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中国の遠洋漁業船団には不透明な部分が多い。そもそも中国は自国の船舶の情報をほとんど開示していない。1年以上海上にとどまるものも少なくないため、把握するのも困難である。私は過去4年間、私が運営する海上での違法行為を報道するNPOのアウトロー・オーシャン・プロジェクト(the Outlaw Ocean Project)と協力して、ガラパゴス諸島(the Galápagos Islands)近海、フォークランド諸島(the Falkland Islands)近海、ガンビア(Gambia)沖、朝鮮半島(the Korean Peninsula)に近い日本海など、中国の遠洋漁業船団の最大の漁場である海域を回って取材を行った。許可が下りれば、漁船に乗り込んで乗組員と話をした。船に接近して無線で乗組員にインタビューしたこともあった。多くの場合、船員は怯たように装備をさっさと引き上げ、船を我々から遠ざけて去った。そんな時、私はスキフ(skiff:小舟)で漁船を追って近づき、米を入れて重くしたペットボトルにペンやタバコ、キャンディ、質問用紙、筆記具などを入れて投げ込んだ。何度か、船員が質問にいろいろと書いてペットボトルに入れて投げ返してくることがあった。中国に残した家族の電話番号が書かれていることもあった。無事であることを伝えて欲しがっていたのだろう。この記事を書くにあたっては、20人ほどの船員やその家族などにインタビューをした。
中国は遠洋漁業船団に年間70億ドル以上の補助金を出している。また、物流支援、安全運航支援、情報システム支援も強化している。例えば、世界中の主要なイカの魚群の大きさや位置の最新情報を船団に送り、漁の効率化を支援している。2022年、私はガラパゴス諸島の西の海域で、およそ260隻の中国船がイカ漁をしているのを観察した。船団は一斉に錨を上げ、すばやく南東へ100マイル(160キロ)移動した。海洋監視プログラムのスカイライト(Skylight)の責任者のテッド・シュミット(Ted Schmitt)は、これは珍しいことだと私に言った。「中国以外の国の漁船は、そんな大規模で協力することはない」という。その年の7月、私は浙普远98号(Zhe Pu Yuan 98)というイカ漁船に接近した。このイカ漁船には、船員を陸に上げずに治療するための水上病院(floating hospital)の機能が備わっている。「病人が出た船は、私たちの船までやって来る。」と、船長は無線で私に語った。この船は常に医師を1人乗せている。手術室、血液検査用の装置類、中国にいる医師が診断するためのテレビ会議機能が備わっている。この船の1つ前の水上病院の機能を果たしていた船は、過去5年間で300人以上の船員を治療した。
2022年2月、私は環境保護団体シーシェパード(Sea Shepherd)と、この調査に通訳として随行したエド・オウ(Ed Ou)というフォトジャーナリストとともにフォークランド諸島(the Falkland Islands)近海の公海に行った。そこで中国のイカ漁船に乗り込む機会があった。船長は、私と2人の調査員の乗船を許可した。船名を公開しないことを条件に、船内を自由に歩き回ることも許可された。船長は船長室に残った。しかし、1人の航海士が常に私についてきた。常に監視されていた。船は、まるで水上の煉獄(watery purgatory)のような雰囲気だった。乗組員は31人で、全員の歯がたばこの吸い過ぎで黄ばみ、肌は浅黒かった。手は鋭利な道具と常に濡れていることが原因で、ボロボロだった。まるでスポンジのようだった。その光景で、私は、スキタイ(Scythian)の哲学者アナハルシス(Anacharsis)の3分類を思い出した。彼は、物質を3つのカテゴリーに分類したが、ここでの3分類は生者(the living)、死者(the dead)、漁師(those at sea)である。
イカが仕掛けにかかると、自動リールによってイカは金属製の棚に落とされる。その後、船員が選別してプラスチックのカゴに放り込む。カゴのいくつかは溢れ、床がイカで覆われる。イカは最後の瞬間、半透明(translucent)になる。ヒューと音を出すイカもいる。イカの臭いと汚れが船員の衣服に沁みついている。それは、どうやって洗濯しても落とせない。時には、汚れた衣服を長さ20フィート(3メートル)ほどのロープにくくりつけ、船の後方の海中に投げて何時間も引きずることもある。 甲板の下では、船員がイカの重量を量り、選別し、冷凍し、箱詰め作業をする。船員はイカを食べることもある。イカを切り分け、えらの内側から内臓などを切り離す。厨房にいたコックが船内に新鮮な果物や野菜がないと言い、私たちの船から提供できないかと尋ねてきた。
鮮やかなオレンジ色の救命胴衣を着た2人の中国人船員に話を聞いた。どちらも処罰を恐れて名前は伏せた。1人は28歳、もう1人は18歳だった。漁に出るのは初めてで、2年契約を結んでいた。年棒は1万ドルほどだが、病気や怪我で1日休むごとに2日分の給料が減給されるという。28歳の船員は、釣り糸についた重りで腕を負傷した船員がいたと言った。船内を回っていると、私たちを監視していた航海士に呼び止められた。28歳の船員は、多くの船員は望んでこの船に乗っているわけではないと言った。「ここだけが世界から隔離されたようで、現代の生活とはかけ離れている。」と、彼は言った。「船員の多くが、いろんな書類を取り上げられている。返してもらえないのだ。私たちを助けてくれませんか?毎日長時間働かされて、とても耐えられないよ。私たちはここにいたくないのに、ここから逃れられないんだ。」。彼の推測によれば、船員の80%は、許されるのであればこの船を出て行くだろうという。
18歳の船員は緊張した面持ちで、私たち調査団を暗い船室に招き入れた。彼はスマホに文字を入力して示した。「今はまだ漁船での仕事を続ける必要があるので、あまり多くのことは明かせません。あまり多くのことを話すと、支障が出る可能性がある。」と、彼は書いた。彼は私に自分の家族の電話番号を教え、連絡を取るように頼んだ。「あなたたちは、アルゼンチンの大使館に行くことはできるか?」と、彼は尋ねた。ちょうどその時、私たちの監視役の航海士が船室に入ってきた。すると、船員は追い出されるように立ち去った。その数分後、私たち調査団は下船を命じられた。
この調査が終わった後、私は例の18歳の船員の家族に連絡を取った。「とても辛いわ。」と、彼の姉は言った。彼の姉は、福建省(Fujian)で数学の教師をしている。彼女が言うには、家族は弟が海に出ることに反対していたが、弟は反対を押し切って海に出たという。弟が監禁状態であることを家族は認識していなかった。また、解放することは無理と認識していて、無力感を漂わせていた。彼女は言った、「彼はまだ若すぎたのよ。今、私たちにできることは何もないのよ。遠くにいて、どうすることもできないわ。」と。