3.ファージの見つけ方 汚水から手作業で採取し調べる
2015年11月、カリフォルニア大学サンディエゴ校医学部の感染症研究者ステファニー・ストラスディーは、夫の精神科医トム・パターソンと共にエジプトを休暇で訪れました。ピラミッドを訪れた後、当時68歳だったパターソンは、激しく体調を崩しました。最初は食中毒だと思っていました。しかし、現地の医師によって急性膵炎と診断され、フランクフルトに移されました。そこで、薬剤耐性のあるアシネトバクター・バウマンニに感染した膿瘍があることも判明しました。医師団はその菌を除去するため、15種類の抗生物質をテストしました。しかし、その内の3種類だけにわずかな効果があっただけでした。次に、彼はサンディエゴへ搬送されました。それから数週間も経たない内に、3種類の抗生物質も効かなくなりました。細菌が進化したためです。パターソンの臓器は、徐々に傷んでいきました。最初は心臓と肺、次に腎臓でした。そして、昏睡状態に陥りました。2016年2月の第3週に、担当医のロバート・スクーリーは、ストラスディーに治療の施しようがないと言いました。
ストラスディーは、何か治療法が無いか参考文献を調べ、ファージ療法に関心を持ちました。ストラスディーとスクーリーは一緒にウイルスに関する研究に携わった経験がありました。2人は世界中のファージ療法研究者と連絡を取り、パターソンが感染している細菌を攻撃する可能性のあるウイルスを知っている者がいないか調べました。彼らは、幾人かからファージを受け取りました。さまざまな物から分離されたファージがありました。下水処理場から、テキサスの土壌から、豚や牛の糞尿溜めなどから分離されたファージがありました。それらを培養し増殖させた後、ファージを分離し取り出しました。スクーリーは、いくつかのファージを米国食品医薬品局から緊急承認を得て、パターソンに注入しました。パターソンの腹腔から液体を排出しているプラスチックチューブにファージを注入する形でした。腹腔付近は、最初に感染が発生した場所でした。また、直接静脈にもファージを注入しました。それから3日後、パターソンは昏睡状態から抜け出しました。数ヶ月後に彼は退院し、細菌は完全に除去されました。
パターソンが数ヶ月の理学療法とリハビリテーションを受けた時、ストラスディーとスクーリーは彼の症例に関する論文を書きました。それは医学誌に掲載され、講演も行いました。米国立衛生研究所の専門家に研究資料も提供しました。2018年7月、2人は北米で初となるファージ治療センターを設立しました。革新的ファージ治療センター(IPATH)という名称で、カリフォルニア大学サンディエゴ校内にを設立しました。さまざまなファージの貯蔵保管もするようにしました。パターソンとストラスディーは共著で回想録を記しました。奇跡的な回復を中心に記しました。ファージ療法に関する噂が広まり始めると、電子メール、電話、Facebookメッセージが殺到しました。ファージ療法で、愛する人を救いたいという人たちからでした。ジョセフ・ブネヴァッツの娘が耳にしたのはパターソンの治療例でした。2019年の末に、ストラスディーは、ブネヴァッツの有害な大腸菌を殺すことができるファージを特定するための調査の一環として、方々を遠征しました。その際には私を同行させてくれました。
ファージを見つけること自体は特に難しいことではありません。ファージは地球上では群を抜いて最も豊富な生物体です。ある推定によると、バクテリオファージは細菌を含む他の全ての生物体を合わせたよりも多く存在していて、1兆×1兆×1千万個あります。平均すると、小さじ1杯の海水にはリオデジャネイロの人口の約5倍の数のファージが含まれていますし、そこら中に存在しています。しかし、薬剤耐性菌を殺すファージを見つけようと思ったら、人や動物がそれを排出している場所を探すのが一番です。つまり下水です。
南カリフォルニアで偶然ファージが見つかったのは、2019年12月のことでしたが、激しい降雨の影響によるものでした。激しい嵐の間、下水が溢れて汚い水が海に直接流れ込みました。毎分数百万ガロンもの量でした。保健当局はビーチを閉鎖し、数日間は遊泳禁止としました。激しい降雨の後、私はサンディエゴのすぐ北のカールスバッドに車で行き、ファージ探しをしているストラスディーとパターソンに会いました。会ってすぐにしたことは、昼食をとることでした。2人のお気に入りの穴場のメキシコ料理店に行きました。ビーチから数ブロックのところにあるジュアニータというレストランでした。パターソンは言いました、「2016年に退院した時、最初に食べた固形物はここのタコスです。でも、すぐに下痢してしまいました。」と。現在73歳のパターソンは、スリムで若々しく、温和な顔で、アロハシャツを着ています。ストラスディーはカナダ人で、早口で話すので息切れすることがよくあります。カーニタスを食べながら、パターソンは昏睡状態の時に経験した幻覚体験について説明をし始めました。彼は言いました、「私は蛇でした。人間が捕まえることは容易ではありません。」と。その時、隣のテーブルで食事をしていた男が身を乗り出して、パターソンに「やあ、トムじゃないか?」と言いました。その男は、数ヶ月前にパターソンとストラスディーがコミュニティ・カレッジで講演したのを聴き、ファージ療法に関心を持ちました。というのは、自分の娘が助かる可能性があると感じたからです。娘は嚢胞性線維症を患っていました。「現在、トム・パターソンのおかげでファージ療法への関心が高まっています。そういう人がいないとなかなか普及しません。」とストラスディーは言いました。
私たち3人は海岸を10分ほどドライブして、バティキートス・ラグーンと呼ばれる汽水の湿地帯に行きました。パターソンは、ラグーンの真ん中を通るフリーウェイのすぐ脇に駐車し、食後の休憩をしました。ストラスディーは、ファージ採集キットが入った容器を私に手渡して、水辺にさっさと向かっていきました。前日の雨で行く手は泥でぬかるんでいましたが、上空は真っ青に晴れ、雲がかすかな縞模様を描いていました。辺りは潮の香りに混ざって、強い硫酸のようないやな匂いがしました。フリーウェイから遠ざかり、騒音が遠くに和らぐと、カエルの鳴き声が聞こえました。円筒形の貯蔵タンクと複雑なパイプとポンプを備えたロイカディア廃水処理場の近くでした。
次の1時間、私はストラスディーが水草を踏み越え、水たまりを進んでいくのに続きました。彼女のレギンスとパーカーの柄は目立つものだったので、見失うことはありませんでした。錆びたパイプの端から、何回か液体を採取しました。コヨーテの糞が浮かんでいる水を取ったり、沼地の端で腐ったエビの匂いのする汚水を取ったりしました。各サンプルには日付と番号を記したラベルを付け、ジップロックに入れてからコンテナ容器に入れました。それからストラスディーとパターソンは車で家に帰り、私はサンプルをカリフォルニア大学サンディエゴ校まで運んで、研究員ヘディエ・アタイに会いました。アタイはIPATHチームの1員で、ロバート・スクーリーが立ち上げる準備をしているファージ療法の新しい臨床試験に携わっていました。彼女が主として研究していたのは、胸部感染症の患者の喀痰のサンプル中の細菌レベルを測定するための技術を確立することでした。彼女は、私から喜んでコンテナ容器を受け取りました。彼女は、いつでも有用なファージを出来るだけ沢山見つけ出したいと考えていました。
アタイは大腸菌、腸球菌、シュードモナス菌を冷蔵保管庫に入れていました。それらは院内感染を引き起こすことが多い病原体6つの内の3つです。ストラスディーと私が採取してきたサンプルの中に何か有用なものがあるかを確認するために、アタイは採取してきたサンプルの中に含まれている未知のファージを保管していた3つの菌と混ぜました。3つの菌は、細菌としては比較的大きなサイズです。アタイは、白衣を着て、ゴーグルと手袋を付け、ゼリー状の培養液が入った皿に病原性大腸菌を入れました。フライパンに油を塗る要領で混ぜました。また、それ以外の作業として、採取してきたサンプルはフィルターでろ過して、細菌を除去し、ファージを分離する必要がありました。元々は濁っていた液体もろ過されると透明になります。見た感じでは、飲んでも大丈夫なように思えます。アタイが言うには、飲むのは止めた方が良いとのことです。アタイの指示を受けて、私はファージサンプルをろ過器に注ぎ入れてファージを分離する作業をしました。
サンプルから分離されたファージのどれもが、対象となる細菌(ブネヴァッツが感染した有害な大腸菌)を攻撃する能力を保持していない場合、その大腸菌の増殖を妨げるものは何も無いということになります。しかし、その大腸菌を攻撃するファージが1個でもあった場合には、そのファージは大腸菌の細胞膜と結合し、ゲノムが液体で満たされた細胞内部に流し込まれます。ファージのゲノム複製に不要な大腸菌の遺伝子が不活化した後、ファージのゲノムの合成と増殖が起こります。最終的には、増殖したゲノムから沢山のファージのコピーが構築されて大腸菌の細胞は攻撃を受けるので細胞壁が壊れて破裂し、隣にある大腸菌に侵入する準備が出来ているファージが大量に放出されます。ファージが有用であるか否かは1日か2日でわかります。沢山の大腸菌で出来た厚い層の中に穴を開けたように死んだ微生物の塊が輪のように出現していれば有用です。