Annals of Medicine December 21, 2020 Issue
When a Virus Is the Cure
ファージ療法の確立が期待されている
As bacteria grow more resistant to antibiotics, bacteriophage therapy is making a comeback.
細菌が抗生物質に対して耐性を持つようになるにつれて、ファージ療法に対する期待が再び高まっている。
1.ファージ療法の研究は細々と続けられている
ジョセフ・ブネヴァッツはアメリカに渡る数年前、もう数十年前のことですが、ビートルズにスキーの仕方を教えました。それを聞かされたのは私が彼の家を訪ねた時のことでした。そこはロサンゼルスとモハーベ砂漠を隔てる山地の乾燥した北東斜面でした。いろんなことを聞くつもりでした。彼は珍しい血液の感染症を長年患っていて、彼が望んでいた治療法について聞きたかったのです。彼の妻フィロメナが過去5年間に行った数え切れないほどの検査と治療のことを説明してくれました。ブネヴァッツは、79歳の白髪でハンガリーのオリンピックチームの公式ジャージを着ていました。病気のことよりも話したかったのは、もっと彼が若かった頃の話のようでした。
ブネヴァッツは1941年にハンガリーで生まれました。10代の頃は、スポーツ選手としてトレーニングに励んでいました。彼が言うには、その目的は、共産主義から逃れることでした。背も高くなく、特に筋肉質でもなかったので、選んだ競技はディンギーセーリングでした。その競技を選んだのは、国内にライバルが少なかったからです(ハンガリーには海がない)。そうすれば、代表チーム入りを果たすことが出来るし、国外の大会に参加して、西側の国に亡命できる可能性があると考えていまいた。1960年、ドイツのキーム湖の競技会で立派な成績を残した後、彼は亡命しました。彼は亡命後ミュンヘンに落ち着き、デパートで働き、夜には新聞を売っていました。それから1~2年経ったある夜、彼はとあるクラブから流れ出る音楽を聴いて、キャッチーでメロディアスで魅力的な曲だと思いました。その時演奏していたバンドは翌晩も再び演奏していたので、彼は4人のリバプールから来た若者と会話を始めました。その後、彼は4人を近場のスキー場に連れて行きました。4人はそれまでウィンタースポーツに興じたことは無いようでした。
ブネヴァッツが言うには、彼は音楽への関心が高じて、60年代末に渡米したとのことです。ゴスペルシンガーのマヘリア・ジャクソンがミュンヘンの教会で歌うのを聞いた後、彼はデトロイトに移り、それからあちこちのホテルで働きながら米国中を巡りました。ホテルでは、キッチンやフロント等で働きました。そして最終的にはワイキキのシェラトンホテル(当時の世界最大のホテル)のマネージャーになりました。そこで彼は有名歌手のアル・マルティーノやジャズピアニストのオスカー・ピーターソンに会ったりしました。彼は回想して、私にいろんなことを語りました。後年ハンガリーのオリンピック委員会に協力ししたことや、シュトルーデル(オーストリアあたりの焼き菓子)、ハンガリーのスモークソーセージ、パーリンカ(フルーツを原料にしたブランデー)の作り方なども教えてくれました。
ブネヴァッツの話が途切れる度に、彼の妻フィロメナ(元看護師)がさまざまな出来事の日付を私に教えてくれました。さまざまなスキャン撮像検査、結腸内視鏡検査、胆嚢手術、胆管ステントの挿入、上結腸の除去手術などを行った日や救急病棟へ搬送された日などです。彼女は言いました、「夫はこれまで血液培養(血流感染症を診断する目的で行う血液の培養)を何度もされました。私は看護師をしていましたが、血液培養される人は皆まもなく亡くなりました。」と。
ブネヴァッツは常にユーモアを欠かさない応対をしていましたが、実は具合は良くありませんでした。彼の病状は医学的には謎で解明されていません。彼には、発熱、吐き気、腹痛、下痢などの症状があります。それらは簡単に説明できます。血液中の大腸菌が繁殖しているのが原因です。しかし、どうしてそうした血液の感染が再発するのか、原因が不明でした。私が彼に会った時、彼は地域の救急診療所に大量の抗生物質をもらうために毎月行っていました。しかし、毎回治療をすると感染が収まるのですが、必ず再発してしまいました。長年、いろんな病院の医師が彼を撮像し、さまざまな検査しました。大腸菌が潜んでいる可能性がある組織を取って生検もしました。しかし、何も異常は認められませんでした。
「正直なところ、彼は1年前に亡くなったと思っていました。」と、南カリフォルニア大学ケック病院の感染症専門医エミリー・ブロジェットは私に言いました。ブネヴァッツは元々は楽天家でしたが、ここのところ少し落ち込んでいるようでした。治療を受けるにはコストも時間もかかりますし、繰り返し熱や痛みに襲われていましたし、抗生物質の副作用もありました。でも、彼はふとした瞬間でしたが、真剣な面持ちで、私に言いました、「私はどんな治療でも試してみたいんです。」と。
昨年末、ブネヴァッツの1人娘が新しい選択肢を提案しました。米食品医薬品局が承認していない治療法ですが、それによってサンディエゴで命を救われた男性がいました。彼女はフィロメーナに電話して、 「お母さん、お父さんにファージ療法を受けさせましょう。」と言いました。ファージ療法についてブネヴァッツは何も知りませんでした。それでフィロメナがブロジェットに、ブネヴァッツがファージ療法を受けることが可能か否か尋ねました。
ファージ(バクテリオファージ)は、細菌のみに感染するウイルスのことです。植物、動物、細菌、どんな生物体にも固有のウイルスがあり、共存しています。動物や植物に影響を及ぼすウイルスは、これまでさんざん研究されてきました。というのは、それは人間の健康や家畜や農作物に直接的な脅威となるからです。当然のことながら、ファージが細菌に及ぼす良い影響についてはこれまであまり研究されてきませんでした。ファージと細菌の戦いは残酷です。多くの科学者の研究によれば、世界ではファージが細菌に毎秒1ジョ(1兆の1兆倍)回感染し、48時間毎に世界の細菌の半分が破壊されていると推定されます。ある動物種に特有のウイルスが突然変異して異なる動物種に感染する可能性があるということが現在では知られています。しかし、そうしたウイルスは細菌を攻撃しません。また、ファージも同様に動物(人間も)を攻撃しません。ファージ療法は、敵の敵は味方であるという関係が成り立っています。もし、ブネヴァッツが感染している大腸菌を担当医が特定することが出来れば、抗生物質が効かないので手がない状態を脱することが出来るかもしれません。
私はブロジェットに尋ねました。フィロメナからファージ療法について質問された時にどのように対応したかを。彼女は、「ファージ療法のことは知っていました。しかし、ファージ療法はこれまでウイルス研究の分野の中で限定的な関心しか持たれていませんでした。」と答えました。しかし最近、プロジェットは、長年の生命を脅かすほどの細菌感染症がファージ療法によって根絶された患者の治療例の研究レポートを目にしました。昨年、ある医療専門誌(Nature Medicine)に掲載された論文に、英国で両肺の移植手術後に細菌に感染した10代の嚢胞性線維症患者がファージ療法で死なずに助かった症例が載ってました。別の症例も載っていて、ファージ療法によってミネソタ州の男性は膝の手術後に感染してしまった脚を救うことが出来ました。
過去5年間で、ファージ療法の研究は加速し、それに関する出版物、会議、製薬会社の投資は急増しました。そうした盛り上がりは、抗生物質耐性菌の脅威がますます高まっていることと、抗生物質耐性菌と戦うために利用できる新しい抗生物質が不足していることを反映しています。2016年、国連は抗生物質耐性菌は、最大かつ喫緊のリスクであると言及しました。信頼できる抗生物質がなければ、帝王切開やヘルニア修復や虫垂炎や扁桃腺摘出などの比較的簡単な手術でさえ命を危険にさらす可能性があります。英国の有力医療専門誌に載った論文によれば、抗生物質が無ければ、人工股関節置換術を受けている7人に1人は薬剤耐性菌に感染して死亡すると推測されています。毎年、薬剤耐性菌の感染が原因で約70万人が亡くなっています。その数は2050年までに1,000万人に達すると予測されています。
ブネヴァッツが感染している細菌は、まだ抗生物質に対する耐性は持っていません。しかし、ブロジェットが言うには、いずれ間違いなく耐性を持つようになります。去年のサンクスギビングデー直後に、ブネヴァッツはファージ療法を受けることが出来ると認定されました。ブロジェットは試してみる価値はあると思いました。理由は、ファージ療法が体に毒ではないと思ったことと、その時点では他に治療の選択肢がない状況だったからです。