昇していたのですが、それらを背景にした首尾一貫した主張、行動をすることはできませんでした。ロシア国民が彼を悼むことはないでしょう。ワグナー・グループの残っている指揮官たちは、プリゴジンが殺害されたことで教訓を得たことでしょう。とにかく、ワグナー・グループは武器や装備の多くをロシア軍に引き渡し済みで、戦闘員の多くは現在、ベラルーシ、ロシア、アフリカ諸国に散らばっています。その活動は、傭兵ビジネス(mercenary business)に参入しようと躍起になっているオリガルヒ(oligarchs)や、ロシア軍や情報機関のさまざまな部門によって吸収されるでしょう。要するに、反乱2.0(mutiny 2.0)が起こりそうな気配は、現時点では全く無いということです。それは、プリゴジンが死んだことだけが原因ではありません。

 ワグナーの元司令官のマラット・ガビドゥリン(Marat Gabidullin)に連絡を取りました。彼は、シリアで工作活動を率いた等の経験があり、著作もあります。彼は数年前、ウクライナ戦争の前にワグナー・グループを去りましたが、今でも一部の戦闘員との繋がりを保っています。彼は言いました、「彼らは混乱し、途方に暮れているようだ。」と。それは、プリゴジンとウトキンの死が明らかになったこと直後に今でも繋がりのある者と会話したことを受けてのものでした。彼は、ワグナー・グループの内部から大きな抗議や不満が出ることは無いと予想しています。彼は言いました、「彼らは自分に報酬をくれる者に仕えるだけですよ。」と。しかし、ワグナー・グループの海外での任務は、近いうちに大きなプレッシャーにさらされることになるかもしれない、と彼は付け加えました。ここ数カ月、ワグナー・グループはウクライナ戦線からほとんど姿を消しています。しかし、アフリカでは、同社の傭兵が大規模に展開していて、ロシアの影響力を誇示しています。ガビドゥリンは言いました、「プリゴジンとウトキンの2人がいなければ、統制は保てないでしょう。傭兵たちの士気を維持することは容易ではないでしょう。」と。

 プーチンの権威はいささかも揺らいでいないように見えます。プリゴジンは暗殺される可能性もありましたし、あるいはアフリカに遠征中に謎の事故によって最期を遂げる可能性もありました。そうではなく、彼の乗っていたジェット機がロシア領空を飛行中に爆破されました。そのメッセージは全くもって明白です。同日に、プリゴジンに近く、反乱に手を貸した可能性さえあると見られていたロシア軍高官の1人であるセルゲイ・スロヴィキン(Sergey Surovikin)将軍が解任されました。スロヴィキンはプリゴジンの反乱以降、公の場から姿を消しており、モスクワの噂によれば、拘束されているか、捜査中か、あるいはその両方のようです。政府、軍、企業を問わず、ロシアの他のエリートたちが嫌が上でも認識したのは、プーチン体制とその権威に異議を唱えることは、決して利益にならないこと、自身の安全が脅かされることにつながるということでした。

 しかし、プリゴジンの死は、プーチン体制の存続にそれほど影響を及ぼさないでしょう。この一連の騒動は、一時的に人々に秩序を保たせるのには有効かもしれません。しかし、プーチン体制に対する根深い不満が消えて無くなるわけではありません。そもそも、陸軍のトップを降格させたり、長い間頼りにしていた傭兵部隊の指導者を空から吹き飛ばしたりすることは、ウクライナとの戦争が続いている最中にすべきことではありません。それは、自信に満ちた、効率的で安定した権威を確立した独裁者の行動ではありません。長期的に腐敗が進行しており、その腐敗を覆い隠そうとすれば、より劇的でリスクの高い行動が必要になります。いったん負のスパイラルが動き始めると、一方向の動きが激化します。だからといって、現時点では、プーチン体制がすぐに弱体化したり、崩壊する可能性はありません。そうした動きがあるとしたら、数年にわたって展開される可能性があります。数十年単位の話ではありません。

 プーチンの行く末に最も決定的な影響を及ぼすのは、ウクライナ戦争でしょう。今のところ、ロシア軍はウクライナの反攻に対して予想以上に持ちこたえています。現在の状態が続き、ウクライナ軍の今夏の反攻がロシアの占領地のかなりの部分を奪回することなく頓挫すれば、プーチンの権威、エリート層への影響力は維持される可能性が高いでしょう。しかし、現在の膠着状況が一変するようなことがあれば、例えば、どこかでロシアの戦線が崩壊したり、クリミアが重大な損害を被るようなことがあれば、プーチンの正統性は突然失われるでしょう。それは、プーチンの権威にとって、プリゴジンによる挑戦よりもはるかに大きなリスクです。

 プリゴジンの死は、たくさんの教訓を残しました。彼は2つの計算違いをしていました。1つは、最初に反乱を起こしたことです。もう1つは、反乱を早々に終わらせてしまったことです。これまで、プーチンはエリート層を脅して服従させてきました。今ではエリート層のすべてが、一度でも反抗したら、決して赦してもらえないことを知っています。残された選択肢は、最も極端なものだけです。反抗するならば、やり遂げるしかないのです。プリゴジンが死んだ夜、ワグナー・グループとつながりのある極右集団がテレグラム・チャンネル(Telegram channel)で投稿をしました。その投稿は、瞬く間に広く共有されました。そこには記されていました。「すべての人への教訓です。最後まで、決して引いてはいけないのです。」♦

以上