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何をもって暑いと感じるかは場所によって異なる。南部で蒸し暑い夏の一日を過ごした人は、華氏90度(摂氏32.2度)が110度(摂氏43.3度)に感じられるでしょう。アリゾナや南西部に住む人たちは、ここは昔から「暑いけど湿度は低い」と言います。つまり、華氏110度(摂氏43.3度)の午後は、ありのままの華氏110度(摂氏43.3度)に感じられるわけです。
温度計を水に浸したガーゼで覆うことで、蒸し暑さの度合いを測ることはできる。いわゆる、湿球温度(wet-bulb temperatures)である。蒸発によって達成される最低温度を示している。空気中の湿度が極度に高ければ、蒸発する力は限られる。湿度が100%であれば、水分はそれ以上は吸収されない。ガーゼは濡れたままで、温度計は高温のままだ。湿球温度が上昇すると、暑さに慣れた人でも屋外で働くのに苦労する。湿球温度が華氏95度(摂氏35.0度)になると、湿度80%なら華氏100度(摂氏37.8度)、湿度50%なら華氏115度(摂氏46.1度)相当だが、人間は数時間も生きていられない。世界的に見ると、過去半世紀の間に極端な蒸し暑さを観測した事例は倍増している。近年、パキスタン、インド、オーストラリアで、湿球温度が人間が生存できる限界に達している。
2014年の夏にゾーイ・ウォリス(Zoë Wallis)はバスケットボールで奨学金を得て、サウスカロライナ州のチャールストン大学(the College of Charleston)に入学した。彼女の身長は191cmで、セントルイスの高校ではセンターとして活躍した。念願かなって大学でプレーすることになった。8月のある日の朝、ウォリスはプレシーズンのトレーニングのために午前6時前に起床した。2.5マイル(4キロ)の橋をランニングで往復した。
ウォリスが走り始めた時、太陽が昇り始めていた。気温はすでに華氏88度(摂氏31.1度)を超え、湿度は94%に達していた。彼女は必死に走った。橋を渡っている間、彼女はチームメイトについていった。しかし、渡りきって折り返した時、彼女は息を整えるのに苦労した。肺に十分な酸素を吸い込むことができないように感じた。しかし、無理をして走り続けようとした。
そうしていると、1人のコーチが背中のくびれを手で前に押しているのを感じた。
「止まるな!」他のコーチの声がした。
さらに0.5マイル(800メートル)進んだが、ウォリスの視界はぼやけ始めた。彼女は目を閉じたい衝動に駆られた。チームメイトの2人が、両脇から彼女を支えようとした。どちらかが「あなたならできるわ、ゾーイ!」と言った。橋の端が見えてきた。しかし、ゴールまであと数フィートというところでウォリスは崩れ落ちた。膝が舗装道路に打ち付けられた。裂傷を負った。
病院の救急処置室に到着した時、彼女の体温は華氏105度(摂氏40.6度)に達していた。内臓は機能不全に陥っていた。彼女は目を開け、蛍光灯の明かりに目を細めた。自分が誰なのか認識できていなかった。ICUで一晩を過ごし、次の日は病室に移った。退院する時に、医師から指示があった。肝臓と腎臓が回復するまでは激しい運動は避けなければならないという。彼女は大学の授業に出るようになったが、集中力が続かないことに気づいた。ノートをとっても、途中からは判読不能な字しか書けなかった。時に、呼吸が速くなり、心が不安で高鳴った。トイレに駆け込み、嗚咽を漏らしたこともあった。
その学期、ウォリスはほぼ毎日パニック発作(panic attacks)に苦しんだ。それでも彼女はバスケットボールを続けた。翌シーズン、彼女は練習中に過呼吸を起こした。それから、ロッカールームの床に倒れ込んだ。胎児のような姿勢で泣いた。彼女はその時のことを私に話した、「精神的にも肉体的にも、私はバスケットボールをするほど健康ではない、と思ったのを覚えています。」と。その後、彼女はバスケットを止めた。奨学金を貰えなくなったので、地元の大学に編入しなければならなかった。(後に彼女はチャールストン大学を訴えて、法廷外で和解が成立した。)何年もの間、彼女は夏の屋外を避けた。屋内での運動は、どの季節でもする気になれなかった。
重篤な病気の後には心的外傷後ストレス障害(post-traumatic stress disorder)のリスクが高まる。暑さは、さまざまな精神衛生上の問題を引き起こす。より暑い日ほど、不安、怒り、イライラが高まります。睡眠障害、暴力犯罪が増えます。気温の上昇とともに自殺や薬物過剰摂取による死亡も増加する。気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change)は2022年の報告書で、地球温暖化が人々のメンタルヘルスに深刻な影響を及ぼしていると言及している。データで裏付けられた確度の高い情報だった。
熱中症は熱波によって引き起こされる疾患の1つに過ぎない。フェニックスにあるバレーワイズ・ヘルス(Valleywise Health)病院で外科医を務めるケビン・フォスター(Kevin Foster)は、アリゾナで唯一の火傷治療センターを運営している。彼は、火事や化学物質や熱湯による外傷を治療する訓練を受けています。しかし、気温が上昇するにつれて、新たな危険が出現していると認識するようになりました。今年7月、フェニックスはアメリカの都市で史上最高に暑い月を記録した。31日連続で気温が華氏110度(摂氏43.3度)を超えた。これは舗装路を華氏180度(摂氏82.2度)まで熱するのに十分な暑さだ。「ほんの一瞬で、本当に、本当にひどい火傷を負うんだ。」と、フォスターは言った。先日、ある年配の男性が通勤途中に足を滑らせた。舗装路上に倒れたのだが、背中の皮膚の20%が火傷を負った。別のケースでは、若い女性のゴルフカートが転倒し、女性はカートと灼熱のコンクリートの間に挟まれた。
フォスターが言っていたのだが、本当に暑い日になると、ドアの取っ手、金属製の門、シートベルト、ホース内の水など、日常的に身の回りにあるものが凶器になり得る。「熱いコーヒーが足にこぼれたしても、コーヒーはすぐに温度が下がるので、そのダメージは限定的だ。」と彼は言う。接触火傷(Contact burns)では、接触が無くなるまで皮膚が焼け続ける。昨夏、バレーワイズ・ヘルス病院アリゾナ火傷治療センターは85人の重篤な熱中症患者を治療した。3分の1はICUレベルの治療が必要だった。今年、同センターは7月単月で50人以上の患者を受け入れた。ある高齢の女性は車椅子ごとコンクリートの上で転倒し、火傷を負った。入院した子供は、灼熱のアスファルトの上を裸足で走っていた。肝不全や腎不全に陥った患者も何人かいた。手足を失った患者も数名いた。
火傷治療センターから病院を挟んだ向かい側では、ER(緊急救命室)担当の医師たちが、かつて新型コロナの患者が使っていた待合室を冷却処置室に模様替えした。そこでは、看護師等が電解質飲料を配ったり、水分を注射したりできる。同病院のER担当医師の1人であるフランク・ロベッキオ(Frank LoVecchio)が教えてくれたのだが、彼のチームはここ数週間、熱中症の患者を1日に約50人治療している。患者は午後の暑さのピーク時だけでなく、早朝にも来る。夜間の気温が華氏90度(摂氏32.2度)以上にとどまることが理由だ。最高気温が高いことはニュースになる。しかし、最低気温が高いことはさらに危険だ。身体が熱から休むことができないから。
ロベッキオによれば、毎日25〜30人の患者が、冷却処置室では対応できないほどの酷い熱中症で来院する。その場合、救急外来で治療を受けるか、火傷治療センターに入院しなければならない。その内、5人ほどが熱射病である。ロベッキオは私に言った、「運び込まれてくる多くの人の体温は華氏107度(摂氏41.7度)なんです。何故だかわかりますか?普通の体温計はそこまでしか目盛りがないからです。」と。彼と同僚は、冷凍庫から氷の入った10ガロンのバケツを取り出します。遺体袋のプロトコルに従って、患者の脇の下まで遺体袋のジッパーを閉め、遺体袋に氷と水を詰める。時として、ロベッキオは気管にチューブを挿管しなければならない。人工呼吸器に接続するためだ。
遺体袋に氷水を詰める冷却法では、体温を毎分約0.5度(摂氏で0.9度)下げることができる。しばしばこれで人の命が助かることもある。 しかし、脳が長時間にわたって華氏107度(摂氏41.7度)とか華氏110度(摂氏43.3度)の状態に置かれる影響は甚大です。ロベッキオによれば、熱射病で火傷治療センターに来た患者のほとんど全員がICUに入ることになり、約4分の1は死亡するか、後遺症が残るという。昨年、マリコパ郡(Maricopa County)の熱中症による死亡者数は425人で、2006年に記録を開始して以来、最多となった。その記録は、今年、再び更新されるだろう。先日、同郡の監察医務局は、冷蔵コンテナを10個用意した。増え続ける遺体を一時保管するためだ。
昨年の夏、アリゾナ州でホームレス支援プログラムを運営するオースティン・デイヴィス(Austin Davis:23歳)は、水、氷、扇風機、霧吹きスプレー、塩飴などを持って車で州内を走り回った。つい先日、彼は1人の女性が倒れているのを発見した。砂利に顔をうずめていた。彼が運営を手伝っている熱中症対応施設の15フィート(4.6メートル)前だった。買い物をするふりをして、冷房の効いた食品スーパーを歩き回る家族も少なからずいる。ショッピングモールや図書館に避難する家族もいる。ある家族が空港からデイヴィスに電話をかけてきた。空のスーツケースを持って、旅行者のふりをして長時間居座るつもりだという。10歳の娘とトラックで寝ている女性から電話がかかってきたこともあった。エアコンが壊れ、娘が嘔吐を始めたという。デイヴィスは急いで最寄りの救急病院に子供と母親を送り届けた。母親は、デイヴィスに言った、「しばらくはここで涼めるわ。」と。
アメリカ国外はどんな状況なのか。世界の最も温暖な地域では、90%以上の人々がエアコンを使用していない。エアコンを使っている人でも、戸外に出たり、電気が止まれば、命が危険にさらされる可能性がある。ある研究によれば、猛暑の最中にフェニックスが停電に見舞われた場合、人口の半数が救急医療を必要とする可能性があると予測されている。このようなリスクがあるにもかかわらず、アリゾナ州、テキサス州、フロリダ州等を含むサンベルト地帯には、全米で最も急速に成長している都市がいくつもある。今世紀半ばには、1億人以上のアメリカ人が毎年少なくとも1日は不快指数(heat index)が125度に達する日を経験すると予想されている。南部の数州では、毎年数カ月にわたって華氏100度(摂氏32.8度)を超える気温が続くと予測されている。フェニックス市、ロサンゼルス市、マイアミ市などは、酷暑対策責任者(chief heat officer)を任命している。
酷暑を和らげるために人々が協力することは可能だ。実際、ニューヨーク市は、ボランティアに脆弱な隣人をチェックするよう要請している。アメリカのいたるところで、地域のコミュニティが木陰を作り、蒸発冷却をもたらす木々を植えている。道路や屋根、駐車場を暗い色ではなく明るい色に塗ることで、太陽光を反射させることができる。警告システムは、猛暑が近づいていることを人々に伝えることができる。熱中症対応施設、水分補給ステーション、公共プールは憩いの場を提供できる。屋外で働く人には早番や遅番のシフトを割り当てる。常に日陰で作業するようにし、水分補給のための休憩を設ける。それらが必要なことである。しかし、それだけでは十分ではない。暑さを和らげることはできる。が、暑さを断つことはできない。地球は温室のようになりつつある。化石燃料を燃やし続ければ、対処できない暑さが待っている。