米国農業ルポ!オーガニック食品に関する大規模詐欺事件の顛末!主犯ランディ・コンスタントは起訴後に自殺!

Reporter at Large November 15, 2021 Issue

The Great Organic-Food Fraud
大規模オーガニック食品詐欺事件

There’s no way to confirm that a crop was grown organically. Randy Constant exploited our trust in the labels—and made a fortune.
農作物がオーガニック栽培されたことを確認する方法はありません。ランディ・コンスタントはオーガニック認証制度を悪用した詐欺で大金を稼ぎました。

By Ian Parker November 8, 2021

1.2001年 オーガニック・ランド・マネジメント社の設立

 グレン・ボルジャーディンは、1990年代後半にランディ・コンスタントに初めて会いました。ミズーリ州北部の農場主が2人にオーガニック大豆を栽培する際に相談したのがきっかけでした。ミネソタ出身の農学者であるボルジャーディンは、土壌サンプルを採取し、肥料や雑草の管理方法などを提案しました。一方のコンスタントは、ミズーリ出身で本業は” Pfister seed company”(以下、フィスター種苗会社)の地区営業責任者でしたが、その農場の日常運営を任されていました。当時、ボルジャーディンのオーガニック農業に携わった経験は既に10年を超えていました。コンスタントはオーガニック農業に携わった経験は無かったのですが、あからさまな野心を隠していませんでした。ボルジャーディンは当時のことを振り返って私に言いました、「コンスタントは、物事がうまくいっている時には、そばにいるだけでわくわくするような男でしたよ!」と。

 当時30代だったコンスタントは、ミズーリ大学で農業経済学の学位をとっていました。大学を卒業した後、彼の妻のパムによれば、さまざまな農業関係の企業で実績を残してきたそうです。彼は、1980年代の米国の農業不況の際に、中西部で営業や管理職の仕事を転々とした後、パムと3人の子供を連れて、ミズーリ州のチリコシーという町に移りました。カンザスシティーの北東約90マイル(144キロ)にあるその町は、彼とパムが一緒に育った場所でした。コンスタントは、チリコシーのメソジスト統一教会で活動し、後にこの町の教育委員会委員長にもなりました。

 元同僚のタイ・ディックは、コンスタントのイメージについて、「典型的な中西部の男で、真面目で、健康的で、フランクな性格であった」と言っていました。コンスタントは、ボタンダウンシャツを着て、髪はいつもきれいに整えられていました。チリコシーでコンスタントの下で働いた経験があるヘクター・サンチェスは、コンスタントは非常に気遣いのできる人物であったと言っていました。サンチェスは、しばしばコンスタントから「何か必要なものはないか?困っていないか?」と聞かれたそうです。ボルジャーディンと初めて会った時、コンスタントは不動産売買免許を取得したばかりでしたが、ミズーリ州マウンドシティのバーンズ不動産のリック・バーンズの片腕として、時々農地の売買を行っていました。バーンズが言っていたのですが、コンスタントは非常に気が利くので、不動産業を本業にしても成功していたでしょう。

 大豆農家での協業が終わった後、ボルジャーディンとコンスタントは一緒にビジネスを始めることを検討しました。「私は、彼をとても信頼していたんです。彼はとても誠実に見えたんです。また、お互いの興味がある分野や成し遂げたいことが非常に似ていると思ったんです。」と、ボルジャーディンは私に言いました。2001年に2人はオーガニック・ランド・マネジメント社を設立しました。