MDMAって知ってる?ラリるためのドラッグでしょ? いえいえ、今、その薬効が注目されている!合法化を急げ!

2.MDMAの世間の評価の変遷 

 MDMA、あるいは、 3,4-methylenedioxymethamphetamine(3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン)は、アンフェタミンと類似した化学構造を持っています。著書”I Feel Love: MDMA and the Quest for Connection in a Fractured World(未邦訳:「愛を感じる!MDMAと分断された世界におけるつながりの探求」くらいの意)”の中でジャーナリストのレイチェル・ヌーワー(Rachel Nuwer)は、MDMAの歴史と人気について記しているのですが、MDMAは1965年にダウ・ケミカル(Dow Chemical)の優秀な化学者であるアレクサンダー・シュルギン(Alexander Shulgin)によって初めてアメリカで合成されました。カリフォルニア大学バークレー校(the University of California, Berkeley)で教鞭をとり、麻薬取締局(Drug Enforcement Administration:略号DEA)でコンサルタントを務めていたシュルギンは、幻覚剤愛好家(psychedelic enthusiasts)のコミュニティの一員でした。ヌーワーの著書に記されているのですが、幻覚剤愛好家の多くは、MDMAを大切で尊敬すべき薬として考えていました。超越瞑想、成長、治癒を助けるものと認識されていたようです。MDMAはカウンターカルチャーに傾倒したセラピストの間で人気があり、彼らが患者に投与し、時には自らも服用していました。しかし、MDMAが方々で合成されるようになり多くの者が服用し始めると、シュルギンはそれが娯楽用麻薬(recreational drug)として認識されるようになりつつありました。それで、麻薬取締局(DEA)がそれを所持することを取り締まるようになることをことを恐れました。

 MDMAは1980年代初頭、マイケル・クレッグ(Michael Clegg)という人物がダラスのクラブ・シーンに持ち込んだのをきっかけに広まりました(クレッグは、かつてはカトリック教会の司祭をしていました)。それで非常に儲かるということに気づき、ある日、クレッグはカリフォルニアでマリファナを大々的に売り捌いていたボブ・マクミレン(Bob McMillen)を訪ねました。クレッグがマクミレンに言ったのは、自分は新たなドラッグを使っており、これから大流行すると確信していて、それを西海岸で大々的に売り捌きたいということでした。クレッグはMDMAに新たな名前までつけていました。 セラピー(Therapy)です。交渉の末、マクミレンはそれを試してみることに同意しました。彼はニューエイジ(New Age)の演奏家のドイター(Deuter)のアルバムをかけ、シーツをかぶってソファに座っていました。そして、すぐに言い表せないほどの陶酔感に包まれて、浮き足立つような感覚に襲われました。彼は当時のことを回想して言いました、「俺は、シーツを払いのけて、立ち上がって言ったんだ!これは間違いなく売れるぞ!いくらで売るつもりだ?」と。しかし、彼はセラピー(Therapy)という名称の変更を要求しました。その名称は陳腐で古臭いとしてダメ出ししたのです。彼は、その時聴いていたドイターのアルバム名を選びました。エクスタシー(Ecstasy)です。彼は、4日間で5,000個のエクスタシーを売り捌きました。

 MDMAには、いわば多重人格(split personality)的に見えるところがあって、治療薬として潜在的な効果があると認識されている一方で、手軽に快楽を得られる錠剤としても認識されています。シュルギンはエクスタシー(Ecstacy)という名前を嫌っていました。ヌーワーが彼の未亡人を訪ねた時、彼女はそれを 「魂のペニシリン(penicillin for the soul) 」と呼んでいました。しかし、クラブに通う人々の間では、パーティー会場等でバーテンダーのところに行って、「ビールとエクスタシー(a beer and an Ecstasy)」をくれと注文するのが、当たり前になっていました。エクスタシーを手に入れた者は自分が何を手に入れたのか、必ずしもわかっていたわけではありません。 エクスタシーはフェンタニル(fentanyl)など他のドラッグと一緒に併用されることが多々ありました。このような理由もあり、1985年、(DEA)麻薬取締局はMDMAをスケジュール1(違法薬物)に指定しました。認められている医学的用途はなく、乱用の可能性が高い薬物に分類されたのです。

 その後の数十年間、研究および権利擁護組織である幻覚剤学際研究学会(Multidisciplinary Association for Psychedelic Studies:略号MAPS)が、幻覚剤を一般に受け入れやすく、利用しやすいものにしようと努めてきました。しかし、2000年代になるまでは、MDMAの治療薬としての可能性に関する研究が広く行われることはありませんでした。2004年に開始された第2相臨床試験(Phase 2 clinical trial)では、PTSDと診断された17人が数週間のトークセラピーを受けました。約1か月の間隔を空けて2回のセッションに分かれていたのですが、臨床試験参加者はMDMAまたはプラセボ(placebo)のいずれかを投与されました。この治験が終了した時点でMDMAを投与されてセラピーを受けた人の56%は、もはやPTSDの診断基準を満たしていませんでした。その割合は、プラセボを投与された群の2倍以上でした。この治験の欠点の1つは、その規模が小さかったことです。もう1つは、MDMAを投与してセラピーを行わなかったという治験参加者はいなかったので、MDMAの効果とセラピーの効果を切り分けることが難しかったことです。

 ヌーワーによれば、MDMAをトラウマの治療薬としての側面から評価しようとする試みが盛んになっているようです。このユニークな分子をこれまでずっと快楽を得るためのドラッグとして評価してきたことが見直されつつあるわけですが、ようやくMDMAの元々持っていた薬効に脚光が当たるようになったのです。「MDMAが合成されて以来、その評価は常に振り子のようにぶれてきました。ようやく本来の薬効に目が向けられるようになりました。」と、ヌーワーは記しています。先日、オーストラリアでは、MDMAと幻覚キノコ(psychedelic mushrooms)の主たる化合物であるシロシビン(psilocybin)を処方箋で入手できるようにする法律を制定しました。世界初です。あるオーストラリアのバイオテクノロジー企業は、精神科医が治療中にMDMAを提供するためのプログラムを開発するために250万ドルを調達しました。2021年、MAPS(幻覚剤学際研究学会)の会員である精神科医マイケル・ミトーファー(Michael Mithoefer)は、MDMAを用いた第3相臨床試験を始めました。これは初めてのことでした。重度のPTSD患者に対して効果があるという結果を得たようです。現在、ミトーファーの研究チームは追加の第3相臨床試験を完了し、FDA(食品医薬品局)に処方箋で入手できるようにするための申請をする準備をしています。ヌーワーが記していたのですが、精神科医の中にはMDMAが広範な臨床使用に相応しいかという点について懐疑的な者もいるそうです、しかし、多くの専門家は早ければ今年中に承認されるだろうと推測しているそうです。

 精神科の薬物療法は、セラピーとは別に行われるものと考えられており、前者は脳内に化学成分に生理学的な変化をもたらし、後者は患者が自分の感情を理解し、思考パターンを調整し、行動を変えるのを助けるものだと考えられています。しかし、MDMAは、旧来の精神科の薬物療法とはちょっと違うところがあります。MDMAは、現在うつ病や不安症を治療するために使われている薬とは根本的に違うのです。MDMAは、ウェルブトリン(Wellbutrin:ノルエピネフリン・ドーパミン再取り込み阻害薬として作用する抗うつ薬の一種)のように毎日服用すべきものではありませんし、ザナックス(Xanax:ベンゾジアゼピン系の抗不安薬)のように急性の苦痛に対処するために服用されることもありません。そうではなくて、MDMAはセラピーと組み合わせて、セッション中に服用すべき薬物なのです。ですので、治療薬というよりは治療強化剤と呼んだほうが良いかもしれません。

 実は、MDMAが作用する正確なメカニズムはよくわかっていません。過去40年間、MDMAに関するほとんどの研究は、MDMAが脳にダメージを与えるかどうかに焦点を当てたものでした。多くの研究が現在も進行中で、ヌーワーが多くの研究者から聞いた限りでは、どうやらMDMAは脳にダメージを与えないようです。しかし、ヌーワーが著書に記しているのですが、実験動物で高用量を反復投与するとセロトニン系に大きな変化を与えることが明らかになっています。ヌーワーの重要な貢献の1つは、MDMAに関する2つの重大な欠陥がある研究を指弾したことです。それらは、誤りがあることが判明して内容は訂正されたのですが、未だに世間一般に誤った印象を与え続けています。欠陥があった研究の1つでは、研究者が被験者に誤ってメタンフェタミン(methamphetamine )を投与していたにもかかわらず、その結果をMDMAによるものとして報告していました。

 ジョンズ・ホプキンス(Johns Hopkins)大学の研究者ギュル・ドーレン(Gül Dölen)が発見したのですが、MDMAをはじめとする幻覚剤は、神経科学者が脳の「臨界期(critical period)」と呼ぶ、神経結合(neural connections)が変化し再編成される可能性のある、主に幼少期と思春期に生じる時間の窓を再び開かせます。この現象は、幻覚剤によって引き起こされる共感や社会的つながりの感情と関係があるか否かは不明です。ドーレンが指摘しているのですが、MDMAを服用するセラピー(MDMA-assisted therapy :MDMA支援心理療法)を受けている人は、セッションの間だけでなく、その後も細心の注意を払って治療する必要があります。MDMAの薬効が切れた後でも、感受性が高まっており、移ろいやすさ、脆弱性を示し続け、放心状態に似た状況です(カナダでMAPS(幻覚剤学際研究学会)が後援した臨床試験に参加したある女性は、その臨床試験を実施した2人のセラピストのもとで治療を続けましたが、後に彼女はそのうちの1人をセッション中の性的暴行で訴えました。訴えられたセラピストは同意の上での関係であったと主張し法廷で争いました。MAPSは2人のセラピストを除名しました)。

 もし、FDA(食品医薬品局)がMDMAをセラピーに使用することを承認すれば、幻覚剤にとってもセラピーにとっても、前例のない展開となります。長い間パーティーと関連付けられてきた物質が、医療現場での正当な手段となるわけです。これによって、より多くの人々が、新しい種類のリスクを伴う可能性のある、新しいカテゴリーのメンタルヘルスケアを試すようになるかもしれません。かつてMDMAは快楽を得るためのドラッグと認識されていたのですが、今後は治療薬と認識されることの方が多くなるのかもしれません。そういえば、かつてミトーファーの臨床試験に参加した被験者が言っていました、「なぜこれをエクスタシー(Ecstasy)と呼ぶのかわからない。」と。