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2020年6月、鎮発7号(Zhen Fa 7)号はガラパゴス諸島とエクアドル(Ecuador)の間の海域で操業していた。この漁船は、山東省(Shandong)に本社を置く中堅企業、栄成王道深海水産物有限公司(Rongcheng Wangdao Deep-Sea Aquatic Products)の所有であった。アリトナンは徐々に船上での生活に慣れていった。船長は彼が機械に強いことを知り、仕事の強度がやや弱い機関室に異動させた。食事は、コックが魚の切れ端を米に混ぜたものだった。インドネシア人の船員には週に2箱のインスタントラーメンが支給された。それ以外の食べ物が欲しい時、コーヒー、アルコール、タバコなどだが、その代金は給料から差し引かれた。船に飾られている写真には、釣った魚を持ってポーズをとったり、ビールで祝杯をあげている船員たちの姿が写っていた。
ヘリ・クスマント(Heri Kusmanto)は、アリトナンの友人である。「漁船に乗り込んだ最初の数週間、ヘリはとても陽気だった。」と、メジャワティは言った。「彼は誰とでもおしゃべりした。よく歌を歌ったり、冗談を言っていた」。クスマントの仕事は、イカの入った100ポンド(45キロ)のカゴを冷蔵船倉に運ぶことだった。彼は時々ミスをした。その度に殴られた。「彼には殴り返す勇気がなかった。」と、フィクラン(Fikran)という船員は私に語った。「彼は黙って立っているだけだった」。船のコックはしばしばクスマントを殴った。彼はコックを避けるため、コックがいない時に厨房で真っ白なご飯を食べた。クスマントはすぐに病気になった。食欲がなくなり、しゃべらなくなり、身振り手振りのみでコミュニケーションをとるようになった。「彼はまるで幼児のようだった。」と、メジャワティは言った。その後、クスマントの足と脚が腫れ上がり、痛み出した。
クスマントは脚気(beriberi)に苦しんでいるようだった。脚気は、ビタミンB1(Vitamin B1)、つまりチアミン(thiamine)の欠乏によって起こる。脚気(beriberi)という病名は、シンハラ語(Sinhalese)で 「弱い」とか「できない 」を意味する “beri “に由来する。多くの場合、白米(white rice)、インスタントラーメン(instant noodles)、小麦粉(wheat flour)のみを主に食すことによって引き起こされる。症状は、うずき(tingling)、ほてり(burnin)、しびれ(numbness)、呼吸困難(difficulty breathing)、無気力(lethargy)、胸痛(chest pain)、めまい(dizziness)、錯乱(confusion)、ひどいむくみ(severe swelling)などである。壊血病(scurvy)と同様、脚気は19世紀の船乗りによく見られたものである。また、刑務所(history in prisons)、精神病院(asylums)、移民キャンプ(migrant camps)でも広まった歴史がある。未治療の場合、命にかかわることもある。
脚気が中国の遠洋漁業船で流行しているのは、船が洋上で長くとどまるためである。長くとどまる傾向は、船舶輸送(transshipment:漁船が岸に戻らずに冷蔵船に漁獲物を積み下ろすことができる)技術の発達によって強まっている。通常、中国の漁船は、長期の航海に備えて米やインスタントラーメンを大量にストックしている。安価で腐りにくいからである。しかし、炭水化物を大量に摂取したり、激しい運動をしたりすると、人間の身体はより多くのビタミンB1を必要とする。また、中国漁船のコックは、米や麺に生や発酵した魚を混ぜたり、コーヒーや紅茶を提供しているが、これらはすべてチアミナーゼ(thiaminase)を多く含む。チアミナーゼは、ビタミンB1を破壊するので、この問題を悪化させている。
脚気は予防可能であるし、容易に回復させることができる。であるから、脚気が蔓延している場合、その環境が劣悪であることを示していることが多い。国によっては(中国ではないが)、米や小麦粉へのビタミンB1の添加を義務づけている。また、この病気はビタミンの摂取で治療可能であり、ビタミンB1を静脈内に注入すると、患者は通常24時間以内に回復する。しかし、ほとんどの中国漁船は摂取用のビタミンB1を積んでいない。中国漁船の船長は、多くの場合、病気の乗組員を陸に上げることを拒否する。時間のロスと人件費がもったいないからである。うねりがあると、船員を移動させるために大型船同士が接近するのは危険だ。私が見た動画があるのだが、漁網に入れられた男性が、別の船に移すために、海面の数十メートル上をジップライン(zip line:ワイヤーケーブルを渡し、滑車を滑らせる仕組み)で何百フィートも運ばれていた。私が調べた限りでは、2013年から2021年の間に中国遠洋漁船で脚気になった船員が20数人いた。その内、少なくとも15人が死亡していた。ワシントンDCの法医学病理学者(pathologist)のビクター・ウィードン(Victor Weedn)によれば、アメリカの企業が労働者を脚気で死なせれば、間違いなく重大な過失として罪に問われることになるという。「じっくりと苦しませて殺すわけで、間違いなく殺人である」と彼は言った。
クスマントを派遣した人材派遣会社が使用する契約書には、労働者が早期に退職した場合、労働者とその家族に対して重い金銭的ペナルティを課すと記されていた。また、同社は採用時に労働者からパスポートを含む身分証明書を取り上げている。早期退職してペナルティの支払いに応じない場合、それらの書類は返却してもらえない。こうした規定は、アメリカでもインドネシアでも違法である。それでも、クスマントの容態がどんどん悪化したので、インドネシア人船員たちは彼を陸に上げて欲しいと船長に頼み込んだ。しかし、船長はそれを拒否した。栄成王道深海水産物有限公司は、そうした事実は無いと否定している。この記事に登場する中国漁船の船長は、いずれもこの件に関してコメントしなかった。人材派遣会社のスポークスマンは、クスマントが病気になったのは彼のせいだとしている。彼が船の上でシャワーを浴びなかったことと、食事も十分に摂らず、インスタントラーメンばかり食べていたことが原因だと主張している。
当時、彼が乗っていた漁船は違法操業をしていた可能性があり、それがクスマントの状況をさらに複雑にしていた可能性がある。
米国政府がまとめた未公開の諜報報告書(intelligence report)によると、ちょうどその頃、鎮発7号(Zhen Fa 7)号は中国の法律に違反して位置トランスポンダ(location transponder)を何度もオフにしていた。多くの中国の漁船が、エクアドルやペルーに近い海域に行くと、しばしばそういうことをする。エクアドルやペルーの領海では、中国漁船の操業は禁止されているが、多くの中国漁船が違法な漁をしている。
6月21日から8日間、この船はペルーとエクアドルの海域で位置トランスポンダを切っていたと推測される。その間の行方は不明である。
7月28日から15日間、ガラパゴス諸島付近でも同様であった。
8月14日、エクアドル海域付近で再び行方が不明となった。
「明らかな違反行為であるが捕まえることは不可能である。しかし、違法操業の確実な証拠があると言っても過言ではない。」と、駐エクアドル米国大使のマイケル・J・フィッツパトリック(Michael J. Fitzpatrick)は私に言った。栄成王道深海水産物有限公司の漁船は無許可海域で漁をすることで知られている。2017年に鎮発7号(Zhen Fa 7)号と同じ船団の1隻がペルーの海域に不法に侵入したとして罰金を科せられた。別の1隻が北朝鮮沖で不法に漁をしているのが発見された。同社にこの件に関するコメントを求めたが、回答は得られなかった。クスマントを他の船に移すには、鎮発7号(Zhen Fa 7)号の位置を公開する必要があった。それは違法操業がバレる危険性を高める可能性があった。
8月上旬に、クスマントは錯乱状態に陥った。他の船員たちは、彼に手当てが必要だと訴えた。結局、船長はその訴えを受け入れた。彼を別の船に乗せ、リマ(Lima)の港に運んだ。彼は病院に運ばれ、そこで体調が戻った。その後、彼は飛行機で家に送られた(この件に関して、クスマントからのコメントは得られていない)。一方、他の船員たちも、既にその時点で1年間以上も海にいたわけで、孤立感を募らせていた。「当初、僕たちは8カ月間は船上で過ごすが、その後はどこかで陸に上がると言われていたんだ。」と、アンハルは言った。「実際は、1度も陸に上がることはなかった」。