6.新型コロナは、キャビン・フィーバーになる者を急増させた
「非常にゆっくりと時間が流れているように感じる。」と、丸太小屋に閉じ込められたハックルベリー・フィンは言ったわけですが、当時と今日では大きな違いがあります。それは、今日では、たとえ小屋に閉じ込められたとしても、コンピュータ等で外界とつながっていれば、孤立しているとは感じないし、孤独ではないということです。たとえ小屋に幽閉されても、ネットにつながっていれば気晴らしできます。逆に、どこにいても繋がっていると感じられて煩わしいくらいかもしれませんが、孤独で気も狂おしくなるような状況は避けられるのではないでしょうか。私は現在、ニュージャージー郊外のにぎやかな通りに面した家に住んでいますが、新型コロナの感染が広がってロックダウンされた頃には、とても静かで、通りを歩いている人は1人もいませんでした。近所は、まるでソーントン・ワイルダー(アメリカの劇作家、小説家)の小説「わが町(Our Town)」の中に出てくる幽霊の住む町のような感じでした。しかし、そんな状況下でも、いやでも新型コロナが蔓延していることを思い出させるものが2つありました。1つは、鎮まりかえった街中を行き交う救急車の赤いサインでした。悲しいことに、この町では79人が新型コロナで死亡していました。もう1つは、夜遅く、誰もいない舗装道路を疾走するオートバイのけたたましい排気音でした。新型コロナのパンデミックによって、アメリカでは自動車やオートバイの総走行距離数は減少しているにもかかわらず、交通事故件数は増加していました。
私は、新型コロナのパンデミックで通行量が減ったニューヨークに数回ほど行きましたが、交通渋滞が無いので、さまざまなスポット間の所要時間は非常に短く、それほど遠くないということに驚きました。しかし、運転していても楽しいとは感じませんでした。というのも、時折、道が空いているせいで猛スピードで走ってくる車が非常に多かったからです。私は時速45マイルくらいで運転していたのですが、すぐ横を爆走する車にすり抜けられるのは気持ちの良いものではありません。高速道路で他のすべての車が時速50マイルで走っている中で、自分の車だけ動かなくなって止まってしまったような状況に感じられました。バックミラーに映るのは、猛スピードで近づいてくる車ばかりで、あっという間に追い抜かれました。私の知り合いの1人は、「バイオレンス・インターラプター」(紛争に介入し、人々が互いに戦うことを防止すること)を生業としているのですが、新型コロナの感染が拡大した時期には銃撃事件や刺殺事件が増えたと言っていました。彼が言っていたのですが、アパートに籠って孤立感を深めていた多くの若者が、ネット上で自分が侮辱されているのを見て怒りが限界点を越えたということです。そして、相手を打ちのめすために出かけていき犯行におよんだそうです。
ロックダウンの初期には、家に閉じ込められてやることも無いので、本能の赴くままにベッドに潜り込んでひたすら寝るようなこともありました。私は、自分が17年セミの蛹になったような気分になったこともありました。木の根元の土で自分を覆って、外敵から襲われないようにして寝むり続けているような気分だったのです。しかし、ベッドに入っても、一睡もできないこともしばしばありました。人間が家に閉じこもって野外にあまり出ない間に、近くに棲息している野生動物の行動はますます大胆になりました。寝ていると、夜中に家の外から野生動物の鳴き声が聞こえてきました。近所に1匹キツネがいるようでした。キツネは他にも何匹かいるようでした。真夜中に響くバイクの音も迷惑ですが、夜な夜な繰り返されるキツネの鳴き声も煩わしいものでした。キツネの鳴き声はガチョウの鳴き声と同様で、野生動物が発するロマンティックなものではありませんでした。そういえば、ガチョウの鳴き声も良く耳にしました。キツネの鳴き声は、猫が毛玉を吐き出す時に出すような音で、ガブガブとか、ハアハアという音でした。猫が毛玉を吐き出す時と違って、キツネの鳴き声は楽しそうでした。深夜に、1匹のキツネが通りを歩いてきて、犬のいる家の前に止まって、しばらくハアハアと鳴いていました。たまたま犬が庭に出ていると、目を覚ましてキツネを威嚇するように吠えます。そのキツネは、それで満足したかのように、さらに通りを下っていって、また別の犬をからかって怒らせていました。
ある晴れた日の午後、私はキツネを間近で見たことがあります。私が自宅の中庭の椅子に座っていると、1匹のキツネが狭い裏庭をさっと横切ったのです。私は、目の端でキツネが通り過ぎるのを見たのですが、本当に見たのかどうかわからないくらいの一瞬の出来事でした。キツネは、「お前には俺の姿は見えないだろう。」と言わんばかりの感じで、気配を消して通り過ぎていきました。まるで全身黒装束の舞台係が、演劇の幕間でさっと出てきて、さりげなく次の場面のセットを準備するような感じでした。舞台係は観衆を馬鹿にしたりはしていないわけですが、キツネはそれと違っていて、近くにいる犬や人間を見下して馬鹿にしているようでした。私が目にしたキツネは、細長い鼻で、ちょっと軽蔑したような表情を浮かべながら、ガレージの向こうへと消えました。ひょっとすると、怯えていたのかもしれません。