3.コンスタントがオーガニックに興味を持った背景
オーガニックな商品を購入する消費者は、オーガニックでない商品を買う場合と違って、商品とともに信頼に対しても対価を払っているのです。オーガニック農産物とは、除草剤、殺虫剤、化学肥料を使用せずに栽培された作物のことです。オーガニックでないトマトを収穫後につぶさに観察すると、それらの痕跡を見つけられるかもしれません。しかし、見つけられない可能性のほうが高いでしょう。また、オーガニックな方法で栽培していても、近隣の農場からオーガニックな農法では使わない化学物質が飛んでくる場合、時として汚染されてしまいます。そうした汚染は、オーガニックと認証する際にはある程度許容されています。ですので、米国のオーガニック認証制度では、残留農薬の検査はほとんど実施されていません。
つまり、1トンのオーガニック大豆と1トンのオーガニックでない大豆の違いは、生産者がオーガニック栽培であると主張するか、しないかだけの差なのです。極端なことを言えば、オーガニックと表示して販売したらオーガニック農産物なのです。カフェでデカフェを頼めば、間違いなくカフェイン抜きのコーヒーが提供されるでしょう。オーガニック商品を購入する時は、それとはちょっと違うわけです。むしろ、スポーツのコレクターズアイテムを買うのと似ています。高価な記念ボールを買う時に、本当に本物なのかどうかは分かりません。あるいは、中古車を買う時と似ているかもしれません。本当にワンオーナーカーで丁寧に乗られた車かどうかなんて外観からは分かりません。オーガニック農産物を買うということは、そういうことなのです。
オーガニック農産物というだけで、とても魅力的に思えます。オーガニック農法への転換は、生物多様性を増し、エネルギー使用量を削減し、農業従事者や家畜の健康増進につながりそうに思えます。また、農薬が使われていないので、オーガニック農産物を食することは、従来のものを食すより健康に良いと思われます。
コンスタントがハイネッケに牧草地のことを尋ねた時、米国ではオーガニック農業がまさに活況になり始めたところでした。2000年には、一般の食品スーパーのオーガニック食品の売上が、健康食品専門店の売上を初めて上回りました。その後5年間で、国内のオーガニック食品の売上はほぼ倍増し、年間138億ドルに達しました。現在、その数字は約600億ドルに達しました。かつてオーガニック商品というと、環境保護を謳う企業が作ったものや、有機栽培を初期に広めた先駆者たちが作った不揃いの青果物がほとんどでした。現在では、大手の乳製品メーカーも作っています。いまやオーガニックの冷凍ラザニアは大人気です。
全米で2002年に施行された新たなオーガニック認証制度が、この市場の成長に拍車をかけました。それ以前には、州によって規制にバラツキがありました。アイオワ州では、オーガニック農業を営んでいることを証明する宣誓書に署名しただけで、農産物がオーガニック認証されていました。農産物がオーガニック栽培されたものか否かを見分けるのは難しいため、新たな制度でも宣誓書に署名するだけで認証されるという仕組みが残りそうだったのですが、安全安心を優先すべきだとして、残されませんでした。それで、オーガニック栽培農家やオーガニック食品メーカーは、米国農務省が設立した”National Organic Program”(以下、全米オーガニック・プログラム)の認定を受けた独立した認証機関による認証を得ることが義務づけられました。認証機関は、主に年1回の定期検査を通じて、農作物の栽培状況を監視します。
新しい認証制度では、オーガニック栽培をしていなかった農地をオーガニック認定される農地に転換するには、3年はかかるでしょう。オーガニック農産物の市場は急速に拡大していました。有機飼料だけを与えられた牛や豚の鶏の肉や卵や乳製品などの売上が急上昇していました。ですので、3年間の移行期間が不要な農地があれば、それは非常に貴重でした。
オーガニック・ランド・マネジメント社は、そのような農地を探し出し、地主と交渉をしました。地主に手数料を払ってもらったら、オーガニック認証を取得して作物の栽培と販売を手伝うということを提案しました。「当時オーガニック栽培でないコーンは、1ブッシェル2ドルで引き取られていました。それが、初めてオーガニック栽培のコーンを作った際には、1ブッシェル3.75〜4ドルで引き取られたんです。」と、ボルジャーディンは言いました。
コンスタントとボルジャーディンは、同じ事務所で仕事をすることはありませんでした。ボルジャーディンはミネソタ州とダコタ州の農家と取引し、コンスタントはもっと南の州の農家と取引していました。オーガニック・ランド・マネジメント社は、信用度の低い農家や、その他の問題を抱えた農家にも積極的に営業をかけました。それで業容を拡大させました。破産したことがありツギハギ状の農地を耕作しているジョン・ハイネッケもオーガニック・ランド・マネジメント社と契約しました。また、ネブラスカ州オーバートンでは、ジェームズと父親トムのブレナン父子も契約しました。父親のトムはベトナム帰還兵でアルコール依存症でした。そうなったのはPTSDが原因であると思われます。飲酒運転で何度も検挙されていました。
数年でオーガニック・ランド・マネジメント社は、5つの州にある12の農場、6,000エーカーの農地を取り扱うようになりました。アメリカの規制当局から見れば、これは単一企業による事業とみなされるので、オーガニック農場としての認証は1箇所で取得するだけで問題ありませんでした。