11.北朝鮮では数学的才能のある若者はハッカー集団に入れられる
北朝鮮のサイバー犯罪を行っている者は、冷徹で何のためらいもないように見えますが、彼らはまた犠牲者でもあるのです。オックスフォード大学のプログラマーであるコスティン=アンドレイ・オンセスクは、若くて才能のある北朝鮮のプログラマーが銀行から現金を奪ったり、ランサムウェアを仕掛ける片棒を担がされて才能を浪費しているのを見ると胸が痛むと言います。しかし、北朝鮮のそうした実情をうかがい知ることはなかなか難しいことです。元特殊部隊の大佐のデビッド・マクスウェルが言うには、朝鮮人民軍偵察総局のサイバー部隊からの脱北者が少数出ていて、彼らは韓国に移住することが多く、そこでは韓国の諜報機関の監督下に置かれます。脱北したとはいうものの、時折、彼らの行動の中に金正恩の「勇敢な戦士」だった過去のなごりが現れることがあります。
リ・ジョンヨルは数学の天才でした。彼は1998年に平壌郊外の教育熱心な家庭に生まれました。彼は小学校に入る前に、家庭教師が付いて毎日勉強していていましたが、すでに小学校で学ぶ内容は全て習得していました。高学年になると全国数学大会に出場して優勝し、才能ある生徒が選抜される高校に入りました。2013年に15歳でコロンビアのサンタマルタで開催された国際数学オリンピック(IMO)に北朝鮮チームの最年少メンバーとして参加しました。
リ・ジョンヨルは背が高く、人懐っこい、ハンサムな少年でした。バレーボールや卓球をするのが好きでした。彼はIMOに参加している北朝鮮チームの他の者とは異なる点がありました。それは、彼は他の国の参加者たちとの交流を楽しんでいたということです。彼は、他の国の参加者で自分と同じような10代の若者が暇な時にインターネットにアクセスしているのを見て、自分も試してみたいと思いました。彼はインターネットにアクセスしたことがありませんでした。(彼が住んでいた村の学校で見たいくつかのコンピューターはインターネットに接続されていませんでいた。また、そのコンピューターが使われているのを見たこともありませんでした。というのは、電気がほとんど使えなかったからです。)しかし、結局、リ・ジョンヨルは誘惑に負けませんでした。インターネットは使わなかったのです。なぜなら、彼は誘惑に負けたら厳しく罰せられることを知っていたからです。
リ・ジョンヨルは、初参加のIMOで銀メダルを獲得しました。15歳の若さでしたから、際立つ成績といって差し支えありませんでした。2014年、2015年も、彼は再び参加しました。南アフリカのケープタウン、タイのチェンマイに行きました。彼は両大会でも銀メダルを獲得しました。リ・ジョンヨルは、毎年他の国の参加者と再会できるのがとても楽しかったと回想しました。彼はまた、言葉が通じる韓国のチームの参加者とも仲良くなりました。北朝鮮と韓国とは仇敵同士でしたが、韓国の参加者と仲良くなって話しましたが、何の忌憚もありませんでした。
彼は2015年のIMOから帰国すると、地元の朝鮮労働党支部で働いていた知人から、諜報機関の幹部が彼の友人や親類に話を聞いていると聞かされました。彼は、何が起きようとしているのかを即座に知りました。北朝鮮政府は、彼の数学的才能を欲していて、それをハッキングや核兵器開発のために使おうとしているのでした。どうやら、北朝鮮政府は、彼を秘密の任務に就かせる前に大学に行かせる必要は無いと判断したようでした。そうした事実が判明するにつれ、彼は絶望的になりました。核兵器開発等で最も警戒が厳重な軍の施設で働くということは、社会から完全に切り離されることを意味します。そうなれば、もはや彼に自由はありません。また、彼は、そのような機関に参加するよう命じられた場合、拒否することが出来ないことも認識していました。
リ・ジョンヨルは、18歳になるまでIMOに参加できることを知っていました。彼には秘密の任務に付かされる前にもう1度IMOに参加する機会がありました。彼にとっての最後となるIMOは、香港科技大学で行われました。北朝鮮のIMO参加者はそれほど厳しく監視されていませんでしたし、彼は同行した教師たちとも友好的な関係を保っていました。彼は再び銀メダルを獲得しました。その後、彼は隙を見て滞在していた宿舎を抜け出して、タクシーを捕まえ香港国際空港に向かいました。そこに行けば韓国人がいると思ったからです。韓国系の航空会社のカウンターに行き、韓国領事館の住所を調べました(韓国領事館に電話しましたが、領事館から人が来ることはありませんでした。国際条約で、外交官は他国の国民を自国の外交施設に連れて行くことができないことになっているからです)。彼はまた別のタクシーに乗って、韓国領事館に駆け込んで亡命を求めました。その後、彼は香港で70日間過ごした後、ソウルに向かいました。韓国外交筋が彼をソウルへ安全に移送する交渉をしている間、彼は不安げに待つしかありませんでした。
リ・ジョンヨルは現在23歳です。韓国では別の名前を使っています。彼はソウル大学校で数学を学んでいます。彼は亡命して以来、両親に会っていません。私は彼と最近話した時に、彼は脱北する際には誰の手も借りずに独力で行なったと言いました。おそらく、彼は誰かが手助けしたなどと言ったらその人に危害が及ぶのを知っているので、そのように言っているのでしょう。北朝鮮では、脱北者の家族はしばしば非常に悲惨な状況に陥ります。彼は、母国を離れたことを後悔していないと言いました。脱出して以降、彼が思ったのは、もし平壌にとどまっていたら、自分の才能は伸ばすことも生かすことも出来なかっただろうということです。彼は、ソウルにいると可能性が広がっていると感じました。彼は私に興奮しながら言いました。出来れば交換留学プログラムでアメリカで一年勉強してみたいということでした。
2016年にリ・ジョンヨルが韓国に入国して最初にしたことの1つは、インターネットをすることでした。彼は領事館員に教えてもらいながらGmailアカウントを作成しました。その後、その領事館員は彼にGoogleで初めての検索を行うよう促しました。彼は一瞬途方に暮れました。情報が厳しく管理されていた北朝鮮では、彼の好奇心、
探求心は果てしないほど大きなものでした。しかし今、自由に何でも調べて良いとなると何を選んだらよいのか迷ってしまいます。調べてみたいことが山ほどあったはずですが、彼が初めて検索ボックスに入力した単語は、「북한/北韓」(北朝鮮)でした。♦
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