2.パンデミック対応で必要なこと3つ ①感染状況監視体制の整備
世界には、米国と違って、今回のパンデミック以前にパンデミックを経験したことのある国がいくつかありました。例えば、韓国ではMERS-CoVウイルスによるMERS(中東呼吸器症候群)のパンデミックを2015年の春に経験していました。それは、1人のビジネスマンがアラブ首長国連邦のバーレーンとサウジアラビアで10日間滞在した後にソウルに戻ったことが発端でした。その人物は1週間後には熱が出て筋肉が痛くなりました。彼はすぐに近くの診療所、次に市の病院、次に大きな大学病院で受診し、ようやく大学病院でMERSと特定されました。彼自身の病状は回復したが、医療機関を巡っている間に、25人以上を感染させました。その中の1人がいくつもの医療機関を回って、少なくとも80人を感染させました。
MERSの感染が韓国で拡がった時、検査体制は不十分で、検査結果が出るのも時間が掛かっていました。また、政府は感染が発生した場所の共有が上手く出来ていませんでした。実際、感染していた者がウイルス陽性と診断される前にいくつもの医療機関を行き来しました(後に全感染者のほぼ半数は医療機関で感染したことが判明しています)。多くの人たちが治療で病院に行くのを回避し始めました。そのウイルスの感染を終息させるのには2か月かかりました。最終的には、韓国では16,000人以上が隔離され、186人が感染し、38人が亡くなりました(MERS-CoVウイルスの致死率はSARS-CoV-2の20倍でした)。経済は低迷し、韓国人の10人に7人が政府の対応を批判的でした。
その後の数年間で、韓国は次のウイルスによるパンデミックに備えるべくさまざまな改革を実施しました。緊急時には未承認の陽性検査キットを使用できるようにする法律を制定しました。保健当局の権限が劇的に拡大されました。必要に応じて病院を閉鎖できるようにしました。濃厚接触者の追跡調査を実施することや、陽性と判明した者や感染が疑われる者の個人情報の取得も可能になりました。将来の感染症の流行に備えて、地方自治体が住民に近隣での感染者数と発生場所を知らせて警告する仕組みも構築されました。感染の可能性のある者は強制的に隔離する体制も整い、従わなかった場合には罰金が科されるようになりました(対照的ですが、米国の今回の新型コロナパンデミックでは、隔離は強制ではなく任意でした)。また、大韓民国保健福祉部傘下の行政機関、疾病管理本部を疾病管理庁に昇格させた。新たに公衆衛生緊急対応チームが組織され、また、リスクコミュニケーション(社会を取り巻くリスクに関する正確な情報を、行政、専門家、企業、市民などのステークホルダーである関係主体間で共有し、相互に意思疎通を図ること)に特化した部署も設立されました。政府はより多くの疫学者を雇用し、入出国時の検査体制を強化し、病院の陰圧隔離室の数を増やしました。そうした様々な施策を積み上げた結果、昨年前半からの韓国のパンデミック対応は世界で最も洗練されていました。それは数字に如実に表れています。韓国の人口は5,200万人ですが、COVID-19による死者は1,700人しかいないのです。
今回の新型コロナのパンデミックでは、米国の脆弱な部分がいくつか明らかになりました。次のパンデミックが発生する前に対処しておくべきでしょう。備蓄されている非常用機器類が不十分であることが判明しました。また、陽性検査をしたり、追跡調査をする体制も整っていません。疾病対策管理センターや地区保健センターの資金不足、準備不足も明らかでした。バイデン大統領の新型コロナ対策チームのメンバーでミネソタ大の疫学者マイケル・オスターホルムが私に言ったのは、パンデミックの対処が上手く行かないのは驚くべきことでは無いということでした。というのは、コロナウイルスのパンデミック前の米国では、誰も感染力の強い病原体の怖さや恐ろしさを認識できていなかったからです。彼は言いました、「米国人は自国が感染症で苦しむことなどあるはずが無いと思っていました。感染症に悩まされるのは低所得国だけだと思い込んでいたのです。世界のどこかで感染症が蔓延していても、自国は全く無縁だと思い込んでいました。しかし、今、私たち米国人は致死率が高いウイルスが蔓延する状態を実体験しているわけです。私たちはどう対処すべきなのでしょうか?」と。
変革が必要な事項は、大きく3つのカテゴリに分類できます。1つ目は感染状況の監視方法です。ニューヨーク市公衆衛生局の元副局長で、オバマ政権下で医療情報技術のコーディネーターをしていたファルザド・モスタシャリは言いました、「米国では正確に感染の状況を把握できていません。」と。感染を制御するためには、どこでいつ感染が発生したかを特定し追跡調査することが必須です。そのためには、ウイルスのサンプルを収集し、継続的に検査機関に送る必要があります。このためには資金が必要です。モスタシャリが言うには、さらに必要なのは、国全体をカバーする公衆衛生用の情報を一括管理するシステム構築のための投資も必要です。モスタシャリは2005年から2009年までニューヨーク市の公衆衛生局にいました。当時、彼は各種報告を見て理解するためだけに毎週数時間を費やしていました。Wordファイル、Excelファイル、CSVファイルなどさまざまな形のデータが、59部署から定期的に送られてきたからです。それ以来多少の改善があったでしょうが、基本的な問題は解決していません。彼は言いました、「私たちに必要なのは、国全体をカバーする1つのシステムです。各州共通のフォーマットでデータを入力し、全てのデータを一元管理します。データのセキュリティも強化します。データが標準化されることにより、相互比較も容易になり有効活用されるでしょう。」と
そのようなシステムを構築するためには、膨大な額の投資を、長期間継続する必要があります。9/11テロ以降、数億ドルがそうしたシステムのために投資されましたが、モスタシャリによると、すでに資金は枯渇しています。彼は言いました、「保健衛生でも国防でも同様ですが、平時に緊急時でも対応できるシステムを構築しておくことが重要なのです。」と。モスタシャリが言っていたのは、米国の医療費の一定の割合を公衆衛生の取り組みに割り当てる必要があるということでした。バラク・オバマ政権で保健社会福祉省の長官であったシルビア・バーウェルも同じ考えです。彼女は、連邦政府は公衆衛生に関係するすべての政府機関にまたがる基本戦略が必要であると主張していました。また、それは単なる公衆衛生の問題ではなく、それは国家安全保障上も重要で、経済的繁栄に資するものです。
今回のパンデミックが始まった頃には、マスク、消毒用アルコール、人工呼吸器、医薬品が国中で不足し、米国の医療品類の供給体制の脆弱性が明らかになりました。米国で使用されている医薬薬の70%は海外で製造されています。COVID-19の治療に不可欠の40種の薬の内の29種の供給が不足しました。米国防総省は、一部の軍用装備品については米国企業から購入することを法律で義務付けられています。同様に、米国の公衆衛生関連の政府機関で使う人工呼吸器や一部の医薬品は国内のサプライヤーから調達するようにすべきです。