8.
アリトナンが死んだ日、レイエスはウルグアイ沿岸警備隊に通報し、警察に写真を提供した。「彼らは全く無関心だった。」と彼女は言った。翌日、地元の検死官が検視解剖を行った。「身体的虐待が行われた可能性がある」と報告書には書かれていた。私はその報告書を法医学病理学者のウィードン(Weedn)に送った。彼は、死体には暴行の形跡があり、脚気の未治療が死因のようだと言った。モンテビデオのインドネシア領事であるニコラス・ポトリ(Nicolas Potrie)は、アリトナンの事案を捜査した検察官、ミルタ・モラレス(Mirta Morales)から電話をもらったことを思い出した。ポトリによれば、モラレスは「何が起こったのかを解明するために、あらゆる努力をする必要がある。死体の傷跡は誰もが見たものです。」と言ったという。栄成王道深海水産物有限公司の代表は、同社の船上で不法行為が行われたことを示す証拠は存在していないとし、「虐待、不法行為、人格への侮辱、暴行、給与の未払いなどは一切行われていない。あらぬ疑いをかけられて甚だ迷惑である。」と言った。同社はこの問題の捜査を中国遠洋漁業協会(the China Overseas Fisheries Association)に委ねたという。同協会に質問状を送ったが、回答は得られなかった。
ポトリはさらなる捜査を要求したが、何も進展は無かった。モラレスは、この案件に関する情報を私に共有することを拒否した。2022年3月に私はモンテビデオの事務所に、ウルグアイで外国船と取引する多くの企業が加入する外国漁業代理店組合のアルド・ブライダ(Aldo Braida)代表を訪ねた。彼は、ウルグアイの港湾に停泊する中国漁船で暴行が行われているという証言を「フェイクニュース」だと断じ、「全くのデタラメが流布している」と主張した。モンテビデオで降ろされた船員の遺体に虐待の痕跡があれば、ウルグアイの当局がそれを発見するだろうし、男同士が狭い船内で生活していれば、喧嘩になる可能性も低くないと彼は言った。「船での諍いが起こるのは日常茶飯事だ」。
ウルグアイには、中国漁船を詳しく捜査する動機が存在しない。なぜなら、中国がこの地域に多大なビジネスチャンスををもたらしているからである。例えば、2018年にある中国企業がモンテビデオの西部に70エーカー(0.3平方キロ)の土地を購入し、2億ドル以上を投じて巨大港湾施設を建設する計画を発表した。現地の報道各社は、この港湾は自由貿易特区となり、0.5マイル(800メートル)の長さのドック、造船所、給油施設、水産物貯蔵施設、加工場なども作られると報じた。ウルグアイ政府は何年も前からこのような投資を中国に求めていた。当時の大統領タバレ・バスケス(Tabaré Vázquez)は、国会の両院で3分の2以上の賛成を必要とする憲法の定めを回避するため、行政命令によって港湾の建設を推進しようとした。「政治家が法律を曲げてまで手に入れようとするほどの大金がテーブルの上にあったのです」とアルゼンチン在住の海洋研究者ミルコ・シュバルツマン(Milko Schvartzman)は私に語った。しかし、国民と野党の抵抗を受けて、その計画は頓挫した。
水産加工品の取り締まりは容易ではない。アメリカで消費される水産物の大部分は、中国企業によって漁獲または加工されている。アメリカには、強制労働でけがれた製品の輸入を防ぐための法律がいくつも存在している。それで、紛争ダイヤモンド(conflict diamonds:シエラレオネなど紛争地域で紛争当事者の資金源となっているダイヤモンド)や搾取工場で作った物品(sweatshop goods)は輸入できなくなっている。しかし、中国は自国漁船や加工場について詳細を明らかにしていない。ある時、中国漁船で1人の船員が白い袋に入った冷凍魚の山を見せてくれた。彼の説明によれば、船と船の間を自由に行き来させるため、袋には船名を入れないという。この方法によって、水産物加工会社は犯罪歴のある船との関係を隠すことができる。また、別の中国漁船の甲板で、中国人の船長が漁獲高を記録している日誌を開いて見せてくれたことがあった。最初の2ページにはメモがあったが、残りは白紙だった。「誰も日誌なんか書いていない。」と彼は言った。船会社の記録員が、後で辻褄を合せるように書くので、わざと空白にしているという。移民税関捜査局で強制労働防止プログラムの責任者であったケネス・ケネディ(Kenneth Kennedy)は、アメリカの輸入業者がサプライチェーンに虐待が存在していないことを証明できるまで、アメリカ政府は中国からの水産物の輸入をブロックすべきだと述べた。「アメリカには犯罪で汚染された水産物が溢れている」。
水産加工物流通のどこに問題があるかを調べるため、私たちは労働者の虐待によって汚染されたイカがどういう経路を辿ってどこに行き着くかを調べた。
まず、2018年〜2022年の鎮発7号(Zhen Fa 7)の航跡を衛星を利用して調べた。
その間、漁獲物が他の冷凍コンテナ船に移された回数は7回だった。
その内の1隻の冷凍コンテナ船、盧榮遠運177号(the Lu Rong Yuan Yu Yun 177)を追跡した。中国の石島港(Shidao port)までの軌跡を追跡した。
特に、漁獲物が港に着いてからその先を追跡するのは難しい。漁獲物の動きを追うには、実際に漁師に会って話を聞くしか方法がないこともある。
私たちは中国で何人もの私立探偵を雇い、盧榮遠運177号(the Lu Rong Yuan Yu Yun 177)が水揚げしたイカがどう流通したかを追跡した。探偵たちは港で車に隠れ、作業員がイカを荷揚げし、トラックに詰める様子を離れた場所から撮影した。
彼らは港から出たトラックを追った。
そのトラックは最終的に、栄成新区水産有限公司(Rongcheng Xinhui Aquatic Products)という企業が所有する水産物加工場に到着した。
また、鎮発7号(Zhen Fa 7)がイカを積み替えた他の冷凍コンテナ船の所有者情報も調べた。鎮発7号(Zhen Fa 7)のイカは中国国内の5つの水産加工場に送られた可能性が高いことがわかった。
5つの内の2つの加工場は、赤山集団有限公司が所有している。地元のニュースや同社のウェブサイトに掲載されているニュースリリースによると、同社は、少なくとも170人の新疆(Xinjiang)出身の労働者を雇用している。一方の加工場は栄成海博有限公司(Rongcheng Haibo)が運営しているが、その代表によれば、「新疆の労働者を雇用したことはない」という。もう一方の工場を運営する山東海都食品有限公司(Shandong Haidu)の代表は、「新疆や他の国からの労働者の違法な雇用はなく、先日も人権監査に合格した」と述べた。赤山集団有限公司にコメントを求めたが、回答は得られなかった。
鎮発7号(Zhen Fa 7)と取引がある加工場はたくさんあって、それらを合計すると、少なくとも62のアメリカ企業に大量の水産物が輸出されている。
これらの企業には、コストコ(Costco)、クローガー(Kroger)、Hマート(H Mart)、セーフウェイ(Safeway)などの小売チェーンも含まれている。
また、シスコ(Sysco)やパフォーマンス・フード・グループ(Performance Food Group)のような外食用食品卸業者も含まれている。両社は、それぞれ数十万拠点に食品を納入している。大学、ホテル、病院、政府機関の食堂やカフェなどである。両社にコメントを求めたが、回答は得られなかった。
アリトナンに釣り上げられて死んだイカの一部が、アメリカ人の胃を満たしている。
4月22日、アリトナンの遺体はモンテビデオからジャカルタに空路で運ばれ、イエスの置物を乗せた木製の棺に入れられ、バツ・ルングン(Batu Lungun)の実家に運ばれた。多くの村人が追悼の意を表すべく道路脇に並んでいた。その棺を見たアリトナンの母親は泣き叫び、気を失った。
葬儀はすぐに執り行われ、アリトナンは教会からほど近い墓地に埋葬された。父親の墓から3フィート(90センチ)しか離れていなかった。彼の墓は、2枚の板を十字に組み合わせたものだった。その夜、アリトナンの属していた人材派遣会社の幹部の1人が実家まで訪ねてきた。話し合いが為された。俗に和平合意(peace agreement)と呼ばれるものである。アンハルによれば、アリトナンの家族は、最終的には、2億ルピア(約1万3千ドル)の和解金で合意したという。家族は誰も漁船上の出来事について話したがらなかった。アリトナンの弟ベベン(Beben)は、家族に迷惑をかけたくないと言った。また、事件について話すと母親に迷惑がかかる可能性があると言った。「私たち家族は、人材派遣会社と和解しました。兄、ダニエルが安らかに眠ることを祈っている。」と彼は言った。
昨年、アリトナンの死から13カ月経っていたが、私はビデオチャットで彼の家族と再び話をした。母親のレジーナ・シホンビン(Regina Sihombing)は、息子のレオナルドと居間に座っていた。そこにはヒョウ柄の敷物が敷かれていた。部屋には家具はなく、床以外に座る場所もない。村長によると、和解金を使って家の手直しがされたという。結局のところ、何とかしてアリトナンは実家を修繕することができたわけである。彼の話になると、母親は泣き出した。「私がどんなに悲しんでいるか分かるでしょう。」と彼女は言った。レオナルドは言った、「悲しまないで、母さん。今はもう安らかに眠っているから」。♦
以上