アメリカ 各都市で警察当局以外が実施している犯罪遮断プログラムとは?効果ある?何で警察以外がでしゃばるの?

5.セーフ・ストリート・プログラムの受難

 ボルチモアでセーフ・ストリートのプログラムを拡大する際には困難が伴いました。ルチモア市は、そのプログラムを運営して、人員も確保してくれる非営利組織を見つけなければなりませんでした。キュア・バイオレンスは既に数年前にプログラムの協力者のトレーニングセッションの運営から手を引いていました。というのは、同市からの支払い額が少なくなっていたからです。一方、同市公安局のトップは2017年から2020年の間に4回も交代していました。

 いささか混乱が見られる中、セーフ・ストリートの協力者の数名が組織を離れました。同市内で活動している別の犯罪遮断プログラムに移ったようでした。移った先は、ロカ(Roca)だったようです。ロカはマサチューセッツ州に本拠を構えていたのですが、リーダーのモリー・ボールドウィン(Molly Baldwin)の故郷であるボルチモアに、2018年に支部を開設していたのです。ロカは、同市内の特定の地区をターゲットにするのではなく、市内全域の16歳から24歳までの最も助けを必要としている若者たちに焦点を当てました。一方のセーフ・ストリートは拠点を増やしたとは言え、同市の全域(92平方キロメートル)の内の2.6平方キロメートルしかカバーしていませんでした。助けを必要とする若者たちがロカと接触するきっかけで一番多かったのは、警察や非行指導員などからの紹介でした。ロカは、銃撃を受けて死ななかった被害者の自宅を定期的に訪問することで、接触するようになったことも何度かありました。数年の内に、ロカは約200人の若者と関わって、認知行動学の理論を応用して、職業訓練を受けさせたりしました。とにかくロカは若者たちとの接触を保つことに注力していました。”執拗なアウトリーチ”(relentless outreach)」を実践することを組織として重視していました。2018年にセーフ・ストリートからロカに移ったジェームズ・ティンプソン(James Timpson)は言いました、「私たちが重視していたのは、より長期的なアプローチです。有意義なことを継続して続けることで、若者たちに行動変容してもらいたかったのです。犯罪を犯しそうな者に接触して思いとどまらせることは非常に重要だと思いますが、思いとどまらせた後にも何らかのフォローアップをする必要があると思います。そうしないと、今日思いとどまった者が、明日は思いとどまらないかもしれないじゃないですか?」と。

 2020年12月下旬、ボルチモアの新市長ブランドン・スコット(Brandon Scott)は、長年の友人であるシャンテイ・ジャクソン(Shantay Jackson)を公安局の局長に任命しました。ジャクソンは元情報技術管理者で、2018年にフレディ・グレイ(Freddie Gray)が死んだり、自分の義理の息子が銃撃事件で重傷を負った後に、犯罪防止活動に力を入れるようになりました。彼女は、非営利組織を1つ立ち上げました。その組織は、新たにセーフ・ストリートがプログラムを展開した1つの地区の活動を支援する契約を結びました。その地区はセーフ・ストリートが新たにプログラムを展開するようになった10カ所の内で最も危険度の低い場所だったのですが、深刻なトラブルが頻発するようになってしまいました。それで、その地区ではプログラムが開始されてからわずか数カ月後の2019年に中止となりました。ジャクソンが言っていたのですが、中止の理由は協力者の安全が担保できない懸念があったからでした(後にプログラムは再開されました)。

 ジャクソンが公安局の局長になって1カ月後の日曜日の朝に、セーフ・ストリートで主要な地位にあったダンテ・バークスデールが、東ボルチモアのダグラス・ホームズ(Douglass Homes)を訪問していました。そこは低所得者向けの公営住宅でした。そこで、バークスデールは1人の男に銃弾を撃ち込まれました。頭と体に9発被弾し、ほぼ即死でした。

 ボルチモア市では6年連続で殺人事件で300人以上の犠牲者が出ていました。犯罪遮断プログラムの強力な推進者で街の顔役でもあり影響力の最も大きかった人物が殺されてしまったのです。スコット市長は、バークスデールの心臓と魂が奪われたことは大きな痛手であると言っていました。彼は言いました、「私の友人であるダンテ・バークスデールを失い、私の悲しみが癒えることはありません。彼はボルチモアの人々を救うために人生を捧げた、私たちのコミュニティの最愛のリーダーでした。」と。

 その半年後、同じくセーフ・ストリートで協力者であったケニール(ベニー)・ウィルソン(Kenyell (Benny) Wilson)が、ボルチモア南部のチェリーヒル(Cherry Hill)地区で昼食を食べに行くために車を運転していた際に銃撃され、病院に運ばれたものの死亡が確認されました。享年44歳でした。この事件に詳しい人物2人が教えてくれたのですが、ウィルソンは、撃たれる直前に老女に無礼な態度をとった1人の10代の少年を叱責していたそうです。彼の同僚たちは、それが発砲のきっかけになったのではないかと疑っていたそうです。スコット市長は言いました、「今夜、われわれの兄弟であるケニール・ウィルソンが銃撃事件で亡くなりました。彼は日夜それを防ぐことに心血を注いでいました。」と。

 その半年後の2022年1月には、セーフ・ストリートが一番最初にプログラムを展開した場所であるマックエダリー・パーク(McElderry Park)で、新たにセーフ・ストリートの協力者として採用されたダショーン・マグリエ(DaShawn McGrier)が亡くなりました。享年29歳でした。午後7時過ぎに他の協力者数人と勤務していたところ、1人の男が車で近づいてきて銃を撃ったのです。他に2名が死亡し、1人が負傷しました。スコット市長は、この銃撃事件を 「恐ろしい悲劇」であると言いました。

 セーフ・ストリートプログラムの協力者は100人未満でしたが、13カ月の間に実に3名もの協力者が亡くなってしまったのです。これは、4年前にコリー・ウィンフィールドがぼんやりと暗示していた最悪のシナリオそのものでした。当時、彼は、オレンジ色のTシャツ(セーフ・ストリートの目印)では、いずれ街の安全を維持することができなくなるだろうと言っていました。