4.リゾットを大量に作る際のレシピ(実際にやってみた)
リゾットにはもう 1 つの作り方がある。それは洗練されておらず、飾り気がないが、泡立てるよりもずっと楽しい。上腕三頭筋も鍛えられる。この方法には正式な名称はない。かなり豪快な作り方である。
いや、豪快という作り方を超えており、スポーツと言った方が良いのかもしれない。本場イタリアでは普及していない方法である。マッジョーレ湖( Lake Maggiore:イタリアで 2 番目に大きい湖)を北上すると、気づかないうちに国境を越えてスイスに入る。そこはスイスであるがイタリア語圏のティチーノ州( Ticino )である。湖の北にはロカルノ市( Locarno )があり、毎年夏が終わると、そこではリゾット・フィーバーが巻き起こる。2024 年は 8 月 19 日から 9 月 8 日まで続いた。カッシア・アル・リゾット( Caccia al Risotto:「リゾット狩り」の意)というイベントが開催され、この地方の複数のレストランがそれぞれ工夫を凝らした作品を披露した。その内のいくつかは写真でしか見られなかったことを嬉しく思った。特にリゾット・アッラ・バルバビエトーラ( risotto alla barbabietola:ビートを使ったリゾット)の見た目は印象的だった。キャンディーピンク色で幅広の濡れたフリスビーのようであった。その色は途中で加えるビーツ由来のものだが、私の理解を超えるもので、バービー( Birbie )への大げさなオマージュのように見えた。
ロカルノのイベントのクライマックスは、グランデ広場( Piazza Grande )で 2 日間にわたって繰り広げられるリゾット作りコンテストである。これは 2014 年から始まったもので、和気あいあいとした祭ではなく、競い合うコンテストの趣が強い。8 月 23 日の金曜日に、広大なテントの下で、多くのレストランのシェフが、アシスタントを従えて腕を振るった。彼らが作ったリゾットは、トルストイの小説「オリバー・ツイスト( Oliver Twist )」に出てくる少年たちの末裔のように辛抱強く列に並んだ観客に配られた。紙製のボウルで提供された。私が食べたリゾットは、アル・ペスト・ディ・リモーニ・エ・メルロ・ビアンコ、コン・ボッコンチーニ・ディ・ポッロ・クロッカンティ・ペペ・ヴァレマッギア( al pesto di limoni e Merlot bianco con bocconcini di pollo croccanti e pepe Vallemaggia )である。これは、食べるよりも言うほうが時間がかかった。「お願いだから、もっとくれ」という哀れな叫びを抑えることができないほど美味かった。
その広場の片隅のテーブルには、紙とペンとフォークを持った思慮深い人たちが座っていた。彼らは審査員で、この夜の発明品を評価するタスクを与えられていた。つまり、ブルーチーズとヘーゼルナッツバターとポートワインとライムを使ったリゾットがリゾット・アッラ・ファラオーナ・ウブリアカ( risotto alla faraona ubriaca:「酔っぱらったモルモットのリゾット」という意)より美味いか否かを決める仕事である。順番に供されるボウルの匂いを嗅ぐ審査員たちを見ていると、さながら懐疑的な猫のようであった。聞いたところでは、彼らは、それぞれのリゾットがうまく調理されているか、味はどうかということだけでなく、「均衡( equilibrium )」を保っているかどうかも判断するのだという。見た目は重要な評価基準ではないとのことだった。それが理由で、並べられたリゾットの中には見た瞬間に食欲を失わさせるものもあった。
残念なことは続くものである。翌日も見た目に難があるリゾットが、前日とは趣が異なる形でいくつも登場した。今回はプロのシェフではなく、グルッピ・カルネヴァーレ(地元の組合のような団体)がリゾット作りの腕を競っていた。私は、ロカルノ( Locarno )を拠点とするアマチュア料理クラブ、通称「ラタトゥイユ( Ratatouille )」のメンバーがいる作業台に立ち寄った。「映画に出てた人みたい!」と彼らは叫んだ。私は自分の名前( Anthony Lane )を告げた。すると「アントン・イーゴ( Anton Ego )にそっくり!」と彼らは言った。一瞬、アントン・イーゴって誰っ?と思ったが、ピクサー映画「レミーのおいしいレストラン」に登場する冷酷な料理批評家だと気づいた。愛せる料理しか口にしないというポリシーゆえ、頬がこけていた人物である。思い出させてくれてありがとうと言いたい。その後、どういうわけか、何を料理しているか尋ねただけなのに、押し問答の末、私はテントの中に案内された。何の前触れもなく、私の腰にエプロンが巻かれ、大きな器具を手に握らされた。命令口調の指示に従い、かき混ぜ作業を開始した。私は「 5 分しかいられない」と言った。2 時間半後、私はまだそこにいた。
リゾットを大量に作る時は、いじくり回したり面倒なことはやめるのが賢明である。フライパンもスプーンも使わない方が良い。その代わり、リゾットをドラム缶ほどの大きさの円筒の中で調理し、携帯ガスバーナーで加熱し、ボートを漕ぐオールのような長い木の棒でかき混ぜる。その棒は、マッジョーレ湖( Lake Maggiore )で手漕ぎボートを漕ぐ際に再利用できるので無駄にならない。私は円筒状の大鍋をかき混ぜるよう指示されていたのだが、ヘルマン・モースブルッガー( Hermann Moosbrugger )なる人物と一緒に作業した。彼はロカルノで隠居生活を始めるまで、スイスのドイツ語圏のザンクトガレン( St. Gallen )の村の学校で 40 年間教鞭をとっていたという。私たちのオールが何度かぶつかったが、彼は一度も文句を言わなかった。徐々に 2 人協力しての攪拌作業のコツを掴めるようになった。この経験は、将来私がセメントを混ぜる仕事に進むときに役立つだろう。
トーマス・シュナーヴィラー( Thomas Schnarwiler )という者が監督を務め、大鍋に材料を注いでいた。カルナローリ米を何袋も投入し、大量のネギのみじん切りを加えた。この時、ネギによって私は仲間意識を掻き立てられた(私はよくネギをリゾット警官に訪問される危険を冒して、タマネギの代わりに使うからである。奴らはやたらとタマネギにこだわっている)。 ペットボトルのワインを何リットルも加え、おそらく私が見ていない時にマスタードなども注がれた。最後にブイヨンを加える。微妙に透明なチキンブイヨンやくすんだ色の野菜ブイヨンはご法度である。大鍋の中は濁った底なし沼のようであった。その深みに、長靴ほどの大きさの牛肉の塊がセイウチのように沈んでいた。その日の終わりに、それは釣り上げられた。切り分けられ、作業者の全員に分けられた。
公平に配られた。十分な報酬だった。鍋をこねくり回して汗をかいた私たちが作ったのは、基本的にはリゾット・アル・ポッレ・コン・スドーレ・デッロ・スクリットーレ( risotto al porre con sudore dello scrittore:ネギと作家の汗のリゾット)だった。驚くほど美味しく、誰もが舌を巻くほど美味しいと言った。多くの者がそれをむさぼり食い、審査員さえも魅了された。私たちは均衡を保っていたのである。表彰式では、ラタトゥイユ・チームが 2 位となり、土壇場で作業に加わった者も含め、全員に米袋が手渡された。つまり、リゾット作りのご褒美として、新鮮なリゾットを山ほど作るタスクを与えられたのである。リゾット作りのかき混ぜ作業に終わりはない。