どれだけ働けば良いのか?長時間労働がアメリカでも問題に!アメリカでは低所得者で過労死する者が多い。

4.健気だったマリア・フェルナンデス

 マリア・フェルナンデスはポルトガル人移民の娘でした。ニューアークの家賃550ドルの地下の部屋に住んでいました。生まれたのはマサチューセッツ州フォールリバーでした。AP通信の報道によると、彼女は11歳の時に家族と一緒にポルトガルに戻りましたが、18歳になった時にアメリカに1人で戻って来ました。彼女はかつて、女優になりたいと思っていました。また、警察官、フライトアテンダント、エステティシャンになりたいと思ったこともありました。彼女は4つの言語が喋れました。英語、ポルトガル語、フランス語、スペイン語です。彼女はおしゃべり好きで、あまりに良く喋るため、友達から「ラジオ」というあだ名を付けられたこともありました。彼女には、一時は、彼氏がいて、彼の生活のための費用を一部負担していました。彼女は、通常、ニューアークの駅の中の店で午後の2時から9時までダンキンドーナツを売っていました。それが終わると、車でリンデンの店まで移動し、午後10時から翌朝の6時まで働きました。週末には、ハリソンにある店で午前中働いていました。彼氏が、掛け持ちしている仕事のどれかは辞めるべきだと助言したことがありました。しかし、彼女は言いました、「辞めないわ。今の生活に慣れてるから、問題ないのよ。」と。

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