3.孤立感が募るとキャビン・フィーバーになることがある
私は、アルバート・ジョンソンという偽名を使っていた男について考えたのですが、彼は社交性があまり無く、孤独を好んでいたようです。私も孤独になりたいと感じる時があるので、そうした気持ちは理解できないものではありませんでした(いきなり発砲するという暴力的な行動をとった気持ちは、到底理解できませんが)。40年ほど前、私は30代前半でしたが、ニューヨークからモンタナ州北西部の森の中にある三角屋根の小屋に引っ越しました。最初の11ヶ月間は、そこで一人で暮らしました。古い森林伐採のために切り開かれた道を歩いたり、山裾を登り下りしたり、湿地にある池でカワマスを釣ったりしました。小説を書こうともしました。私は、モンタナ州には知り合いが1人もいませんでした。私が誰かと交流するといえば、たまに州外に住む友人と電話で話すだけでした。私の電話は、パーティーライン(ローカルループ電話:20世紀後半に米国の田舎で流行った複数の電話サービス加入者によって共有される回線。)になっていたので、電話をするのは好きではありませんでした。私の隣人たち(といっても近くに住んでいるわけではないのですが)は、そのあたりの草原の小屋に住んでいて会ったこともないのですが、その人たちが電話を使いたいと言うと、私は電話を切らなければなりませんでした。それが理由で、私は電話をかける時には、早朝や深夜にしていました。
マンハッタンに住んでいた友人の電話番号が、偶然にもテレホンクラブの電話番号と一桁違っているだけだったので、その友人は間違い電話に悩まされていました。1分250円の料金を支払ってでも女性と会話をしたい男たちから、四六時中、間違い電話がかかってきたのです。しばらくして、その友人は、間違い電話をかけてきた男たちにたくさん書類を書く必要があると言って、素性をを聞き出すという暇つぶし遊びを思いつき敢行していました。彼は、電話をかけてきた男たちに、サービスを受ける前に書類に必要事項を記入しなければならないと告げたのです。そして、名前、生年月日、身長、体重、職業などを聞き出しました。さらに、乗っている車の車種、年式、排気量などを細かく聞き出しました。そして、それも退屈になってくると電話を切っていたのです。私は、テレホンクラブに電話しようとして間違えたふりをして彼に電話をかけてみました。彼が私にいろいろと質問したり難癖をつけてきたら、逆にこちらからおちょくってやろうと考えていました。
私の小屋は、20フィート(6メートル)×15フィート(4.5メートル)ほどの大きさで、例の気狂い猟師(マッドトラッパー)のそれよりはかろうじて広いだけの小さなものでした。電話機は、丸太の皮を剥いでニスを塗った中央の支柱に固定されており、壁から壁まで届くほど長いコードが付いていました。私は、マンハッタンの友人に電話しました。応答はありませんでした。おそらく外出しているのだろうと思いました。私が住んでいたモンタナ州は午前2時でしたが、ニューヨークは午前4時でした。私は電話を耳に当てながら、飲み物を注ぎ、火をおこし、何か食べるものを作りました。その間、電話は鳴り続けていました。2,400マイル離れた誰もいないアパートで、静まりかえった中で電話機だけが鳴り続けているのを想像するのが私は嫌いではありませんでした。私が40分くらい電話を鳴らし続けていたところ、突然、友人が電話に出ました。友人は、「クソ野郎!いつまで鳴らすんだ!」と言いました。
彼は、寝ていたようでした。彼は、ロフトベッドから降りて電話に出るのが面倒くさいので、枕を頭からかぶって電話に出ずに、呼び出し音が鳴りやむのを待っていたのでしょう。結局、彼は呼び出し音に根負けして、電話に出たのです。それから、友人は私とさまざまな話題について、話し込みました。そうこうする内に夜が更けていき、電話を切った時には明るくなり始めていました。
馬鹿なことをしていたと思うのですが、当時の私には、それほどおかしなことをしているという自覚はなかったのです。キャビンフィーバーになると、自分が変になるのですが、自分ではそれに気づかないものなのです。幸いなことに、私の友人は、私が真夜中に電話しても私を恨んだりはしませんでした。私が住んでいた小屋の隣には、カラマツの丸太を積んだ薪小屋があり、乾燥した状態を保つための亜鉛メッキの屋根が付いていました。薪が私の頭くらいの高さまで積まれていたのですが、その上に、私はクアーズビールの空き瓶を1つ置いて、15歩ほどそこから遠ざかった地点で向き直って、その瓶に向かって思い切り石を投げていました。97%の確率で外れましたが、たまに当たって琥珀色のガラス瓶が爆ぜるのを見るとちょっとした満足感を得られました。まるで大昔の決闘で勝った時のような気分に浸れたのです。しかし、薪小屋の中に石がどんどん増えていき、道路の石が急激に減っているのに気づいて、そうしたことは止めざるを得ませんでした。
当時の私にとって、20マイルほど離れたカリスペルという町までドライブすることは楽しみでした。子供が遠足に行く時のような気分に浸れました。私は、ものを書く際にはポトラッチ(Potlatch)というメーカー用箋を使っていました。ポトラッチとは、先住民族の祭りの名前なので、面白い名前の用箋だと思っていました。それを使い切ってしまっていたので、私はカリスペルの事務用品店でそれを買い足したのですが、そこの店員にポトラッチのことをいろいろと教えてあげました。私が話したのは、その語は、ネイティブ・アメリカンの言葉であること、その語は族長や普通の人が他の部族に物を配るパーティーを意味することなどでした。私は、その語について知っていることを、その店員に得意げに説明しました。英語の”Giveaway ”と同じような意味であることや、ものを贈ることによって地位の高さを示すとともに富を下位の者たちに分配するシステムだったということなどです。その店員は困ったような表情をしていました。その表情に気づいた時、私は、自分が正常な精神状態ではないことを認識することができました。また、自分がそんなことにも気づいていなかったことを認識して、非常に落ち込みました。
当時、私の元カノがフロリダのサラソタに住んでいたのですが、再び連絡を取り合うようになっていました。彼女の住んでいる部屋には電話が無かったので、彼女が電話をかけてくる時はアパートの近くの公衆電話からでした。私は、その公衆電話の番号を小屋の中の電話が据え付けられていた支柱に書き留めていました。ある日の午後、私はサラソタに飛んで行って、結婚を申し込もうと決心しました。私は、彼女に今から行くということを伝えるために電話をしました。彼女の使う公衆電話の番号をダイヤルしました。その公衆電話は、彼女のアパートから半ブロックほど離れたところにあったのですが、偶然にも私が電話した時に彼女がその横を通りすぎるところでした。公衆電話のベルが鳴るのを聞いて、彼女は電話に出てくれました(後日談ですが、私たちの子供がまだ小さかった頃に、サラソタにその公衆電話を見せに連れて行ったのですが、子供たちはあまりそれに興味を示しませんでした)。私は彼女と、モンタナのファーンデールという町で結婚しました。山の中腹の国有林との境界線に隣接する土地に、大きな家を借りました。
その家は、元々は山小屋というか掘っ立て小屋だったようです。その家の貸主は、最初は地下室を作るだけの資金しかなかったので、山の傾斜地を掘って5つの部屋を作ったそうです。残りの部屋が完成するまで、彼は妻と2人の子供と一緒にその5つの部屋に住んでいました。私たちが引っ越してきた時には、地下の居住スペースは、以前に人が住んでいた形跡が残っていたものの、使われていませんでした。その上の1階部分だけを使っていたようです。家のすぐそばまで森が迫っていました。以前、その家の貸主はその小屋のドアから熊を撃ったことがあるそうです。狩猟免許を保持しており撃っても問題なかったようです。モンタナ州のその地方では、何か月も太陽を見ることができません。真冬になると、私の住んでいた家に通じる砂利道の横には、私の背丈よりも高い雪の壁ができました。私の家から数マイル離れたところに幹線道路があったのですが、道路脇の雪山から鹿の足や角や体の一部が突き出ているのをしばしば見かけました。その道路では鹿がよく車に轢かれていて、除雪車が雪と一緒に鹿の死体をすくい上げてしまうことも珍しくないのです。
その幹線道路は、スワン・リバーの谷間を走っていました。交差する道もほとんど無く、交差点もほとんどありませんでした。車を停めて休憩できるような場所は、数マイルの道すがらに1カ所しかありませんでした。それが、”ジャンクション”という名の三角屋根のバーでした。大きな砂利敷きの駐車場があり、地元の無骨そうな男たちがしばしばそこで揉め事を起こしていました。近くでは銃撃戦もあったようです。冬のどんよりと曇った日に、妻と私は山の中腹の家に居続けることが退屈で我慢できなくなり、酒を飲むために”ジャンクション”まで車で向かいました。バーというのは、酒を飲むところですから、あまり昼間に行くことはお勧めしません。夜と違って明るいので、バーの内装の粗が目立ってしまって貧相に見えてしまうからです。そのバーの内装は、裸木が使われて質素なものでした。内装が、どんよりとした午後に沈んだように見えました。私はジャック・ダニエルズとビールを、妻はスコッチを注文しました。それから、一杯か二杯ほど追加で注文してほろ酔い気分になったところで、私はバーテン(女性)に商売は繁盛しているか聞いてみました。彼女は言いました、「あまりよくないですね。客と言ってもキャビン・フィーバーを患った呑兵衛が来るだけですからね。」と。彼女は気を使っていたのでしょう。「あなたたちのような呑兵衛」とは言いませんでした。