III.SHARP EYES(厳重なハイテク監視システム)
2005年、中国政府は全土に監視カメラを設置し始めました。それはハイテク監視システム「天網(スカイネット)」プロジェクトの一環でした。習近平は権力を握った後、さらに機能が拡張された「シャープ・アイズ」プロジェクトに着手しました。その構想は、5億台の監視カメラを連携させ、国中を網羅し、オンライン化して、データを集約して解析し、すべての人の動きを掌握するというものでした。北京では、監視カメラがカバーしていない場所はなくなりました。監視カメラの映像は最終的にAIや顔認識技術で解析され、治安当局に驚異的なレベルの市民監視能力を提供しています。北京の天壇公園では顔認証システムが導入され、トイレ利用者は一度に70センチまでしかトイレットペーパーを使えなくなりました。
新疆ウイグル自治区の周りに「壁」を構築するという習近平の取組みでは、高度な技術を活用しています。ビデオ監視システムを研究している組織IPVMは、2017年には中国公安部が既に新疆ウイグル自治区に壁と同等のものを構築したと指摘しています。監視カメラでウイグル人の顔を認識するためには、顔認識システムに学習させる必要がありました。中国の大手企業数社が素早くその技術の開発に着手しました。Huawei(ファーウェイ)社が開発したシステムは「ウイグル・アラーム」という名称でした。その人種を識別する監視システムの精度は完璧ではありませんが、新疆ウイグル自治区以外でも少なくとも12の自治体に配備されています。
新疆ウイグル自治区は、デジタル監視技術研究の最前線になりました。2013年に、ウルムチ市は住民の家の外壁にQRコードを貼り付け始めました。それを当局の治安担当者がスキャンすることで、居住者の詳細情報を取得することができました。陳全国が着任してからすぐに、すべての車に自治区が支給したGPS発信機が搭載されました。すべての新しい携帯電話番号は登録する必要があり、携帯電話は定期的にチェックされました。当局の治安担当は携帯から写真や位置データを含む全てのデータを収集することができます。コンピューターやその他のデバイスからデータを抜き取るために、Wi-Fiスニファーがインストールされました(訳者注:スニファーはネットワークに接続されたコンピュータで送受信されるすべてのトラフィックを傍受する種類のソフトウェア)。陳全国はまた、毎年無料で健康診断を受けられるプログラム「Physicals for All」を立上げました。そこでは、健康診断の形を装って、血液型、指紋、声紋、虹彩パターンなどの生体認証データが収集されます。12~65歳までのすべての新疆ウイグル自治区の居住者は受診が必須です。自治区はDNAサンプルも収集していました。
監視カメラシステムや健康診断で抜き取ったデータやそれ以外のデータを有効活用するには、それらを一元化する必要がありました。それは、新疆ウイグル自治区で騒乱が初めて発生した頃から指摘されていたことでした。2015年に、中国国家公安省は、全ての情報を集めて一元管理できる一体化統合作戦プラットフォーム(IJOP)の構築に着手しました。その構築に携わった上級エンジニアは言いました、「テロ行為の発生後に原因を調査することは非常に重要です。しかし、より重要なのは将来のテロ行為を予測することです。」と。そのシステムが稼働してから、Zhu Hailun(朱海仑)は、目に見えない脅威を取り除くために使用することを否定しませんでした。彼は配布した文書に記していました、「このプラットフォームによって問題のある人物のリスクの高さを判定することができます。もしリスクの高さを判定するのが困難な人物がいたら、要注意です。」と。
何万人もの公安職員にIJOPのアプリが配布され、情報を投稿するよう指示されました。ヒューマン・ライツ・ウォッチ(非営利の国際人権組織)がそのアプリのリバースエンジニアリングに成功して中身を分析をしました。そのアプリでは、36種類の人びとがデータ収集の対象となります。36種類の中には、携帯電話を使わなかった人、玄関からではなく勝手口から出入りした人、異常に大量に電力を消費した人などが含まれます。尋常でないほどあごひげが伸ばしている人も対象となるかもしれません。近所付き合いが少ない人も対象となります。また、そういう人と付き合いがある者も対象となります。IJOPのプラットフォームは、信頼できない人物は病原菌のように周りに悪影響を及ぼすものとして扱っていました。もしも、誰かがリスクが高いと判断された場合には、その人の家族全員がリスクが高いと判断されました。
IJOPプラットフォームでは、データの収集が十分に出来ない人物は潜在的な危険性が高いと認識するように設計されていました。それは、居住者が海外にいて情報を収集できない場合も該当しました。特に米国やタイなど「問題がある」と見なされる国に旅行した時は危険な人物と認識されやすくなっていました。2017年6月に朱海仑は、新疆ウイグル自治区から海外旅行に行く者は危険人物と推定するという通達を出しました。彼が考えていたのは、テロの可能性を完全に排除するまでは、厳重な出入国管理を実施して確実に危険人物を逮捕する必要があるということでした。
治安維持局で、サービトは空港に彼女を迎えに来た諜報員と一緒に車に押し込まれた。彼女が窓の外を見た時、彼女は子供の頃に見たクイトゥン市の面影が何もないことに気づきました。昔は地平線が広がっていました。車は西へ向かっていました。彼女が育った地区の方角でしたので、彼女は自分が昔住んでいた辺りに連れて行かれるのだと予想していました。しかし、着いたのは新築されたばかりの西北京路街の警察署でした。そこの玄関ホールに1人の老人が座っているのが見えました。それはかつてサービトの近所に住んでいた人で、父親と同じ研究所で教授をしていた人でした。その人の娘さんとは子供のころ良く遊びました。「こんにちは。私を覚えていますか?」とサービトはカザフ語で聞きました。しかし、老人は沈黙を守り、何も話そうとしませんでした。
サービトの目に涙が溢れました。ちょうど父親を亡くしたばかりで、その知人に会えて感激したからです。しかし、老人が何も話さない姿を見て、激しい恐怖と悲しみを感じました。
サービトは妊娠中の警察官に付いて来るよう命じられました。2人が歩いていると、その警察官はカザフ語でささやきました、「何を言われても従ってください。絶対に反抗してはいけません。さもないと酷い目にあいますよ。」と。個室に入った後、その警察官はサービトに服を脱ぐように言いました。サービトは身体を改められ、ネックレスと靴ひもを没収されました。
玄関ホールに戻ると、別の警察官が彼女の個人情報をメモしていました。その男はウイグル人かカザフ人のように見えたので、サービトは大胆にも尋ねました、「どうして私は拘留されているのんですか?」と
「あなたをここに連れてきたのは、IJOPの運用をしている人たちです。あなたはとても多くの国に行ったことがあります。それが非常に大きな問題なのです。」と彼は答えました。また、彼は、まだ椅子に座ったまま昔教授であった老人を指さして言いました、「彼は40回以上カザフスタンに行ったことがあります。それで、彼は既に10日間もここにいます。おそらく、あなたも同じようにここに留まることになると思います」と。
サービトは悪寒を感じました。彼女はその老人の隣の椅子に座りました。彼は囁きました、「私があなたのことを忘れるはずがありません。私の娘とよく一緒に遊んでいました。あなたは家族も同然でした。」と。それからサービトの父親が亡くなったことに対して、「彼は天国で安らかに眠っています。」と、お悔やみの言葉を述べました。老人は彼女に注意深く行動するよう警告しました。中国共産党を批判したり、国外旅行中に遭遇したことを賞賛したりしないように。そして言いました、「あなたは気を強く持たなければなりません。そうすれば、必ず切り抜けられるはずです。過度に恐れる必要はありません。私はあなたの味方です。」と。
拘留されている多くの者たちが1つの尋問室の中で寝ます。中では、片側に男性が、反対側に女性が寝ます。しかし、その日は満員でした。それで、警備員は野営用のマットレスを玄関ホールに設置し、サービトともう一人の若い女性の2人で使うように言いました。その若い女性は赤いドレスを着ていて、極端に痩せていましたが、サービトの顔をじっと見ていました。そうした外見から、サービトはその女性がウイグル人であることが分かりました。
2人は1つのベッドで窮屈に寝ている時、若い女性は自分のことを話し出しました。それによると、彼女は学生で、拘留された理由は音楽をダウンロードするためにZapya(快牙)と呼ばれるファイル共有アプリを使用したことだということでした。IJOPを使用した検閲では、「疑わしい」というレッテルを貼られたアプリのログを収集していると推測されます。数十個のアプリが対象になっているようです。しかし、一般市民の多くはどのアプリが「疑わしい」というレッテルを貼られているのか分からないのです。若い女性がサービトに語ったところによれば、この警察署に彼女が知っている2人のウイグル人男性が拘留されており、1人は彼女の同級生、1人は肉屋の店員ですが、いずれもZapyaが原因で拘束されていました。
7月でしたので、非常に暑く、蚊が沢山いました。サービトは、蚊に刺されないように追い払ったりしていたのであまり眠れませんでした。頭上の電気は点いたままでした。夜中でも公安職員は麻薬中毒者や酔っ払いや交通事故や他の些細な軽犯罪の対処をしていたので、トランシーバーのビープ音と交信する声が絶え間なく聞こえていました。警察官は連行してきた者には厳しく接していました。一度なんかは、虎の腰掛けに固定された老人が「毛沢東万歳!中国共産党万歳!」と叫んでいました。
その翌日、サービトは健康診断のために病院に送られました。そこで、採血され、尿も採取されました。また、心電図検査、腹部超音波検査、胸部X線検査も受けました。警察署に戻ると、写真を撮られ指紋を採取され、彼女のDNAサンプルの採取もされました。また虹彩をスキャンされました。また、声紋を取るためにマイクに向かって話さなければなりませんでした。沢山のデータがIJOPシステムにアップロードされました。
その夜は、サービトとウイグル人の若い女性は尋問室で眠りました。それは玄関ホールよりもひどい状況でした。沢山の蚊がいることと、トランシーバーが聞こえるのは昨夜と同じでしたが、昨夜よりも窮屈でサービトは他の2人の女性と一緒に小さな鉄の檻に詰め込まれました。部屋は暑くて換気もされていませんでした。蚊に刺されないようにするためにタオルケットを身体に巻きましたが、汗だくになりました。彼女は胃も痛くなりました。
鉄の檻は他にいくつもありました。サービトの昔の知り合いの老人は2人のウイグル人男性と一緒に檻に入れられていました。夜には、その老人は床のマットレスで寝ていました。他の2人は壁に手錠で繋がれていました。そのため、横になることができませんでした。数日経ってサービトが気づいたのは、その2人がトイレと食事の時以外は手錠を外されないことと、風呂に入っていないことでした。
ハリケーンに襲われたかのようにサービトは苦労していました。陳全国が始めた強力な監視システムの餌食となっていました。新疆ウイグル自治区には約2,500万人が住んでいます。中国の人口の2%未満です。それなのに、中国政府のデータによると、2017年末時点では、新疆ウイグル自治区の逮捕者は中国全体に5分の1を占めていました。
警察署でサービトが気づいたのは、沢山のウイグル人が連れてこられていることでした。そして、健康診断をさせられて、そのデータがIJOCシステムにアップロードされていました。連れてこられているのは、IJOPシステムで不審人物と判定されていた人たちでした。新たに連れて来られる者のほとんどは、高齢者か女性か子供でした。おそらく、若い男性は、もっと前に連れてこられており、既に拘留されていたのでしょう。
日中はサービトは警察署の玄関ホールに戻ることを許可されました。しかし、彼女の親戚が連れて来られるたびに、その眼に触れさせない為に、サービトは檻に入らされました。時々、サービトが昔知っていて覚えている顔が警察署に連れてこられることもありました。そんな時、サービトは自分が檻に入れられているのを見られるのは恥ずかしいと思いました。でも、サービトは自分の姿を見る人は気づくだろうと思いました。ここに自分がいるのは官僚的な手続きの問題を解決するためであるということを。それは、サービトもサービトを見る人も同じなのですから。ある時、昔の知人女性が警察署に入ってきました。カザフスタンにいる両親を訪ねるための手続きで来ていました。その女性はサービトが拘留されていると聞いていたので、サービトに近づこうとしました。しかし、サービトの古い知人(教授)が立ち去った方が良いと目くばせしました。それで、その知人女性は立ち去る前に囁いて、サービトの母親に無事であることを伝えておくと言いました。サービトは、静かにその女性を見つめながら、涙を必死にこらえました。
サービトが拘留されてから19日後、大兄が警察署に入ってきました。サービトは彼が優しかったことを思い出し、少しだけ希望を持ちました。それで、彼女は彼に話しかけ、いつ自分が解放されるのかを知っているかどうか尋ねました。大兄は彼女と他の人たちを見て言いました、「あなた達は全員学校に行くことになります。」と。サービトは警察署で流布していた噂から、「学校」というのは新疆ウイグル再教育収容所を意味することを知っていました。とてもショックでした。彼女は「どれくらいの期間?」と尋ねました。彼は半年間だと言いました。
翌日の夕方、灰色のジャケットを着た3人の男が到着しました。彼らに対する周りの者の対応が丁重なことから、サービトは3人が高位にある人物だと推測しました。1人は公安部治安維持局の局長のワン・ティンであることが判明しました。その3人が面接官となり面接を実施しました。呼ばれたのは、サービトの古い知人(教授)、若いウイグル人1人、サービトでした。ワン・ティンはサービトにはカザフタンのビザの件を中心に聞いてきました。面接の途中で、面接官の内の1人が嘆きながら言いました、「あなたが一旦国外に出てしまうと、我々は何もコントロールすることができない。」と。しかし、面接の後、警察署の副署長からサービトが聞いたのは、彼女は翌日解放されるだろうということでした。
陳全国は、彼の行う取り締まりによって、新疆ウイグル自治区に秩序がもたらされるだろうと思っていました。しかし、実際には、陳全国が来てから、新疆ウイグル自治区では無政府状態に近い状態が作り出さてていました。というのは、度重なる法律の変更や恣意的な執行が為されていたからです。ある警察官がサービトに指示を出しました。指示は、解放される前に、懺悔文や反省文をしたためなければならないこと、二度と犯罪を犯さないという誓約書を書かなければならないということでした。サービトは、自分がどんな犯罪を犯したのか分からないと言いました。 その警察官は言いました、「なぜあなたはここにいるのですか?」と。 サービトは答えました、「海外に行ったからです。」と。
警察官は言いました、「それなら、二度とその間違いを犯さないと書いて下さい。」と。彼女が書くのを躊躇していると、彼はさっさと間違いを書くよう促しました。サービトは警察署の待合室に置いてあった共産党の機関誌を見つけ、その宣伝文の一部を参考にしました。
翌朝、サービトは警察署を出て、母親に電話をしました。母親は突然泣き出しました。サービトはすぐに母親のところに行きたかったが、警察が彼女のパスポートを保管していました。警察が言ったのは、パスポートを返すためには、彼女が国家保安省治安維持局の承認を得る必要があるということでした。治安維持局の事務所で、サービトはワン・ティンに会って、母親のところに行きたいのでパスポートを返して欲しいと言いました。ワンは上司に相談する必要があると言いました。その翌週、彼女が再びワン・ティンに会った時、彼が言ったのは、彼女の入出国制限は3か月後に解除されるので、その後に彼女のパスポートを返すことができるということでした。それを聞いてサービトは困惑しました。かつて空港で彼女を止めた税関職員が言っていたことを思い出しました。彼は、入出国制限を解除するために積極的な行動を取る必要があると言いました。それで、彼女はワン・ティンに事情を説明しようとしましたが、ワンは彼女を振り払いました。
サービトは3か月経過するのを待ちました。確実を期して、3カ月と1日経過したところで、彼女はワン・ティンのところに再び行きました。ワン・ティンは警察署に彼女にパスポートを返すよう指示しました。彼女は安堵しました。それから、カザフスタン行きの飛行機を予約しました。しかし、空港では、また同じ税関職員に足止めをされました。理由は、彼女の入出国制限が解除されていなかったからでした。彼はサービトに言いました、「私はあなたに言いましたよね?」と。
数時間後に、サービトは再びワン・ティンに会いました。彼はイライラして彼女を睨みつけました。彼は、彼女の入出国制限は解除されていると言いました。システムに変更が反映するのに時間がかかっているようでした。彼は彼女にもう一週間待つよう言いました。サービトは彼女の無実を証明する文書を出すよう彼に懇願しました。彼は部下の1人にそれを書かせました。それに書いてあったのは、彼女は領事館でパスポートを更新したために調査されたが、何ら問題は無かったということでした。「調査した結果、彼女および彼女の家族が国家の安全保障を危険にさらす活動に従事していないことが証明された。」との記述がありました。また、「出国する資格がある。」との記述もありました。翌日、その証明書を手に、彼女は別の飛行機に乗ろうとしました。再び、彼女は足止めされました。規則に従っているつもりなのに足止めされました。首尾一貫した運用が為されていないので足止めされたのかもしれません。いずれにしても彼女は捕らわれの身のままでした。
中国語には、「gui da qiang(鬼打牆)」という言葉があります。それは「幽霊の壁」を意味する言葉です。それは、目に見えない迷路で、幽霊が出現させるもので、旅行者を混乱させ閉じ込めます。サービトにとっては、迷路を出現させた幽霊は国家でしたが、彼女はその迷路を抜け出す決心をしました。
ワン・ティンの同僚から、彼女の入出国制限を解除するための申請書類が回付中であることを知らされました。それは、400キロ離れたグルジャ市、そこから240キロ離れたウルムチ市の順に回付されます。彼女は自分の書類の処理がどこまで進んでいるかを知りたくて、関係者を探ってみようと思いました。グルジャ市とウルムチ市に行こうと思いました。彼女は駅に向かいました。そこでは、まもなく始まる中国共産党第十九回全国代表大会の宣伝が溢れていました。政治的にとても敏感な時期でした。
グルジャ市に着いた時、サービトは申請書類のそこでの処理は既に済んていることを知りました。申請書類はウルムチ市に送られていました。ウルムチ行きの次の列車の発車予定時刻は何時間も後でした。それで、彼女はそこに住んでいる病気の叔母を訪ねました。2人がお茶を飲んでいると、彼女の電話が鳴りました。クイトゥン市の警察署の副所長からでした。彼は大声で「どこにいるんだ!」と叫んでいました。サービトはグルジャ市の叔母を見舞っていると言いました。副署長は言いました、「あなたは数日前までクイトゥン市にいました。どうして急に出てったんですか?」と。彼は彼女がグルジャ市にいることの証拠として、列車の切符の写真をテキストメッセージで送るように命じました。そして、彼は彼女にすぐにクイントゥン市に戻って来て書類に署名するように命じました。彼は言いました、「必ず今日中に列車で戻って来い。」と。
副所長がサービトを急に呼び戻したのには何か意図があるように感じられました。列車の中で、彼女は副署長からのテキストメッセージを受信しました。彼女が列車に乗っていることを証明するよう指示がありました。彼女がクイトゥン駅に到着した時、24時を回っていて、駐車場に車はありませんでした。駅の前の電灯の下に2人の警察官が乗ったパトカーが待機して彼女を待っていました。1人は漢人で、もう1人はカザフ人でした。サービトがなぜこんなに急に戻らなければならないのかと尋ねるまで、彼らは黙っていました。カザフ人の警察官が、彼女が再教育収容所に送られる予定であることを説明しました。
警察官がカザフ語で話しかけたので、サービトは彼に質問してみようと思いました。彼女は、説明されたことが信じられない感じで言いました、「副署長は、私に文書に署名するために戻って来いと言ったんですけど?」と。彼女は出来るだけ穏やかに言ったつもりでしたが。彼に首を横に振って、「私は嘘なんか言っていない!」と言いました。警察署に着くと、サービトの私物は没収され、彼女は再び檻に入れられました。翌日、彼女は再度健康診断を受けました。それが再教育施設に入るための準備であることは明白でしたが、彼女はそれを現実として受け入れることができませんでした。そのような反応はよく見られることです。それは、オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルが「恩赦の妄想」(訳者注:死刑を宣告された者が処刑の直前に、土壇場で自分は恩赦されるのだ、と空想しはじめること。希望にしがみつき、最後の瞬間まで、事態はそんなに悪くはないと信じること)と呼んだ反応です。フランクルはそうした妄想のことを良く理解していました。ホロコースト時代に、彼はアウシュヴィッツに連れて行かれました。列車が収容所の中に引き込まれても、彼は最後の瞬間には状況は好転するだろうと信じていました。