9.やはり、セーフ・ストリートも必要
ボルチモアでは、新たに資金が投じられたことによって、プレッシャーが強まってしまいました。「5,000万ドルが投じられました。これは数年で尽きてしまいます。しかし、再び5,000万ドルが投入されることはないでしょう。ですので、我々は、それが尽きるまでに成果を挙げなければならないのです。それで、今後も資金を投入するに値することを証明しなければならないのです。」と公安局幹部のマーク・コンウェイ(Mark Conway)は、話してくれました。「また、プログラムでは効果的に資金が使われていることも証明しなくてはなりません。ですので、どこかに無駄があるのではないかと全体をチェックしなければなりません。何かを削らなければならないかもしれません。削るものを決めるために、それまでのデータを分析したり、仕組みがきちんと機能しているか監査したり、どこに資金を多く投じるべきなのかといったことを考えたりしなければならないのです。とにかく、多くの資金が投じられたことで、それに見合う最高の価値を生み出さなければならないというプレッシャーが高まりました。」ボルチモアでは、市議会から公安局に対して、投じられた資金が有効に使われることを示すべきとの圧力が強まりました。公安局局長のシャンティ・ジャクソンは、資金をいろいろと割り振りました。非営利団体や市が立ち上げた犯罪防止強化計画にも割り振られました。また、公安局のスタッフも増やしました。人員は15人から約40人に増えました。
ちょうどその頃、公安局からセーフ・ストリートとの連絡役を務めていた主要な人物2人が去りました。さらに去る者が出てしまう可能性がありました。さらに、ボルチモア・バナー(Baltimore Banner)紙が報じたように、公安局は、市が立ち上げた犯罪防止強化策に関連してロカと契約を締結する予定だったのですが、延期されていました。ロカは若者に職業訓練等をして自立支援を促すサービスを提供する予定でした。ボルチモア市は、各組織や部署が連携して一体的に包括的に犯罪防止策が実行されるようにしようと苦心していたのですが、悲しいかな、いたるところでで縄張り争いや個人的な対立が発生していました。しかし、ジャクソンはそうした軋轢を軽視していました。彼女は、公安局とロカの件について、「非常に生産的な話し合いを続けている」とだけ述べました。
12月初旬のある日の夜のことでしたが、私はコーリー・ウィンフィールドに会うために車を運転していたら、彼の方から延期して欲しいと言ってきました。その時、彼はボルチモア郊外のブルックリンという地区でセーフ・ストリートの地区責任者を務めていました。そこで、あるギャングのメンバーの1人が他のギャングのメンバーから車を盗むという事件が発生していたのです。すぐさま、ウィンフィールド率いる協力者のチームは、誰かが復讐を試みる前に盗まれた車を取り戻そうと活動を開始しました。
ブルックリン地区では犯罪件数が減らない状況が続いていました。その地区で犯罪遮断プログラムを主導していたのはカトリック・チャリティーズ(Catholic Charities:慈善団体、Catholicとあるが宗教的色彩は薄い)でした。その団体がプログラムを主導していた地区は、他でも犯罪件数が減らない状況が続いていました。11月には、この地区の元協力者が、セーフ・ストリートに雇われていた時期にフェンタニル(fentanyl:鎮痛剤として使用される非常に強力な合成オピオイド)を売買していたことを認め、有罪判決を受けました。その地区は、本来であれば協力者のチームのメンバーが7人必要なのですが、5人しか確保できていませんでした。しかし、ウィンフィールドは、別の地区で協力者をしていた人物の成長ぶりに満足していました。その者は刑務所にいる時に知り合った38歳の男性でした。銃撃事件に3回巻き込まれたことがあるのですが、いずれも生き延びたということでした。また、新型コロナのパンデミック時に彼自身が担当していた地区では食糧配給が滞らなかったことは彼の自慢でした。また、彼は、地区内で働くセックスワーカーに避妊具や生理用品を入れた中古のパースや手提げを配るなんてこともしていました。それも彼の誇りでした。
その 1週間後に私はウィンフィールドに会うためにブルックリン地区のセーフ・ストリートが間借りしていたオフィスに立ち寄りました。しかし、開いていませんでしたした。私が電話をすると、彼はルースという叔母が癌で亡くなったばかりだと言っていました。私が西ボルチモアの教会で行われた通夜に行くと、受付のところにウィンフィールドがいました。オレンジ色のトレーナーを着た数人のセーフ・ストリートの協力者がお悔やみの言葉をかけていました。
彼が私に言ったのは、1時間半もそこにいたのに、どうしても叔母のご尊顔を見ることができないということでした。「私は銃で撃たれそうになっても怯んだことはありませんでした。どんな状況でもへこたれない自信がありました。」と、彼は言いました。「でも、やっぱり私はちっとも強い人間ではなかったんです。辛くて辛くてやりきれません。」
彼は、犯罪を犯す可能性のある者に接触して犯行を思いとどまらせるプログラムを続けているわけですが、直近で経験した事例のことを私に話してくれました。ちょうど叔母の葬式の3カ月前のことなのですが、高校生が何人か出演したセックス動画がネット上に流出していました。対立する2つの10代のグループ間でトラブルが発生していたようです。それで対立が更にエスカレートしてしまい、動画の中に登場していた高校生1人が対立していたグループのメンバーにボコボコに殴られました。どさくさまみれにブランド物の高価なカバンとサングラスも奪われました。また、動画に登場していた別の高校生の母親の車に銃弾が数発浴びせられました。
その事件が起こったのはウィンフィールドがセーフ・ストリート・プログラムを主導している地区ではなかったのですが、彼はその地区に応援に行きました。彼は、怒って暴行をしたり発泡したりしたグループのメンバーの母親の1人が報復の標的になる可能性があると思いました。それで、数日間はその周辺を警戒することにしました。通勤するバスにも同乗しました。「今の子供たちは放おっておいたら何をしでかすか全く想像もつきませんよ。」と、彼は言いました。「狙った相手に報復することができないと分かると、関係の無い俺たちに矛先を向けることもあるんだよ。」と。
また、彼は、例のセックス動画に登場していた生徒の1人の父親にも連絡を取っていました。偶然にもウィンフィールドは、その人物を知っていました。いわゆる”ショットコーラー”(shot caller)でした。ショットコーラーとは、刑務所で使われるスラングでリーダーを意味します。その人物は、殺人を引き受けたり、紛争を解決する能力を持つ人物として知られていたのですが、セックス動画が流出したことについてネット上で言及していて、挑発的なコメントを残していました。その人物が属している組織の上層部の1人にウィンフィールドから連絡をとって、さまざまな調整をした結果、話し合いの場が設けられました。それで、ウィンフィールドとその人物(ショットコーラーと呼ばれる人物)は午前2時に廃墟が広がっているエリアで会って話をしました。何とかして事態を収束に向かわせて欲しいとウィンフィールドは懇願しました。「結局、さんざん骨折りしたことで事態を沈静化することができました。そのために私たちは本当に多くの仕事をしたんです。」と、ウィンフィールドは言いました。「私たちがいなかったら事態はますますエスカレートしていたでしょう。でも、私たちが沢山のことをしていて、犯罪を防いでいることなんて誰も知らないんです。」
通夜の2週間後、通夜が行われた教会から西に2マイル離れたところにあったポパイズ(Popeyes Louisiana Kitchen:アトランタに本社を置くフライドチキンを中心としたファーストフードチェーン)の外のテーブルでランチをしていた高校生5人が撃たれるという事件が発生しました。彼らの通っている高校から通りを隔ててすぐのところでした。1人が亡くなりました(享年16歳)。こうした緊張が高まっている状況においても、ロカの関与は仕方はゆっくりとしたものでした。実は、亡くなった高校生の兄がたまたまロカの協力者の1人だったのですが、それでもロカの上層部は他の被害者への支援活動だけを粛々と進めると決めました。元々、ロカの取り組みは犯罪に手を染めそうな若者に教育訓練を施す類いのものでしたから、緊急時に介入してどうこうしても効果はないし、そんなノウハウも持ち合わせていませんでした。一方、コーリー・ウィンフィールドは、すぐにでも行動を起こしたくてウズウズしていました。そりゃそうです、誰がどう見たって、すぐに報復で銃撃事件が発生しそうな状況でしたから。彼は、セーフ・ストリートの協力者のチームを現場に入れて、報復を企てている者たちを特定して、思いとどまるよう説得を試みるべきだと考えていました。しかし、銃撃があったポパイズがあった辺りは、彼がプログラムを主導している地区から何マイルも離れていました。
ウィンフィールドは私に電話をかけてきました。不満タラタラでした。「今すぐ手を打たないといけないんだよ。」と、彼は言いました。「クソッ、クソッ、クソッ。今すぐにでも取り掛からなきゃダメなんだよ。1週間も2週間も猶予があるわけじゃないんだよ。あと何個若い子たちの死体を見なきゃならないんだよ!」♦
以上