2.リゾットはたかがお粥と言えなくもないが、禁避事項が多い
リゾットを作るのが面倒でも、絶望する必要はない。リゾットについてはすべて読んで学ぶことができる。料理に関する著作は、時として道徳哲学的なものになりがちで、それもかなり禁欲的なものになりがちである。何をすべきかを示すレシピには、何をすべきでないという厳しい警告がこれでもかと散りばめられている。これはパン作りにも当てはまるのだが、リゾットの場合はなおさらである。イギリスの料理研究家エリザベス・デイヴィッド( Elizabeth David )がリゾットについて多くの禁止事項を書き連ねている。彼女は様々な料理について禁止事項を設けていることで有名である。1954 年に初版が出版された彼女の著作「 Italian Food (イタリア料理)」は、禁止事項と要求事項のオンパレードである。「繰り返し申し上げるが、代用品を使うことはあり得ない」と記し、正しい米の品種を使うことを強く推奨している。彼女はヨーロッパ中に影響をおよぼそうとしていた。この著書の中には次のような記述がある。
ミラノ( Milan )やヴェニス( Venice )、トリノ( Turin )などの良質で良心的なレストランでは、フランスのレストランでスフレ( soufflé )を待つのと同様だが、リゾットを注文するとかなり待たなければならない。ちなみに、フィレンツェ( Florence )やトスカーナ( Tuscany )でおいしいリゾットを探すのは無駄である。少なくとも私の経験では、トスカーナの料理人はフランスやイギリスの料理人以上に正しいリゾットの作り方を知らない。
米とグリーンピースのヴェニス風ごった煮、リージ・エ・ビージ( risi e bisi )について、デイヴィッドは否定的な言葉を連発しながら、「あまりかき混ぜすぎると豆が崩れてしまう。スプーンではなくフォークで食べるのでスープ状になりすぎないよう注意しなければならない」と書いている。同じ料理でも、料理研究家によって重視する点は異なる。マルチェラ・ハザン( Marcella Hazan )はことさらに倫理的な側面を重視している。彼女は、著書の中で間違った豆を選んだ場合にこの料理がどうなるかについて警告を発している。「どうしても必要なら冷凍豆を使っても構わない。このレシピではその方法も紹介するが、厳選した新鮮な豆で作らない限り、リージ・エ・ビージは食べられないとは言わないまでも、オリジナルと比べると残念なコピーでしかない」。
私が何十年も愛読しているイタリア料理の本はハザンの著書である。そこに記されているリゾットのレシピは説教と詩が見事に融合したものである。「かき混ぜる時は、じっくりと、ゆるぎない速度で続けなければならない」と彼女は主張した上で、さらに「決して 米を溺れさせてはいけない」という注意事項を書き連ねている。最後に重要なのは、リゾットを「クリーミーでありながらも熱を入れ過ぎないようにし、最終的に柔らかくて噛みごたえのある状態にすること」であるという。この著書を読んで、指を鳴らし、口を潤しながら、リゾットを作った経験のある者は少なくないはずである。
リゾット作りのクライマックスは、バター(できれば冷蔵庫から取り出したばかりの冷たいもの)とパルメザンチーズを加えて混ぜるところである。混ぜたり捏ねたりする作業を表すイタリア語は、マンテカトゥーラ( mantecatura )である。耳に心地よく響く言葉であるが、これはリゾットだけに使われるものではなく、パスタでも使われる。リゾットだけに限定的に使われるフレーズは、アッロンダ( all’onda:「波のように」の意)である。これは、鍋の中で米が出来上がる寸前まで揺れ動く様子を表現している。言葉と食べ物のこれ以上に美しい出会いがあるだろうか。私たちの口から出てくる言葉は、その中に含まれるおいしさにかなわないことがあまりにも多い。あなたはドイツのガーリックソーセージが好きかもしれない。しかし、Knackwurst mit Knoblauch (ニンニク入りひび割れソーセージ)を注文すると、なぜか食べる前に食欲が減退する。それは、語感が悪いせいである。一方、リゾットを作るコックは、指揮棒のようにスプーンを振り回し、” The Winter’s Tale (冬物語:シェークスピアの戯曲)”からヒントを得て、ガスコンロの前で自由に音楽を奏でる。(以下、夏物語の有名な一説)
When you do dance, I wish you あなたが踊るとき、私は望む
A wave o’ th’ sea, that you might ever do 海の波、永遠に踊り続ける
Nothing but that; move still, still so, ただそれだけ。それだけ、それだけ、
And own no other function. それ以外の機能は何もない
そして、そこがポイントである。美味しいリゾットにはそれ以外の機能はない。意地悪な言い方をすれば、大人の離乳食に過ぎないと主張することもできる。だが、それのどこが悪いのか?有名な絵本「おやすみなさいおつきさま( Goodnight Moon )」に出てくるお粥のようにシンプルで、栄養に富み、おいしく、消化も良い。幼児の目にはオートミール( oatmeal )に見えるかもしれないが、おかゆと違って味気なさを感じることもないし、気持ち悪いドロドロ感もない。成長期の子供は、リゾットを食べることで満腹になるだけでなく、元気になる。イギリスの乳幼児食品メーカーのエラズ・キッチン( Ella’s Kitchen )は、生後 10 カ月の咀嚼練習用の離乳食でサーモンリゾットを作っている。便利な小袋に入っており、中身を絞り出す必要がある。原材料はすべてオーガニックで、まるでブルジョワ階級のあくなき健康的な食物への欲求が反映しているようである。子供にディル( dill )を食べさせるのは早すぎるというのは野暮である。私はエラズ・キッチンの離乳食を少し絞り出してみた。不謹慎かもしれないが、赤ちゃんの口の反対側から出てくるものとそれほど変わらないように見えた。リゾットの味はまあまあといったレベルで、乳幼児が小袋を全部平らげられるレベルである。
同様に、咀嚼力が衰える高齢者もリゾットのターゲット層である。エビの天ぷらをあきらめ、ナッツレイジャス( NutRageous:ハーシーのピーナツ入りチョコバー)に嚙みついて歯がくっ付いて顎が開けられなくなった高齢者の傷つきやすい歯茎でも、リゾットのアルデンテ( al dente )には十分に対応できるはずである。誰もが知るアルデンテという語は、正確には料理が完成する寸前の状態(ほんの一瞬)を指す。その前の時点では米粒に少し固さが残っているが、そこを過ぎるとドロドロになってしまう。しかし、そのように完璧な時点で火入れを止めるために、どうやってタイミングを計ればよいのか。私が受け取った最良の答えは、言葉のない答えである。あるシェフは軽く歯を 2 回鳴らしながら教えてくれた。
重要なことであるが、ディヴィッドやハザンをはじめとする料理研究家たちのおかげで、私たちはリゾットが粉っぽくてはいけないことを知っている。糊状でも、ねばねばでも、水っぽくても、パサパサでも、水浸しであっても良くないことも知っている。また、リゾットを何の前に食すべきかも知っている(人それぞれで、好きなものを食べれば良いと思うのだが・・・)。どのような米を使うべきか、どのように料理すべきかも理解している。しかし、正直に言おう。現在、食欲を満たしてくれる食べ物には膨大な種類がある。それが大河だとするならば、リゾットはほんの小さな一支流に過ぎない。グリニッジ・ヴィレッジ( Greenwich Village )のリゾッタ( Risotteria )やロンドンの洗練されたアッロンダ( All’Onda )を始めとするリゾット専門レストランは、開店して直ぐに潰れてしまったが、惜しまれることはなかった。スリ・オウエン( Sri Owen )による世界規模の百科事典的な米料理研究書「ライス・ブック( The Rice Book )」では、384 ページの内、リゾットに割かれているのは 9 ページのみである。リゾットに夢中の人物がいたら、かなり珍しいと言わざるを得ない。おそらく狂人しかいないであろう。