9.ハイネッケはコンスタントが詐欺をしているとは知らずに大量に大豆を売った
2010年、コンスタントは久しぶりにハイネッケに電話をかけました。
「ジョン(ハイネッケ)、コーンを売って欲しいんだよ。」とコンスタントが言いました。
「問題ない。50万ブッシェルまでなら準備できるよ。」とハイネッケは言いました。
「50万ブッシェル全部買うよ。ゴスの鉄道脇に納入して欲しいんだ。鉄道貨車に載せたいんだよ。」とコンスタントが言いました。
ゴスは、ハイネッケの自宅から1キロほど離れたところにある静かな町でした。企業の事務所などがいくつかありましたが、その町に住んでいる人は1人もいませんでした。ゴスの鉄道脇は、もう何年も使われていませんでした。ハイネッケは、いつも自宅から6マイル離れたスタウトスビルか、40マイル離れたミシシッピ川で穀物を受け渡ししていました。「今日に至るまで、コンスタントがどうやって使われていなかった鉄道脇を使えるようにしたのか、私は知らないんだ。」とハイネッケは言いました。コンスタントが詐欺をバレないようにできたのは、鉄道貨物輸送のシステムを熟知していたことも一因です。
ハイネッケは、コンスタントにコーンを販売することで合意したわけですが、魅力は売買条件でした。コンスタントは、そのあたりの相場より1ブッシェルあたり、1ドル高く買い取ってくれたのです。ハイネッケにとっては、ミシシッピ川で他の業者に受け渡しする場合と比べると、20%以上のプレミアムを付けてもらった形でした。1ブッシェルのコーンは重さにすると56ポンドです。トラック1台で500〜1,000ブッシェル運ぶことができます。鉄道貨車1両では3,500ブッシェル、つまり約100トンを運ぶことができます。ハイネッケがゴスの鉄道脇に穀物の配送をすると、コンスタントは48時間ほどかけて積込作業を完了させていました。ハイネッケは7両の鉄道貨車を満杯にする量を納品するのが常でした。ハイネッケが言うには、1年間に100回ほど納品したそうです。
納品されたコーンは、ハイネッケが農地を借りて栽培したものと、近隣の農場が栽培したものがありました。いずれもオーガニックではありませんでした。ハイネッケは、コンスタントにオーガニックのコーンであるとは言っていませんでした。ハイネッケは私に言いました、「オーガニックではないものの、遺伝子組換ではありませんでした。肥料等は最新のものを使っていましたよ。リンや窒素などを与えていました。除草剤も使っていましたよ。作っていたコーンは全てランディ・コンスタントに売りましたよ。他の誰にも売りませんでした。」と。
ハイネッケは誰からも好かれるような人物ではありません。彼は新型コロナの陰謀論を信じていますし、私と初めて会った日には、平然と自分は人種差別主義者であると表明したのです。彼は、自分の父親や息子とも疎遠のようです。彼が私に言ったのですが、コンスタントは取引についてあまり喋らないので、好きではなかったそうです。そういうハイネッケ自身も、取引する際には、あまり余分なことは話さなかったし、聞かなかったそうです。彼は、かつてカビの生えたコーンを買ってくれたバイヤーに、そんなものを買ってどうするか聞いた時の話を私にしました。そのバイヤーは、「取引をしたくないのか?そんな質問、二度としないでくれ。」と言ったそうです。
ハイネッケが私に言ったのですが、彼はコンスタントがオーガニックでない穀物を売っていると思っていたそうです。本当に彼が知らなかったのか否かは、私には分かりません。たしかに、コンスタントはオーガニックでない農作物も販売していました。しかし、コンスタントが設立した会社の社名には「オーガニック」という言葉が謳われており、会社案内には、「オーガニック農業の導入・オーガニック農産物の生産・オーガニック農産物の販売に特化している」との文言がありました。コンスタントがハイネッケから穀物類を購入していたのは数年ほどでしたが、その間の販売実績を調べた限りでは、コンスタントがオーガニック栽培でない穀物を販売した実績は全く無いのです。その頃は、オーガニックと表示されたコーンは、そうでないコーンの2倍の価格で取引されることが多かったのです。つまり、ハイネッケから買い取った積荷は、ゴスの線路脇では鉄道貨車1両で2万5千ドルの価値でしたが、ゴスから離れるにしたがって、なぜか値を上げていき、目的地に着く頃には5万ドルになったということなのです。
2010年にコンスタントはオーガニック穀物を1,650万ドル分販売しました。それが、2015年には2,440万ドルになっていました。